きみに残る傷・2
私は転んで、花壇の縁のレンガに額を打ち付けていた。
私がユウくんに連れられて保健室にたどりついた時、先に保健室にダッシュしていたカナくんが先生に状況を説明してくれていたので、すぐに私の傷の処置は行われた。
切れたのは眉の上あたりで、ちょうど血管がある部分だったからか結構血が出たけれど、傷自体は深いものじゃなかった。
う……やばい。痛い……
時間が経つごとに傷口がじんじんしびれてきた。
保健室の先生が傷口を洗ってガーゼを当ててくれた。傷は深くはないけれど、一応病院に行った方がいいかも、と言われたので、先生に付き添われてそのまま病院へ行った。
病院では! 全然望んでないのに! 傷口を縫われた!
こ、怖すぎる……! 顔を縫われるとか恐怖以外の何物でもない。でも病院の先生に縫っておこうか、と言われてしまったので泣く泣く従った。
痛み止めの薬ももらって、治療は終了!
はー、怖かった……
顔を縫われるって、私の人生であった怖いことのハイライトだな……
保健室の先生に、このまま帰る? と聞かれたけれど、バッグを学校に置きっぱなしだったので一度学校に戻ることにした。
あー、やっぱり浮かれてぼんやりしてると駄目だな……だからこんなびっくりするような災難に見舞われちゃうんだな……
とほほ、と思いながら学校に戻ると、生徒玄関にユウくんがいた。
ユウくんは沈んだ表情で立っていたけれど、私に気付くとめちゃくちゃ真面目な顔で私を見た。
……あー、これはユウくん、絶対、ものすごく気にしてる……!
私がユウくんの背中にぶつかって転んじゃったから……!
これはいかん、と思って、私はできるだけ明るい声を出した。
「あれ、ユウくん? そっか、もう部活終わってる時間やんね? 私は病院に行ってきてんけど、バッグ学校に置いたまんまやったから戻ってきてん。ほら、ユウくんもはよ帰ったら?」
「……彩さん、マジですまんかった」
私の言葉なんて聞いていないのか、ユウくんは深刻な表情を崩さないまま言った。
「俺のこと、煮るなり焼くなり好きにしてもろてええから。ぶん殴っても蹴り飛ばしても、全身の骨折れるくらい殴り倒してもええから。ほんまにごめん」
めちゃくちゃ物騒なことを言っているユウくんに、私は恐れおののいた。
「な、なに言ってんの!? そんなんせんし! それにユウくんは、えーと、私のこと助けてくれたんやろ? ほら、野球のボールうちらのところに飛んできとったし……私をかばってくれたんやろ? むしろ私、お礼言わな。ありがとね」
ユウくんは私の言葉を聞いて、かえって歯を食いしばった。何かに耐えるように握りこぶしにぐっと力を入れている。
その様子を見て私は更に途方に暮れた。
これ、どうしたらいいの!? 私別に、全然ユウくんが悪いとか思ってないんですけど!?
どっちかっていうと、私が浮かれまくってふわふわした気分でいたから、痛い目見ちゃったなーくらいにしか……思ってないんだけどな……
ユウくんは絞り出すように、小さい声で言った。
「……でも……彩さん、それ……顔、怪我したんやろ」
私の額には大きなガーゼが当てられていた。
あ、ちょっとガーゼが大きすぎた!? それでめっちゃ重症って思われてる!? いやいや、一人で歩いてこれたし、別にそんな大ごとなわけじゃないんだけど……
「えっ!? あ、まあそれはそうやねんけど。でもほら、別に私の顔なんかね? 芸能人でもないし、別にちょっと傷あったってどうってことないしね? あは、でも病院で縫われてもてさー、めっちゃびっくりした! まあ、あんまり顔に傷残らんようにってしてくれたんかもしれんけどさ。えーとえーと、ほら、傷があったら、私がブサイクでも傷のせいで仕方ないかーって言い訳できるかもしれんし……」
あれ、とりあえず傷を笑いに変えちゃおうって思ったけど、なんかドツボにはまってる!? うまく自分を落とすって難しい……!
「それ……もしその傷のせいで、彩さんになんかあったら、全部俺が責任取るから。彩さんを馬鹿にするようなやつがおったら俺がぶちのめすし、もし将来、傷のせいで働けんくなったら俺が養う。俺が全部なんとかする」
ええええ!?
いや、そこまで重大なこと!?
笑いに変えようとしても全然笑ってもらえないし、めちゃくちゃ深刻にされちゃうし、ほんとにこれ、どうしたらいいの……!
私が困り果てていると、校舎から生徒玄関の方へ歩いてくる人影が見えた。
「……彩?」
晴くんだ!
