口パクゲーム・2
……と言っても、ユウくんの後を追っても私にできることは何もなかった。
声が出ないから状況を説明することもできないし。カナくんにタスキを早く届けないと、ってのも、もう今ユウくんはカナくんの元に向かってるわけだし……
これ、私は一緒に歩いてる意味ないかも? と思っていると、ユウくんが隣を歩いている私に顔を向けた。
「……で、彩さんはなにしに来たん」
え……
いやだから、タスキをね? カナくんに早く渡さないとね? っていう。
私は再びユウくんが肩から掛けているタスキを指さした。
ユウくんは私の指先を見て、うん? と首をかしげた。
「あ? タスキ? なんで彩さんが……あー、なるほど、そういうことか」
ユウくんは何かが腑に落ちたのか、うんうん、とうなずいた。
「そんで彩さんのそれはなんの遊びなん? なんでしゃべらんの」
だから! 声が出ないんだって!
いや、別に私の声が出ないことなんて、クラスメートくらいしか事情を知らないか……
私は手で喉元を何度かとんとん、と叩いて、声を出そうとした。
でもやっぱり、私の喉からはかすれた変な風みたいな音しか出なかった。
ユウくんはちょっと目を見開いた。
「声出えへんの? へー。それであんなよう分からん口パクとか身振り手振りしとったんか」
う。よう分からん……
まあそうか……私の口パクもジェスチャーも、どっちも誤解されたんなら、そうだよね……よく分からなかったんだよね……
がっくり。
晴くんが何でも分かってくれるから、実は私の口パクもジェスチャーも結構上手で、みんなに伝わってるのかも、っていい気になっちゃってたのかも……
ユウくんは少し私を見た後、ニヤッと笑った。
「そしたら彩さん、口パクゲームしようや」
口パクゲーム?
私が首をかしげると、ユウくんはそれを見てすぐに私の言いたいことが分かったみたいだった。
「そ、お互いに口パクでなんかしゃべって、なに言うてんのか当てるねん」
何でそんなのんきなの!?
ゲームとかしてる場合じゃないでしょ!
だからカナくんが怒ってるんだってば!
私が口をぱくぱくさせていると、ユウくんは立ち止まって私の顔を覗き込んだ。
「んー? なんやこれ。なんて言ってんのかな」
もう、だから立ち止まってる暇はないんだってば……!
私はユウくんのタスキを引っ張った。
『タスキ! カナくんのところに早く持っていこう!?』
ユウくんは私の顔をじっと見てから、はは、と笑った。
「なるほど、これかー。タスキね。確かにこの口の形は大好きって言ってるように見えるな」
いや、納得してる場合じゃないんだってば。
このマイペースな子、どうしたらいいの……
「そしたら次、俺ね。なんて言ってるでしょー」
ユウくんが私を見て、大きな口を開けてぱくぱくと動かした。
え……全然分からない!
えーとえーと、口の開き方からまず母音を確かめて……
お、え、お? あとは……何?
う、口パクを解読するのって思ったより難しい……!
『え』を言ってる時、普通の『え』じゃなくて少し舌を丸めてたから、あれは『れ』?
あ、じゃあ最初は『おれ』って言ったのか!
その後の『お』は一度唇を閉じたから……『も』かな?
『おれも』? って言った?
でもその後が駄目だ。文章みたいに長くなってくるとやっぱりこっちも集中力が続かないから読み取れない……
私が眉根を寄せてうーん、と考えていると、背後から苛立った大きな声が飛んできた。
「おい!」
その声の大きさにびっくりして振り返ると、そこには般若みたいに怖い顔をしたカナくんが立っていた。
「全然十秒で来てへんし! このドアホが!」
「あ? 十秒? なんの話や?」
「うるさい!」
カナくんはつかつかとユウくんに近付いて、ひったくるみたいにタスキを奪った。
「お前のせいでいつまで経っても試合に戻れんやろ! このクソが!」
「ああ? ちょっとジュース休憩くらいしたってええやろ」
「言っとくが、今家の冷蔵庫に入っとるお前のプリン全部俺のもんやからな! それから冷凍庫のアイスも!」
「はー? ふざけんな。なんで全部やらなあかんねん」
「そんくらいの落とし前つけてもらわんと気が済まんのじゃ!」
二人はお互いの服をつかみあった。
え!? まさかここで喧嘩が始まるの!?
