理性と欲望のバトル・2
おいしそうって思ったお惣菜をいろいろ買ったはずなのに、味なんてほとんど分からなかった。
晴くんと今、二人きりの空間で一緒にいるんだなって……そんなこと考えていたら、こんなの、まるで同棲みたい? 新婚さんみたい? とかいろいろと馬鹿なこと考えてしまって、頭がふわふわして、物の味なんて何も分からない。お腹がペコペコだったはずなのに、あんまり食べられない。
私はずーっとドキドキそわそわしていた。
結局買ってきたもの、ほとんど晴くんに食べてもらってしまった……
デザートも買ってあったけど、とうてい入る気がしなくて、これは後で食べよう、と冷蔵庫に入れた。
……ごはんが終わった!
と、ということは!
とうとういちゃいちゃタイム……!
「え、えっと、ほら晴くん、そしたらソファに座ってゆっくりしよっか!?」
私は立ちあがって、晴くんの腕をぐいぐい引っ張ってリビングのソファへ連れて行った。
ほとんど突き飛ばすみたいに晴くんをソファに座らせて、自分も隣にぼすん、と座る。
えーとえーと、いちゃいちゃって……どうやって始めたらいい? いきなりぴたってくっついたりしていい?
あ、でも晴くんは私の分までたくさんご飯を食べた後だから……
「そうや、食後にあったかいお茶入れるって言ってたっけ」
私は慌てて立ち上がった。
いや、でもここで晴くんから離れてお茶を入れに行ったりして、クールダウンする時間を取らない方がいいの!? このまま座ってる方がいい? 今あったかいお茶を入れたとしても、もし二人でいちゃついてたら、お茶なんて冷めちゃうかもしれないし……!
ええとどうしよう、と私が立ったり座ったりしていると、晴くんが穏やかな声で彩、と私を呼んだ。
「え……」
私が晴くんを見ると、晴くんはそっと私の肩に手を置いた。
……これは、ここからキス、ってこと?
えっと、目を閉じるタイミングってどうだったっけ? もう閉じていい? それとももっと晴くんが近付いて、唇が触れる瞬間くらいに閉じるんだっけ?
私が顔を熱くしながらぐるぐる考えていると、晴くんは声をかけた時の穏やかさそのままで言った。
「……飯も食ったし、俺はそろそろ帰ろうかな。あんまり長居しとるんも申し訳ないし」
……え?
帰るって……
どうして? どういうこと?
私は晴くんの言葉の意味が分からなくて、呆然と目を見開いた。
だってこれから、二人でゆっくりいちゃいちゃするんじゃ……
……あ、違う。それは私が勝手に考えていただけで……晴くんはそんなこと言ってない。
そう、晴くんは、ただ私の家で一緒にご飯を食べようって……それだけ。
本当に、それだけのつもりだったの?
「今日は急に来ることになったから、彩も落ち着かへんみたいやし、あんまり気を遣わせるんも申し訳ないし。次はもうちょっと余裕を持って計画を立ててお邪魔させてもらえたらええなと思うねんけど」
晴くんの言葉は、ところどころしか私の耳には入ってこなかった。
そっか……晴くんは全然いちゃいちゃとか、そんなこと考えてなくて……
ただ純粋に、一緒にご飯を食べようって、それだけだったんだ……
それなのに私は一人で勝手に期待して盛り上がって、うちに来たばかりの晴くんを置き去りにして勝手にシャワー浴びたり、ごはんだって……まともに食べないで晴くんにほとんど押し付けて……
二人でおしゃべりだってまともにできてない。
……こんなんじゃ、晴くんがつまんないって思っても仕方ないか……早く帰りたいって思われても……仕方ないよね……
今まで喜びとかうれしさとか期待とか、そんな感情でパンパンに膨らんだ風船みたいだった私の気持ちは一気にしぼんでいった。
「……彩?」
晴くんが私を呼ぶけれど、うつむいた私は顔を上げることができなかった。
「あの……ごめん、晴くん。そりゃこんなところいつまでもいたくないやんね。私……一人で勝手に盛り上がって……晴くんのことなにも考えられてへんかった。晴くんがどう思ってるかなんて……。私、私だけ、晴くんとくっついたりいちゃいちゃできるかなって、一人で妄想してそればっかり考えとって、邪なことで頭一杯にして……晴くんの居心地悪さとか全然気付いてへんかった。めっちゃ自分勝手でごめん……」
