きみの世界を知りたい
私は図書室で今日の課題をやっていた。
いつもは補習の後、疲れきって図書室で寝ちゃうことが多いんだけど、今日は晴くんのおかげで分からない問題にいつまでも悩まされることなく、すんなり補習が終わったので、脳がまだ元気だった。
まあ、課題だって私には難しくてほとんど解けないんだけど……
でも分からなくて間違えまくって解答欄が修正で真っ赤になってもとにかくやるだけはやる、っていうのが私のやり方だった。まったく自慢できることじゃないけど。
間違えまくっている解答欄を正答の赤で埋め尽くしていると、部活を終えた晴くんがやってきた。
「あ、晴くん。おつかれさま」
晴くんにニコッと笑いかけると、晴くんも同じように私に笑顔を返してくれた。
「彩は課題やっとってんな。おつかれさま」
私はいそいそと教科書やノートをバッグに片付けて席を立った。
「晴くん、今日はびっくりした! まさか補習に晴くんが来るなんて誰も思わへんもんね。先生もびっくりしとったやん」
「そうか? 別にテストの結果次第で誰だって補習を受ける可能性はあるねんから、なんもおかしくないと思うけど」
「だから、晴くんがそんな点数取るんがおかしいんやん。現に確認テストも晴くんは余裕やったやん。みんなに完璧に教えられるくらいやったし」
「まあそれは……俺が力になれるんなら、できることはやるべきやと思っただけや」
「へへ、でもそんなんはほんまはどうでもええの! 晴くんと補習も一緒におれたんがうれしかったから」
私はぴたっと晴くんの腕に体をくっつけた。放課後だからね! 周りに人はいないし、これくらいは大丈夫ってことで。
今日は晴くんが一緒だったけど、本来なら絶対晴くんは補習を受けるような人じゃないので、こんなのはこれっきりなんだろうなあ。
「今日一緒に補習受けて分かったけど、確かにあれはしんどそうやなあ。苦手なことを分かりやすく教えてもらえるわけちゃうくて、ただの授業の延長やもんな。先生も忙しいからしゃあないんかもしれんけど」
「え……」
晴くん、そんなこと考えながら補習を受けてたんだ?
「補習の内容について改善を求めてもええんかもしれんけど、俺がそんなんをやるんは出すぎやと思われるかもしれんし、ちょっと難しいかもな。でも意見書くらいは出してみてもええかもしれん。俺が出したというより、補習を受けとるメンバーの連名にして」
晴くんの言葉に私は驚くばかりだった。
私たちが普段、ただひたすら苦痛に耐えるように受けているだけだった補習を、晴くんはそんな風に受け止めていたの?
分からないものを分からないまま、途方にくれながら過ごしていた時間を、晴くんは変えようと考えてくれるんだ。
「晴くん、すごすぎちゃう? できすぎの学級委員やん。補習に苦しんでるクラスメートのためにそこまで考えてくれるなんて」
晴くんは私を見て笑った。
「どっちかっていうと、俺は彩のことだけ考えてるねんけどな。そんなできた人間ちゃうし。彩がいつも頑張っとるんを見とるから、その努力が少しでも報われる形が作れたらな、と思っただけや」
晴くんの言葉に胸が熱くなる。
晴くんはいつでも私のことを考えてくれている。そして考えるだけじゃなく、行動でも示してくれる。ほんとにすごい。こんな人が私を好きでいてくれるなんて。
「でも……その私のこと考えてくれてる行動が、結局みんなのためにもなってるってことやろ?」
「中にはそんなん余計なことやって思っとるやつもおるかもしれんけどな。それでも俺は彩の状況が良くなることをしたい」
うん。分かってる。全員が漏れなく納得いく形なんてそうそう作れないよね。でも、身近な人のことを考えることから始める。そして行動に移す。そうやって晴くんは私の世界をより良く変えようとしてくれるんだ。
私は晴くんの手をきゅっと握った。
「……ありがと、晴くん。晴くんて、いつも私のうれしいことばっかりしてくれるんやね」
「俺がやりたいと思ってることやっとるだけやから、それで彩がそう思ってくれるんやったら俺にしたらラッキーやな」
晴くんはそっと私の指に自分の指を絡めた。そんな風に指一本一本が絡まり合っていると、すごく胸が熱くなって、うずうずしてたまらなくなる。
心臓が痛くなるくらいどきどきするけれどうれしくて、私は絡まった指をぎゅっと握りしめた。晴くんの指、手のひらは私より厚くて、硬かった。そして熱い。晴くんの熱が手のひらを通して私に伝わってくる。
「……ね、晴くん、教えてもらっていい? 結局晴くんは、なんでわざと補習を受けたん?」
「え?」
「ほら、テストで名前書き忘れたり、良くない点数を取ったん、全部わざとなんやろ? なんで? それ、私が原因なん?」
晴くんは私の顔を見て、どう答えようか少し考えているようだった。
