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封の火  作者: 八月朔日八朔
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プロローグ ~ 一章・異国の少女

 事実である。


 1959年――プラハ特許庁で、奇妙な特許が受理された。

 特許ナンバー91304のそれは、「剃刀の刃を再生する」という、一見には地味な内容である。しかしながら、その再生方法というのが特筆すべきユニークさを携えていた。


 その方法とは、ある模型の中にただ入れておくだけというものだ。

 では模型の方に何か細工があるのかというと、そういうわけでもなかった。


 ただ、精密である事、それも厳密に精密である事だけが要求されていた。

 一辺の長さ、そして角度。


 厳密に──精密に──


 それはそっくりそのまま、大ピラミッドの千分の一のサイズの模型でなければならなかった。

 逆に言えば、ただピラミッドの精密な模型であれば良かった。


 その中に剃刀を入れておけば、その刃が再生するという──なんとも奇妙な特許であった。


  *


 娼婦か、と一瞬考えたが、どうにも様子がおかしかった。

 胡乱な視線を漂わせながら、雨に打たれ、のろのろと歩む女は、この村の者ではなかったし、少なくとも(しょう)には見覚えがなかった。

 不安を煮詰めた表情を浮かべているその女を娼婦と見紛ったのは、服の布が足りておらず股の付け根まで見えるほどに大腿部が晒されている事と、その顔に幾許かの化粧のあとを認めたからである。

 しかし娼婦が客を取るにはまだ日は落ちきっていない。それに──雰囲気が娼婦のそれではなく、どちらかというと宿無しのそれであり、晶は少し脳を働かせ似つかわしい言葉を見つけた。


 ──迷い子。


 勿論、大人の女である。しかしその雰囲気は、保護者を見失った幼児が纏っている、不安と、覚束なさと、そういった感情を織って布にして纏っているような。女が身につけている布は──覆っている面積が少ないようにも見えるが、しかし一見して質の悪いものではない。


 察するに、性質の悪い破落戸に攫われ、乱暴され、上被を盗まれたのか。

 哀れに思いながらも、その女から目を離せなかったのは、美人だったからである。あまりにも露わな格好で、男の自分がじろじろ見ては気の毒だ、と──思いながらも、目の離せない程度には美人だった。

 おもむろに視線を泳がせる女は、見知った土地ではないことに戸惑っているようにも見える。


 不意に視線が噛み合った。


 晶はずっとその女から目を切らなかったし、女は目線を漂わせていたのだからいずれそうなるのも必然であろう。

 やはり美人だ。

 正面から見据えて、そう思う。晶は一拍置いて目を逸らそうとしたが、思いもかけず女は歩み寄ってきた。

 眼の色を読む。驚愕と、不安と、それと懇願。女の方から目線を逸らすと思っていただけに、意表を付かれ、女が思考の混濁した眼を携えて、緩々と近付いてくるのをただ眺める事となった。


 女は言った。──何かを。


 何かを言っている。晶には、女が何を言っているのか全く分からなかった。

 内容ではない。言葉だ。

 異国の言葉ではあるだろうが、それがどこなのか見当もつかない。何かを言う女を手で制して、晶は言ってみた。


「俺の言ってる事、分かるか?」

 女は黙り込んだ。眼の色には驚愕が強く出ていた。

「分からないんだな?」


 女の眼の色には、軽い絶望のようなものが混じっていたかも知れない。しかし女は話した。やはり晶には分からなかった。ただ、ここに放っては置けないという事は分かった。

 街ほど性質は悪くなくとも、この村にも破落戸がいないわけではない。おそらくこいつは──異国から、どこぞの富豪に売られてきた奴隷なのだろう。それも労働力としての奴隷ではなく、性的なものとして。これだけの器量ならそれも不思議な話ではない。そしてそこから、逃げてきた。

 そう思うと辻褄が合うように思う。初め乱暴されたと思ったが、それにしては衣服の乱れがない。勿論、乱れていないだけで衣服そのものは下服のようではあるのだが。


 身振り手振りで自分についてくるように示すが、女は何かを話している。──訴えている?

 残念ながら晶には女の言っている言葉が分からない。

 服だけでも都合をつけてやった方がいい。女物の服は持っていないが、長屋に戻れば何とでもなるだろう。晶は手招きをして女を促したが、しかし女は困った様に立ち竦み動かなかった。

 何度か振り返り手招きをしてみたが女が動くことは無かった。

 手を引いてまで連れて行くのは触りがあろう。晶は仕方なくその場を離れた。最後に振り返った時、女は既に遠くにいたが、視線だけは繋がった。晶はこれが最後と手招きしてみる。

 やはり女は動かなかった。


 再びその女を見たのは二夜も経た後である。

 降り続けた雨が漸く上がり、そこかしこに出来た水たまりが朝日を照り返している。

 女は、大木を背に力なく座り込んでいた。


 自身の膝に顔を埋めているためその表情は定かではない。だがその様子からは憔悴が見て取れた。何処で露を凌いだかは分からない。あるいはこの二晩、雨に打たれるままだったのか、衣服は酷く汚れていた。


 汚れてはいたが、その布の珍しさには見覚えがある。あの時の女に間違いない。

 晶は声を掛けてみた。反応はない。

 骸か?