私がぎょっとして動けないでいると、静かな声が割って入ってきた。
「おい、いつまで帰ってこんねん。受付に列できとるけど」
は、晴くん、晴くんだ!
体育館の方から、静かなのにめちゃくちゃ存在感を発揮しながら晴くんが歩いてくる。
晴くんが来てくれた……!
私はほっとして声にならない声で晴くん! と叫んだ。
晴くんは私を見て、ほんのわずかだけど表情を緩めた。
それを見た私は無敵な気分になった。晴くんが現れた今、もう心配することなんて何一つない!
つかみあっていたカナくんとユウくんは、晴くんがそばに来たことが分かるとぴた、と動きを止めた。
「……どういうことや? わざわざ見学に来てくれた中学生を受付に放置して、お前らはこんなところで遊んどる。お前らが今やるべきことはそれなんか? 今が何をする時間なんかも分からんのか?」
声を荒げているわけでも、怒った口調なわけでもない。
でも晴くんが話していると、二人はお互いをつかんでいた手を離して、晴くんの前に並んでうなだれた。
「いや、俺はちゃんと受付しようとしたのにユウがタスキ持ったまま消えたんで……」
「俺もちゃんと受付しとったんですけど、喉渇きすぎて脱水になりそうやったんで、超特急で飲みもん買いに行っとっただけで」
「嘘つけ! その後遊んどったやろ!」
「お前やってさっさとタスキ受け取りにこんとぼけーっとしとったんやろ!」
二人が横並びのままお互いをゴンゴン肘でどつきあっている。
でも、晴くんがそこに視線を移すと、再び二人の動きは止まった。
「言い訳はええ。今目の前にある現実は、見学に来た中学生を困らせとる。ただそれだけや」
「「はい……」」
「分かったら今すぐ受付に戻れ。そのまま二人とも時間いっぱい受付を担当する。誠心誠意中学生に向き合え」
「え、そしたら試合は」
そう言いかけたカナくんは、晴くんと目が合った途端黙った。
「ぐっ……」
悔しそうに歯を食いしばり、一度ユウくんの頭をはたいた。それを合図にして、二人は体育館の方へ歩いていった。
……うわー、さすが晴くん……! 一瞬で二人をおとなしくさせてしまった……!
私の方に向き直った晴くんに、私は駆け寄った。
口をぱくぱくさせて、晴くんありがとう! と言う。
晴くんは私を見て申し訳なさそうに笑った。
「……すまんかったな、彩に迷惑かけてもうたみたいや。うまくしゃべることができんのに、あの二人の相手させてもたな」
私は慌てて首を横に振った。
『ううん、あんまりうまくできんかったけど……晴くんが来てくれて良かった』
晴くんは私の頭をそっとなでた。
「遅くなってごめんな」
ああ、やっぱり晴くんは私が伝えたいこと、全部分かってくれる。
口パクを解読するのが上手、とかじゃなくて……いつも私の心を理解してくれようとしているから。
だから私は安心して晴くんに何でも話せるんだ。
私ははっと思い立って、晴くんを見つめた。
私が何か言おうとしているのに気付いたのか、晴くんが私の顔を見つめる。
私は大きく口を開けた。
『タ・ス・キ』
晴くんは不思議そうに首をかしげた。
「タスキ? あいつらが持っとったやつか? あれがどうかしたんか?」
……やっぱり! ちゃんと晴くんは分かってくれる! 私が言いたいと思ったことが何なのか、ただ口の動きだけじゃなくて……私の表情とか、言い方とか、そういうの全部見てきっと読み取ってくれてるんだ。
ちゃんと分かってくれる人がいる。
だから、大丈夫だ。
誰に何て言われようと、どう誤解されようと、私には晴くんがいる。
私たちが信じて見つめ合っていれば、きっと大丈夫。
あの男子部員に誤解されたままで沈んでいた心がふっと軽くなったような気がした。
私は晴くんを見て、にっこり笑った。
『晴くん、大好き!』
私を見つめていた晴くんは、少し驚いたように目を見開いて、そして柔らかな笑顔を返してくれた。