「……いや、彩のせいとかそういうわけやなくて」
「別に私、気にしてへんから、私のせいって言ってくれて大丈夫やで? ただ知りたいだけやねん。どうして晴くんが補習受けようって思ったんか」
晴くんは、つないだ手の親指で、私の手の甲をゆっくりとなでた。
「俺は……ただ、いつも彩が受けとる補習がどんなんか知りたかったというか……。佐野が、彩と自分のことを指して俺らの気持ちは分からんって言うとったんも、ちょっともやっとしたし。俺らってひとくくりにされるんが……だから俺もその『俺ら』の中の一人になりたかってん。彩がいつもいる世界の一員になりたかった」
「え……晴くん、そんなん思うん? 私みたいな落ちこぼれの一員になりたいなんて」
「いつも言うとるけど、彩は落ちこぼれなんかとちゃうし。ただ少し勉強が苦手なだけやろ。それはただの個性や。それで補習受けて、あんな風にみんなで協力しあって問題を解こうと話しあう。ちゃんとチームワークをあの場で学んで実践しとるやんか。そういう場を知れて良かったと思っとる」
私は目をぱちくりさせて晴くんを見つめた。
何から何まで、晴くんは私とは考えていることが違う……
でも、ひとつだけ分かること。それは、晴くんがいつも、誰よりも私のことを考えてくれているってことだ。
佐野くんとのことでちょっとやきもちを焼いたり、そのもやもやを行動力で解決しようとしたり。
いつもまっすぐ私のことを見てくれている。
本当に……なんて人なんだろう。こんな風に、晴くんの行動や考えを知るたびに、いつも晴くんを好きな気持ちが大きく膨らんでいく。毎日のように『好き』が更新されていく。
私は晴くんの腕に自分の顔をすりつけた。
「晴くん、ありがとね。晴くんのおかげで、私ほんまに毎日めっちゃ楽しくて幸せや。こんなに幸せで大丈夫なんかって心配になるくらい。毎日晴くんに会えて、話せて、こうやってくっつけて……ほんま幸せ」
晴くんは、つないでいるのとは反対の手で優しく私の髪をなでた。
「彩にそんな風に思ってもらえるんやったら、俺が毎日過ごす中でやっとることのすべてが報われる。俺の方こそありがとう。彩のおかげで俺の毎日はめっちゃ充実しとる」
ああ、すごくどきどきする。晴くんにもっとくっつきたい。もっと二人でいたい。もちろんここは学校だし、そんなことできないけど……
ほんの少しでも二人が接している部分が多くなるように、私の髪をなでている晴くんの手に頬をくっつけた。
晴くんの手がぴくり、と反応する。でも離したりしないで、そのまま私の頬を包み込んだ。
ふわっと松脂の香りが鼻をかすめる。
晴くんの手は大きくてあたたかい。じわじわと心地良さが全身に広がっていく。
「……晴くん、今度……補習がなかった日とか、早く終わった日、ハンドボール部の練習見に行ってもええ?」
「うちの練習?」
「うん。晴くんが私の補習に来てくれたみたいに、私も晴くんがいる、私の知らん世界を見せてほしい。もちろんその中に入ることなんてできへんけど、晴くんがどんな場所で過ごしてるんか見せてほしいねん」
「そら別にかまわんけど……うちの練習なんか見とったって、地味で面白くないと思うけど」
「ううん、少しでもいっぱい晴くんの姿を見てたいねん。……あかん? 私がおったら邪魔?」
考えてみれば、自分が練習に集中しなければいけない場所に他人が……彼女が来たりしたら、気が散ってしまうかもしれない。それならできるだけ誰の目にも触れないように、こっそり見るようにするから。邪魔にならないようにするから。
晴くんはそっと私の頬をなでた。
「邪魔なわけあるか。彩が見てくれとると思ったら、張り切りすぎてまうかもしれんけど、いつもよりさらにやる気が出るだけで、邪魔になるなんてありえへん」
「ん……そしたら、見に行くね。その前に補習をなんとかせなあかんねんけどさ!」
私は肩をすくめてペロッと舌を出した。そう、とにかく私は補習を乗り切らないとね!
晴くんが私を見て優しく微笑む。私も晴くんを見つめる。
……この時間がずっと続けばいいのになあ。
放課後の、二人きりで過ごすこの時間。
二人で過ごしている瞬間は、ものすごく濃密で時間の流れがゆっくりなように感じるのに、終わってしまうとあまりにも短い。
私たちがずっと一緒にいられるようになるのはいつなんだろう?
そんな日が、いつか来るのかなあ?
一緒に過ごしているのに、こんなにもあなたに焦がれている。
これが……恋なのかなあ。
恋って、考えられないほどの幸せを私にくれるのに……同時にこんなにも苦しいものなんだな。
ねえ、晴くんはどう思う?
晴くんも私と同じように、幸せなのに苦しくなったりするの?
愛しそうに、ゆっくりと私の頬をなでる晴くんに聞いてみたかったけれど、この心地良さを途切れさせたくなくて、私は何も言えなかった。