「彩、ちょっと待ってくれ」
晴くんが両手で私の肩をつかんだ。
「彩が謝ることちゃうくて。ただ俺のせいで、彩がそんな風にそわそわして、それこそ居心地悪い思いしとるんかと思って……俺がここにおる限り、一日中仕事して疲れとる彩がゆっくりできへんのやったら、それなら俺はおるべきちゃうって思ってん。彩はなんも悪くない」
「……」
私はゆっくりと顔を上げて晴くんを見た。
「その居心地の悪さは、俺のせいかなって思っとってん。お前は全然邪ちゃうし。そんなわけないやんか。むしろ俺の方が、彩の家に行くって思った瞬間からそんなんばっかり考えとった。めっちゃ期待して、そんなん考えたらあかんやんかって自分を叱っとった。俺がそういうことばっかり考えとったから、きっとそのせいで彩も影響されて、同じように考えてしまったんや。彩一人で盛り上がってたわけちゃうし、妄想しとったわけちゃう。俺の方がずっと考えとった。だからそんな風に自分を責めんといてくれ。むしろぶん殴られなあかんくらい邪なん俺の方やから」
……絶対違うと思う。晴くんは私のためにそんな風に言ってるだけだと思う。
たぶん、馬鹿なことをずーっと考え続けていたのは、私だけなんだと思う。
それでも……
「……晴くんも、邪なこと考えとった?」
「めっちゃ考えとった」
「……どんなこと?」
「それは……」
言いよどむ晴くんに、私は頬を膨らませて拗ねてみせた。
「教えてくれんと、私、やっぱり私一人が妄想してたんやって思っていじけてまうで?」
晴くんはあきらめたように少し笑って息をついた。
それからそっと私を抱きしめた。
「……ほんまに彩にはかなわんなあ」
そう言って、晴くんはゆっくりと私にキスをした。
家って……家って素晴らしい……!
だって、誰もいない。私たちの邪魔をする人も、ものも、環境も、何もない!
私たちはずっと、ずーっとキスをしていた。
幸せで頭も心もとろけてしまいそうだった。
何度も唇をくっつける。少し離して息をすると、その息が唇に、歯に、舌に、口内にかかる。くすぐったさが愛しくて再び私たちはキスをする。
最初は熱かった晴くんの唇。でも今二人の温度は同じになって、今どっちが唇をくっつけたのか分からない。少し乾燥した二人の唇が、離す時に名残惜しそうに引っ張り合う。その感触をまた確かめたくなって、何度もくっつけて、少し離して、を繰り返す。
まるで夢みたい。幸せすぎる。
うちにいるから、私たちはこうやっていつまでも時間を気にせずキスをすることができる。
もっとキスしたい。もっとくっつきたい。
晴くんはぎゅっと強く私を抱きしめる。私も晴くんの背中に腕を回して、自分にできる精一杯の力を込めて抱きしめ返す。でも晴くんの体は大きくて……私の力じゃいつまでも強く抱きしめていることはできない。晴くんはずっと私を包み込んでいてくれるのに。
もっと抱きしめて。ずっと、ずーっとこうしてキスしていたい。一晩中でも足りないくらい。
晴くんにしがみついてキスをしながら、私はほんの少し身震いした。
「……彩?」
晴くんが小さな声で尋ねる。こんな小さな声、キスをしている最中じゃなきゃ聞こえないくらい、ささやかな声。
私はぎゅっと目を閉じて、無念だけれど白状した。
「……晴くん、ごめん。一瞬だけトイレに行ってきていい?」
夜になってきて体が冷えちゃった? いや、でもこんなに晴くんと盛り上がってて、冷えたってこともないと思うんだけど……
「もちろん、はよ行っておいで」
晴くんが笑顔で私の頬にキスをする。
めちゃくちゃ名残惜しいけど生理現象には勝てない! 私は猛ダッシュでトイレに走った。
ああーもう! 私の馬鹿! 雰囲気台無しでは!? これでリビングに戻った時、もう晴くんがキスする気分じゃなくなってたらどうするの!? 絶対嫌だ! もっとキスする!
トイレを出ようとしてはっと気付く。
あ、そうだ、唇が乾燥してかさついてる……!
かさかさしてる唇でするキスもいいけど、やりすぎて皮がむけて血が出ちゃうのも何だし、リップクリーム塗らなきゃ!
私は更に猛ダッシュで自分の部屋に走ってリップクリームを唇に塗りたくった。
よし! これでまだまだキスできる!