私が声のした方をばっと見ると、帰り支度をすませた晴くんが私のバッグを持ってきてくれていた。
「晴くん」
私は晴くんに駆け寄った。
途方に暮れて苦しかった心が、晴くんが現れたことによって少し軽くなった気がした。
「彩、大丈夫なんか? 話は聞いたけど。病院に行ってきたって」
少し眉をひそめて私の額のガーゼを見つめる晴くんに、私はできるだけ明るくにっこりと笑って見せた。
「血がいっぱい出たからびっくりしてもたけど、大したことなかってん。ズキズキしとったんも、痛み止め飲んだらマシになったし。もう大丈夫」
「……そんならええけど」
話している私たちのそばに、ユウくんがやってきた。
「部長」
ユウくんはまっすぐに晴くんを見つめていた。
「彩さんに怪我させたん、俺です。ほんまにすみません」
体が直角になるくらいビシッと頭を下げるユウくんに、私はまたひやひやした。
いやだから、私は大丈夫なんですけど……
「責任、取らしてください。今後彩さんになんかあったら俺が助けます。それを許可してください。彩さんに傷をつけた責任取らんと気が済まんのです」
うわあああ、だからそんなの気にしないでほしいのに……!
ユウくんは私に野球のボールがぶつかりそうになったところを助けてくれた。もうそれで充分なんだって!
晴くんは静かな表情でじっとユウくんの姿を見つめていた。
それからゆっくりと語りかけた。
「……それは本心か?」
「え?」
晴くんの言葉が意外に思えて、私は目を見開いて晴くんを見つめた。ユウくんも顔を上げて晴くんを見る。
こんなに深刻な表情で、振り絞るみたいに話しているユウくんが、嘘を言ってるって言うの?
「ごまかすな。それは本心なんか、と聞いとる」
「……なに言ってるの? 晴くん……」
私がユウくんに視線を移すと、ユウくんは視線を揺らがせていた。……動揺してる?
「彩に傷をつけた責任を取りたい。それを隠れ蓑にしとるだけなんちゃうか」
晴くんの言葉の意味が私には全然分からなかった。隠れ蓑? どういうこと? ユウくんは何かを隠しているの?
「……悠太がそこまで責任を感じとることに関しては、きっと彩もありがたいと思っとると思うよ。でも、彩が怪我をしたのは不可抗力やろう。悠太は彩を守ろうとした。野球部のボールが当たりそうなところを体で防いだんやろう。でも運悪く彩が転んでしまって、顔に傷を負うことになった。そこは悠太が責任を感じるところちゃう。それなら、ボールを飛ばした野球部の責任は? 花壇の縁取りを固いレンガで作っとった園芸部の責任は? そんな危険な場所に立っとった彩の責任は? 彩に水やりを頼んだ園芸部員の責任は? そこまで考えなあかんくなる」
「……」
ユウくんは黙って晴くんの話を聞いていた。
真面目な……傷ついているような……あきらめているような……不思議な表情で。
「責任という言い訳は分かりやすい。いつでもそばにおる理由になる。でもそれはやがてお互いを縛る鎖になる。きっと苦しくなってくる。責任以外のものを欲してもがくことになる。そんなもんを理由にせん方がええ」
「……なに言ってんの? 晴くん、そんな言い方したら……そんなんまるで」
まるでユウくんが私のそばにいたがってるみたいじゃない。
……なんて言葉はさすがに私の口から言うことはできなかった。
晴くんの言葉を聞いたユウくんは、少し黙った後、大きく息をついた。
そして、今日、この場所で会ってから、初めて表情を緩めた。
「あーあ、やっぱり部長にはかなわんなあ」
両手を組んでぐっと空に向けて伸びをして、ぱっと私を見た時には、いつものユウくんの表情に戻っていた。
「もうちょっとやったのになー。部長の許可さえもらえたら、いっつも彩さんにはりついて常にうまい食いもんもらえるところやったのになー」
「……えっ!? なにそれ、責任って……それが目的!?」
「当然やん。それ以外になんかあるか?」
「だ、だって、私のこと馬鹿にする人殴るとか、仕事できんかったら養うとか……」
「そんなん全部ポイント稼ぎのために適当に言うとるに決まっとるやん。そんなんも分からんの? さすが彩さん、筋金入りのぼんやりやな」
ええー!? 何それ!?
私の戸惑いやら困り果ててうろたえてたこの気持ち、どうしてくれるの……!
「ち、もうちょっとで俺の快適な食ライフが手に入るはずやったのに失敗した。さ、腹減ったからはよ帰ろ」
ユウくんはくるっと私たちに背を向けた。
「そうそう、彩さん、一応詫びに傷パワーパッドやるから、さっさと傷治しや」
背を向けたまま、ユウくんがふわっと小さな箱を私に投げてよこす。
私は慌ててそれを受け取った。
傷パワーパッド……これ、ちっちゃい切り傷とか擦り傷につける絆創膏もどきなんじゃ……
……結局、ユウくんも私の傷なんて大したことないって思ってたってことか!
ああ、またしてやられた……! ユウくんの演技にすっかり乗せられてしまった……




