告白
バッグからペンケースと教科書やノートを取り出した花房さんは、よーし! と気合いを入れていた。
こんな俺の馬鹿な思いをよそに、花房さんは真面目に勉強する気でいる。俺もちゃんとその期待に応えなければ。
そう思って俺も花房さんの机の前の座席の椅子をくるっと反転させ、彼女の方を向いて座った。
「ん?」
花房さんがふと顔を上げ、俺の方に顔を近付けた。今までになく花房さんとの距離が近付き、彼女の長いまつげが俺を誘うように揺れた。
「……どうかした?」
そんな風に無防備に男に顔を近付けたら駄目じゃないか、と意味もなく心の中で花房さんをたしなめながら、何食わぬ顔で尋ねる。
「なんか瀬戸くん、いい匂いがする。柑橘系みたいな……」
「柑橘? ……ああ、今朝うちの母親がスダチ絞っとって、その手伝いしとったから制服に汁が飛んどったんかも」
「え! その匂いがまだ残ってるん?」
「柑橘やったらそれくらいしか思い浮かばんけど」
「うーん、ちょっと待って。柑橘ちゃうんかなあ……なんの匂いやろ?」
再び花房さんが俺に顔を近付ける。もし彼女と付き合っているのであれば何もおかしくない行動ではあるけれど、俺たちは付き合っているわけじゃない、ただのクラスメートだ。そんな相手にこんな風に軽々しく近付くなんて。彼女は他の男にもこんなことをしているんだろうか?
「よく分からんくなってもた。でもなんかいい匂いする気がする」
「それは……そんなん、花房さんもええ匂いするけど」
「私? あ! 私、バニラの香りのヘアクリームつけてる! めっちゃ甘くてええ香りやの! それかな?」
「それ……かも分からんけど……確かに甘い匂いがする」
いや、こんなことを言ってしまっていいのだろうか? 女性の匂いのことを俺がどうこう言うのはかなりやばいやつだと思われても仕方ない。
俺の気持ちが分かったのか、花房さんは鼻にしわを寄せて、あは、と笑った。
「めっちゃうちらヘンタイっぽい? お互いにええ匂いやねーとか言い合うん。めっちゃあやしいやんね」
「あやしい……かもしれんけど。でもお互いが不快に思ってへんのなら構わんと思う」
「なるほどー。確かにそうやね」
こんな言い方をするということは、花房さんも不快には思っていないということか。
花房さんは笑顔でうんうん、とうなずいている。うなずくたびに、すっと伸びた首に顎の影が落ちる。顔を動かすたびに色素の薄い髪が揺れて、キラキラした飾りが風に吹かれたなびいているように見えた。
ああ、駄目だ。目の前にいる花房さんが魅力的すぎる。そんな気はなかったはずなのに、今すぐにでも彼女を手に入れたくなる。今二人だけでいるこの瞬間、彼女をこの手に抱きしめたいという欲求が湧き上がってくる。
駄目だ、俺は何を考えているんだ。邪な自分の気持ちを抑えようとして、思わず彼女を遠ざけるような言葉が口をついて出た。
「それより花房さん、そんな軽々しく男相手に近付いたらあかんよ。花房さんはなんも思ってへんのやろうけど、その行動は男を誤解させる」
「え?」
いけない、どうしてこんな風に彼女を責めるようなことを言ってしまったのだろう。彼女は何も悪くないのに。
俺の言葉を聞いた花房さんは驚いたように目を見開いた。
「いや、ごめん。その……花房さんは魅力的やから、今みたいに近付かれたら、男はなんか意味があるんやろうかと勘繰ってしまうねん。そんなこと思うんは男の方があほやからなんは確かやねんけど」
いや、これでは俺が花房さんのことを好きだと白状しているようなものじゃないか。そこまでのことをするつもりはなかったのに。確かに彼女に自分の想いを伝えてしまいたい、と考えてはいたけれど、それは絶対に今のタイミングではない。
普段は自分が他人と話をする時、自分が何を話しているのか、その言葉によって相手がどのような反応を返すのか想定しながら話すことができるのに……。どうして俺は彼女を前にするとうまく振る舞うことができないのだろう。
