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復讐  作者: 樋口 涼
―宮木亜希と宮本亜妃―

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30

今まで関わったあらゆる人達の声の幻聴が、思考をかき乱す。

歩く暗い道の左右から、白い手が生え伸びては自分を掴む。


「助けてくれなかったお前達が」


憎くて憎くて仕方がない。

だけど…。


目の前に現れては消える幻影を、追いかける自分も居た。


「愛されたい」


母親に抱きしめて欲しかった。


「愛されたい」


父親に存在を認められたかった。


「愛されたい」


兄や姉に優しくされたかった。


「愛されたい」


お母様に褒めて欲しかった。


「愛されたい」


お父様と遊びたかった。


「愛されたい」


悠衣…貴女にも。


頬を伝う涙が、音を立てた。

ぽつぽつと、雨の様に鳴る。


彼女は暗い夢の中で、藻掻き足掻いた。

そして、掌で顔を覆い、叫んだ。


声にならない声が辺りを振動させ、震える全てのモノに罅が入っていく。

自分の身体も全て巻き込み割れ、その線が繋がった時、バラバラに砕けた。

立っていた暗い世界も自分も。


全てが壊れて散り散りになり、煙の様に消え、窓を穿つ様な勢いで降る雨の音が耳に届き始めると、夢は川を流し始める。

濁流が世界を…壊れて消えた筈の身体を、揺らしている。


揺れているのは現実での亜妃だった。

振り始めた雨が波を高くし、船を揺らしていた。

ベッドと共に、寝ている体も揺れる。


薄っすらと意識が戻った亜妃は目を開け、今いる場所が自分の割り当てられた部屋のベッドだと、すぐに気が付いた。


吐き気が襲い、ベッドを這いずり近くに在ったごみ箱に手を伸ばし、引き寄せ吐いた。

酸っぱい胃液と炭が混ざった液体が、びちゃびちゃと音を立てて袋の中に落ちていく。

サイドテーブルには水があったが、手を出す気にはなれない。


頭はクラクラとしながら、薄れゆく夢を追いかけようとする。

瞼も重い。

身体は寒さで震えていたが、かけられた布団を引き寄せられる程、力も無かった。


ベッドへ力なく寝転ぶ。

手の届く所にティッシュが有って良かった。と、二枚取って口を拭いた。

それも、ごみ箱へ投げた。

入ったのか入って居ないのか、確認する事も無いまま、口内に残った気持ち悪さと酸っぱさを、解消する手立てを考える。


口の中を拭くか?


ティッシュに手をやろうとしたが、いつかの…盗みを追及されている時の兄を思い出しやめる。


アイツ、並んで座らされてる時…。

ティッシュ食ってたな…。


白状しない為なのか、口一杯にティッシュ詰める顔は、忘れられなかった。

そんな異常な行動をしている兄に、確信を持ち切れず亜希にも疑いを掛けた母親の無能さを、思うと情けなくもなる。


どうせ、尚更嘔吐くだけだ。


もぞもぞと枕の方へ移動する。

首元が冷たく感じ、知らぬ間に吐いていたのかと危惧したが、流れた汗が離れた隙に冷えただけだった。


自分の意思とは関係なく、震えている体を更に冷やす前に、どうにか暖を取りたい。

そう思うが、力は入らない。

周りを見回しても、後藤も皓兄も居ない。


このまま凍えて死ぬかもな…。


亜妃はそんな事を考える。不思議と焦りも不安も無かった。

それも良いかも知れない。とまで思う。


次第に顔や手も冷えていくのが分かった。

トイレも行きたくなり『死ねば全て出る』と言う話を思い出す。


おねしょ…寝てないからお漏らし?


どっちにしろ嫌だと考える。


まずは起き上がろう。


いつも通り腹に力を入れたが、微動だにしない。

腕もシーツを押し、身体を持ち上げる動作すらできない。

だが、横に転がる事は出来た。


横向きの体勢になると、ズリズリとさっきと同じく、ベッドの端に寄る。

足が落ちるまで来ると、今度はベッドの高さを利用して床に座る体勢になった。

そして、四つん這いになる。


夢の中でもこの体勢になった事を、朧気乍ら思い出す。

ぐっと手と足に力を入れたが、立ち上がる事はやはりできなかった。

それどころか、眩暈が一層酷くなる。


船の揺れが激しいのではなく、自分自身が不安定に揺れ、いつバランスを崩して床に伏せってもおかしくなかった。


その場合、匍匐前進も出来るのだろうか?

四つん這いで無理に動くよりも、その方が早く動けるんじゃないか。


そう考えた。

しかし、不安が勝って実行に移れない。

もたついていると、胃が何かを押し上げてくる。


嘔吐くと同時に先程よりも黒さが薄くなった液体が、床にまき散らされた。

袖と床の絨毯にシミが広がる。

腕の震えも治まる気配はない。


亜妃はその場で腰を床に付け、座り込んだ。

トイレとの距離は縮まらない。

涙が出そうになる。


「気が付いたか…」


皓兄の声がし、ひょいっと軽く抱きかかえられる。

ベッドに足を向ける皓兄に、トイレに行きたいと言おうとしたが、掠れて出なかった。

仕方なく、トイレを指さす。


「あ…トイレか…」


こくんと頷く。


「一人で…」


行ける訳がない。

抱えたまま、ドアを開け便器の前で下ろす。

ズボンを下ろそうとして、亜妃に制された。


「そ…れは…で…る」


そう言いつつも、力は入らない。

皓兄は目を瞑り、ズボンを下ろした。

勢いでよろけた亜妃が、皓兄の肩を掴む。


「座れるか?」

「う…ん」


便器に腰を下ろすと、座った合図をした。

それを受けた皓兄は、立ち上げりドアを閉める。


「終わったら壁を叩け」

「ん…」


用を済ませ流した後、言われた通り壁を叩く。

微かなコンコンと言う音の後、ドアが開いた。


「拭けたか」


皓兄の言葉に亜妃は耳が熱くなる。

辛うじて拭けたが、下着を戻そうとするとバランスが崩れ倒れ込みそうになる。

その為、上げて貰うしかない。

衣服を整えられ、手洗い場に連れていかれた亜妃は、涙や吐いた物で顔を汚し、酷い顔をしていた。

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