 近付いてみる。

 僅かだが動いている──ように見えた。


「どうした」


 晶は女の肩を揺らしてみた。あまりにも筋肉の乏しい華奢な感触に一瞬たじろぐ。「おい」

 強く揺すってみる。女の頭がぐらりと弧を描き、重力に旋毛を掴まれたように天を仰いだ。女の顔にはどっしりと汗が張り付いていた。

 小刻みに、苦しそうな呼吸音があった。

 女の顔に触れてみる。


「……いかんな」


 こういう時に、捨て置けぬのが性分である。腕を引き背負ってみる。女はそれを抱える晶よりかなり上背があるようで、引きずるような形になった。女でこれほど背が高いというのは珍しい。

 しかしさほど重くはない。


 さっき肩に触れた感触を思い起こしながら晶は思う。上流階級の人間だろうか。晶には、その女が鍬を持つようにも笠を編むようにも思えなかった。言葉が通じないのだから異国の者であるのは間違いないだろうが、相当に身分の高い出自なのかも知れない。

 そんなことを考えながら、背中にある火照ったそれを黙々と運ぶ。

 女の両足が地面に轍を刻んだ。


 さて女を寝かせ、やや躊躇ったが衣服を脱がそうと試みる。

 しかしなんとも──どういう構造の服なのかぱっと見ではよく分からない。果たしてどうやって脱がすものなのか。布を触ると恐ろしくきめ細かい。やはり高貴な身分なのだろうか。

 はっはっと苦しそうな息遣いがある。一旦水を取ってきて口に含ませた。ちゃんと飲み込めている。

 やはりこの、濡れた衣服はこのままにはしておけまい。


 衣服はどうやら上下に分かれているようだ。上は模様をあしらった白い布で、下は黒い布の腰巻。丈が短いのでこの上に何かを羽織るのだろう。盗まれたのか、あるいは下服のまま逃げてきたのか。

 手ぬぐいで女の首筋の汗を拭いながら、襟の辺りを引っ張ってみる。布を合わせているところはないように見える。

 下から上に捲って、頭の方から剥ぎ取れば良さそうだ。腹の所の布を捲り、手を回して背中の方も捲り上げる。二枚重ねになっている布も一緒に捲り上げ、どうにか腕から引き抜いた。


「……これも服か? 妙な服だな」


 なんとも奇妙な服だった。

 乳房を覆うように椀のような形の布が張り付いている。それを支えるためなのか、椀から紐が伸び、肩に掛かっている。摘まんでみると、布の中に芯が通っているようで、少々堅い。引っ張ってみると外れそうだが抵抗がある。


「背中を渡っているのか」


 これも同じように頭の方に引っ張って引き抜いた。上半身の汗を拭いとり、自分の服を二枚ばかりかけておいた。

 足の方の黒い布は、腰のあたりに引っ掛かりがある。臍の下の辺りで絞ってあるのだが、紐も帯も見当たらない。これも頭から抜くのだろうか。両の膝を裏から抱え、持ち上げて腰を浮かせる。そうしてから黒い布を背中へと追いやった。掛けておいた服を一旦取って、頭から引き抜く。

 乳房のあたりでつかえて抵抗があったが、力を込めると何かが弾けるような音と共に、やっと布を剥ぎ取れた。もはや晶は、この病人が貴族である事を疑っていなかった。この布の肌触りは、庶民のものではあり得ない。


 最後に残った白い布は、これはさすがに目を背けて剥ぎ取った。矢張り少々障りがあり、あまり見ては気の毒だ。

 とは言っても汗と汚れは拭う必要があり、全く見ないというわけにもいかない。

 湿らせた手ぬぐいで、肩から背中にかけて臀部までを拭いてやる。汗と雨が混ざりあって、べたべたと張り付くような感触がある。仰向けにして、内股から足の先まで丹念に拭う。くるぶしの辺りまで足を覆っている袋に気付いて、これも濡れているので外しておいた。


 果たして高貴な女であっても、躰の作りに違いはないらしい。

 汗をすっかり拭い去ると着物を二枚ほど掛けておき、脱がせた服は泥を落として干す事にした。

 さて薬だ。

 水が飲めたのだから煎じれば飲めるだろう。水に溶かし込み椀を口元にもっていき、流し込むと喉が動いた。意識が混濁している様子だ。


 ゆっくりと時間をかけて全て飲み込ませ、出来る事はやりきったと一息ついて、自分のために茶を沸かした。

 一服したら隣の奥さんに女物の着物を借りに行くかと考えながら、丈が足りないのはどうしようかと思案する。

 女を見ると、苦し気な表情ではあったが、寝息のようなものを立て始めている。

 蟀谷に滲んだ汗に手ぬぐいを押さえつけると、なぜか先程目に焼き付けた裸体がよぎって思わず頭を振った。

 しかしまあ白い肌だった。

 それが高貴がゆえか、あるいは異国の者だからなのか、晶には分からなかったが。

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