俺の言葉を聞いた花房さんは目を泳がせて唇をかみ、心持ち視線を下に向けた。
「えっと……ごめん、そんな……瀬戸くんが嫌がってるん分からんくて。私、なんも考えなさすぎやんね。友達とかと同じ感覚で瀬戸くんに近付きすぎてもた」
「嫌がってない」
焦ってしまったせいで花房さんの言葉にかぶせるように否定の言葉が出た。花房さんを嫌がる? そんなことは天と地がひっくり返ってもあり得ない。俺の言葉はほとんど告白になってしまったと思ったのに、彼女は全然その意図を汲んでいなかったのか。
落ち込んだ顔を見せる花房さんに焦燥感が募る。そんな顔をさせたいんじゃない。俺が君を嫌がることなんて絶対にない。そう伝えなければ。
「嫌なわけないやん。俺が花房さんにされて嫌なことなんかひとつもない。いつも楽しそうに俺に話しかけてくれるんがめっちゃうれしかった。今日は花房さんと話せるんか、声を聞けるんか、会えるんかって考えるだけで毎日学校に来るんが楽しみで仕方なかった。ただ……その笑顔を他のやつにも見せてるんやと思うと辛くなるだけやねん。それやったら俺も含めて、誰にも見せてほしくない。そう思っただけやねん」
ああ、俺は何を言っているんだろう。それはまるっきり告白と変わらなかった。こんなに無様でみっともない告白があるだろうか。花房さんに告白をするのであれば、もっとタイミングと場所を考えたうえで、まっすぐに好きだと伝えたかったのに。それがこんな風に卑屈で恨み言のようなセリフで自分の気持ちを表すなんて。
突然まくしたてるように話した俺の言葉を、花房さんは大きな目を見開いて聞いていた。やがてその意味するところを理解して、頬を赤く染めた。……どうやらやっと俺の気持ちは伝わったらしい。でも俺の告白は残念ながら報われることはないだろう。現時点で、どう考えても彼女の中で俺はそのような対象ではなかっただろうから。そもそも俺自身は、彼女に受け入れてもらえるような人間なのだろうか? 問題はそこからなのに。
「えー、ええ……でも瀬戸くん、なんで……」
彼女の言うことはもっともだった。俺にとって花房さんを好きだという気持ちは、いつの間にかあまりにも深く心の中に刻み込まれていて、まるで生まれた時からその気持ちを持ち続けていたかのように当たり前にあるものだったけれど、彼女にとってその気持ちは突然現れたように見えるだろう。彼女には、なぜ俺が彼女を好きになったのかきっと想像することができない。
これ以上みっともない姿を見せずにすむよう、俺は深呼吸をした。
「……好きになるのに理由はあらへんよ。花房さんにとってはいきなり知らされた気持ちやろうけど、俺はずっと花房さんのことが好きやった。好きになってもらえたらええのにと思いながら接しとった。でも……だからと言って無理に君と付き合いたいとか、無理に好きになってもらおうなんてことは考えてへん。俺は君が心の底から願うように行動することを望んどる。ただ……俺の願いは、ただ君に笑っていてほしい。俺は君の幸せそうな顔を見るんが好きやねん。……だから、俺のことを好きになってくれ、とは言わへん。でも笑顔だけは見せてほしい。そんな風に思っとる」
花房さんは両手で自分の口を押さえて俺の言葉を聞いていた。顔を赤くして、でも真剣な表情で。
もっとましな告白をしたかったものだけど。でもちゃんと、彼女を好きだということは伝えられた。その俺の気持ちを彼女がどう受け止めるのだろうか。
もしかしたら迷惑だと拒絶されるのかもしれない。今後は親しい友人にすらなれないのかもしれない。俺の気持ちは宙ぶらりんのまま葬り去られるのかもしれない。
でも、もうこの際それでもいい。
これ以上その気持ちが存在しないように振る舞うのはきっと俺には無理だった。
彼女のことが好きでたまらなくてあふれ出た気持ちを、ただあふれたまま垂れ流し続けることはできなかった。
彼女がそれをすくい上げてくれるのか、それとも捨てられてしまうのか……
彼女には悪いけれど、それは彼女自身に決めてもらうしかなかった。




