からかい
休み時間、トイレに行こうとしたら、手洗い場で泣いている女子を他の女子が慰めていた。
「……なんでなん? 信じられへん。瀬戸くんが……。ずっと好きやったのに。どんな女の子にもなびかんくて、毅然としてるんがめっちゃ好きやった。それやのになんで」
「ほら、元気出して。すぐ別れるかもしれんやん? そんなん分からんやん。瀬戸くんやってそのうち気が変わるかもしれんし」
「瀬戸くんは絶対誰のものにもならんと思ってたのに……それやから私、安心して好きでおれたのに」
「一時的な気の迷いってこともあるかもしれんやん」
ぐさぐさぐさ。
言葉のナイフが突き刺さる……
トイレ、行けないじゃないか……
仕方がないので私は下の階のトイレに行った。
こんなの分かってたことだ。晴くんのことを好きな女の子がいるって。その子を傷つけることになるって。分かってたことだ。
気の迷い……すぐ別れる……そんな風に思われてるのか……
いや、そう思うのも当然? 自分が好きな人に、彼女ができた。そうしたら、その人が彼女と別れるように願うのは当然?
……その気持ちが分からないのは、きっと私が失恋したことがないからなんだろう。誰かを本気で好きになったのが、晴くんが初めてだから……他人の不幸を願うくらい誰かのことを好きになったことがないから。だからきっと分からない。
……やだな。こんな気持ち。
ため息をつきながら教室に戻っていると、教室の前で今度は補習仲間の男子生徒に呼び止められた。
普段であれば、どうしたん? と気楽に応えることができたけど、さすがに今はそんな気分にはならなかった。
「花ちゃんや。なあなあ、どうやって瀬戸を落としたん? やっぱりあれ? 放課後の教室で二人きりでさー、勉強以外のことしとったってこと? 誰もおらんくなってからなに教えあっとったん?」
にやにや笑いながら話しかけられ、かっと頭に血が上った。
……何それ。どうしてそんな……
確かに、放課後の教室で二人で話していて……それで付き合おうって話になった。それは確かだけど。
だからってどうしてそんな言われ方しないといけないの。
この人はどんな想像をしているの? 放課後の教室で……二人っきりで……私が晴くんを誘惑して? 人に言えないようなことをして、それで晴くんと恋人同士になったって、そう言いたいの?
頭が熱くなって、腹が立って、ショックで、私は何も言えなかった。
わけの分からない悔しさで涙が出てくる。
私はぱっと顔をそらした。むかつきすぎて男子をにらんでしまいそうだったけど、視線を向けるのすら嫌だ。
私が唇をかんでうつむいていると、突然いてえ! と大きな声が聞こえた。
声に驚いて顔を上げると、男子が肩をすくめて頭を抱え、後ろを振り返り叫んでいる。
「てめえ、瀬戸! 下敷縦にして殴ったらめっちゃ痛いん知らんのか!」
「知っとるからやってんけど」
「はあ!? なんやねん!」
「お前は人の話をなんも聞いてへんな。人の言葉を理解せんのなら手を出して分からせるしかないやんか」
「クソが! 人のこと馬鹿にしくさりやがって!」
「俺らのことで聞きたいことがあるんなら花房さんやなく俺に聞け言うたやろ。それを無視して、更にセクハラまがいの発言するとか、目も当てられん。お前が口を開くたびに実力行使せな分かるようにはならんのか?」
晴くんの声は冷たかった。そして迫力があった。すごく落ち着いた口調なのに、めちゃくちゃ怖い。怖いけど……私には頼もしかった。
晴くんは本気で怒っている。私を傷つけようとする声に本気で立ち向かっている。それが分かった。そして晴くんのその行動が、私には泣きたくなるくらいうれしかった。
晴くんの迫力に、男子はかなりひるんでいた。
「……なんやねん、俺はただ誰もが気にしとること聞いたっただけやろ」
もそもそ話している男子に、声が聞こえていた周囲からは冷たい視線が向けられていた。
「うわ、ほんまサイテー」
「瀬戸が言うとったこと、まじでなんも聞いてへんかったんやな」
「そんで彩ちゃん泣かせるとかまじでその口縫い付けて二度と開かへんようにした方がええんちゃう?」
「そんだけ人の言うことなんも頭に入らへんから0点ばっかり取っとるんやろ。自業自得や」
四面楚歌の状態に、男子はついにあきらめたように目を閉じ天井を向いた。
「クソ、分かったって! 俺が悪うございました! 花ちゃん、瀬戸、すまん! 許してくれ! もう二度とお前らのこと聞かん! これでええか!」
「口では何とでも言える。お前が言ったその言葉、行動で示せた時点で初めて俺らは許すことができる。覚えといてくれ」
「分かった言うとるやろ!」
男子はそう言ってずんずん廊下の先の方へ歩いていってしまった。……ん? もうすぐ授業始まるけど……サボるつもりなのかな……
彼が完全に私の視界からいなくなったことが分かると、ほっとしたせいか気が抜けてしまって……ぼんやり突っ立っている私のところに、晴くんがやってきた。
「花房さん、ごめん。花房さんの言うことがきっと正しかった。俺らのことは秘密にしておくべきやったんやな。そうすれば花房さんがこんな嫌な思いして、傷つけられることもなかったのに」
「え……」
苦しそうに話す晴くんと目が合う。
そういえば私の目には涙が浮かんだままだった。私は慌てて両手で目をこすって涙を拭きとった。
「ほんまにごめん」
すごく哀しそうな目をした晴くんを見て、私も哀しくなってきた。
……そんなこと言わないでよ。そりゃ、私もついさっきまで、やっぱり付き合ってることなんて言うんじゃなかったって後悔していたけど……
「ううん、謝るんなしやで。瀬戸くんはちゃんと私のこと守って助けてくれたやん。瀬戸くんがビシッと言ってくれてすごく安心した。だから大丈夫。それに」
私は周りで私たちの様子をじっとうかがっていたクラスメートの方を見た。
「それに、みんなも加勢してくれたやん? ありがとう。みんながあんな風に言ってくれたから、めっちゃ私心強かってん。なんか……私、ええ人らに囲まれとるんやなって思った」
ちょっとこれは盛ってるんだけど。みんなによく分かんないコソコソ話をされている時は辛いなって思ってたけど。でもそんな人たちでも、今、晴くんの言葉に同意して、私を傷つける言葉は良くないってあの男子に言ってくれたんだよね。てことは、みんなもそう思ってるってことでいいんだよね? 周りの人たちがそう思ってくれてるんなら、それは私にとってすごくありがたいことだから。
私がカラ元気でみんなにニコッと笑いかけると、クラスメートたちは顔を見合わせた。
「いや、そらあかんことはあかんことやろ。あいつはやりすぎやって思ったし……」
「ほんまやで。セクハラとかありえへんもん。絶対ナシ!」
何となく、周りにふわっとした共通意識みたいなものが芽生える。すぐにいじられてしまって、それに言い返すこともできない落ちこぼれの私をクラスで守らなければならない、という雰囲気が瞬間的に生まれていた。




