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復讐  作者: 樋口 涼
―宮木亜希と宮本亜妃―

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27

「オニキスは…」

「あの子なら大丈夫です」


食い気味に答えた。


「そう、なら良かった」

「御用はそれだけですか?」


別段、何事も無いかの様に振舞う。


「出来たら…会いたいのだけど」


彼女はここで降りる手筈になっている。

なので最後に会いたいと言う。


「残念ですが…、疲れたのか今は眠っておりますので」


少しの笑みを浮かべるが、相手は残念そうに眉を下げた。


「そう、じゃあ、よろしく言っておいて。…後…夫をよろしくね」

「ええ、もちろんでございます」


女は踵を返すと、客室の方へ足を向けた。

彼女は下船するが、夫は残る。

この船旅の折り返し地点…ここからが本番だ。

彼女はそれに耐えられないのだろう。


暴飲暴食の限りを尽くし性に溺れた人間が、それに飽きた頃…人間の残虐性が現れる。

とうに醜い化け物が、より悪魔へと変わる。


その片鱗を、彼女は経験している。

自ら線を一定に引いている、珍しい客の一人だ。


狂う前に現実へ。

そう思えるが、実際普通の人間からすれば彼女も狂ってはいるのだ。


「人間…それも子供を食ってて…普通も何もない…ですよね」


横から声がした。昀だ。

何か文句を言いたげだが、序列は皓兄が上な為言えず、ぎこちない敬語が零れ出た。


「何か用か?」

「…いえ…」


黒子の事だろうと思ったが、相手が口ごもるのだから何も言う事は無いと去ろうとする。

港に着けば物の指示を出さねばならない、それ迄にする事は有る。


「あ。そう言えば」


昀は不自然に思い出したと声を上げた。


「後藤…でしたっけ?探さなくて良いのですか?」


昀の口から後藤の名が出て、皓兄の眉間に皺が寄った。

どこに居るのか…と聞こうとして、嫌な予感が過る。


「彼、あまり優秀じゃないんですね」

「…」


昀の言葉の先を聞かなくても、皓兄は予感が当たった事を悟った。

皓兄は昀の黒子を刺したのを悔やんだ。

手の甲ではなく、殺しておけばよかった。と。

昀をその場に残し、船尾へ走った。


予想が正しければ…。


船尾には何人かの乗組員が、厨房から集めた血なまぐさい袋を開けて、海へ流していた。

袋からは残された残飯だけでなく、人間の内臓が風に乗り散らばって行く。


ごみなど港には持ち帰らない。

一カ所に集めた後、海に捨てるのが定石だ。

何故なら…非道徳的な行いの証拠隠滅にもなるのだから。


ぶるぶると震える袋の中身を、杓で掬っては投げる。

血を寒天で固めた物だ。


皓兄の目の前で調理された8番も、中には含まれているだろう。

人間を殺して、その肉を料理し食う。

それがあの食事会だ。


だが、一人を全て食べる訳では無い。

血も肉も、ほぼ全てここから捨てられる。

牛の方がまだ、綺麗に食べて貰えるのだ。


『人を食ってはみたい。だが、狂うのは困る』


そんな段階の人間用の…食事会。

小さなワイングラスに、一口程度の量。

各部位の…微々たる切れ端を並べたソテー。

薄めた血で作られたゼリー。

服を連想させる盛り付け…。


そして、血で煮詰めたイチゴジャム入りのチョコレート…。


アレを亜妃に見せたくは無かった。

まだまだこれから先も、見せずに済む様にしたかった。


「何故…始める時間に連れて来た…」


手摺の柱に揺れるロープに向かって、皓兄は呟いた。

乗組員が皓兄に気が付くと、捨てるのを止め、頭を下げる。

その間を通り、ロープに近付いていく。


「お前は知って居た筈だ」


食事会の内容を。

俺の考えも。


「だから、お前を付けたのに」


裏切り者め。


「なぁ。何故…亜妃に薬を飲ませた?」


俺がすぐ側に居たのに。


「お前以外が…出来るとは思えない、あの状況で」


手摺の上に両手を掛け見下ろし、視線の先のロープの先を見つめた。

海を切り裂いた白い波の、隙間にチラチラと何かが浮き沈みを繰り返す。

上下を繰り返すそれは意思も力もなく、枝に繋がれたまま川を漂う木の葉の様だ。


「…」


ロープの先で波に揉まれているのは、黒子の象徴である黒服を剥がされた後藤だった。

これの意味する事は「失敗」だ。


昀か…他の誰か、か。

皓兄以外の人間の指示を遂行できなかった罰。


「はぁ…」


手摺に腕を掛けたまま、頬に片手を当て溜息を吐いた。


「お前は…何をしたかったんだ…」


死体に問いかけるが、答えは帰って来ない。

皓兄の声すら、その耳に届いてはいない。


「亜妃を…殺す気じゃなかった…」


殺すならもっと量を増やした筈だ。

お前にはそれが出来た。


「連れ去ろうとしたのか?」


厨房から?俺に二人を目視させておいて?


「何を…指示されたんだ…」


何か…指示された事と違う事をした…から殺された。


「ヒントくらい残しておけよ…」


本当…優秀…じゃない…。

…。

……。


「いや、お前は優秀だ」


亜妃を見ながら、仕事も完璧にする。

部屋の掃除すらも。


皓兄の頭にお菓子の袋が浮かぶ。


「亜妃は…過食期か」


本人の意思とは関係なく、止まらない食欲。

言うままに与えれば与える程、止まらない。


だから、何であれ食い物の匂いで無意識でも口を開ける。

意識があっても…食えない肉以外の物であれば、食うだろう。

差し出された物が、何で作られているのかも知らないのだ。


初めてここで、皓兄は危機感を感じた。

「知らないまま」居させたい。

それは、この船に乗っている以上、無理な話なのだ。


「お前は…警告として…したんだな」


俺以外の誰かから、指示が有った事も言えないだろう。

それで、俺に問い詰められる状況になって…不要な事を言われる危険性を考えた誰かに、先に始末されたのか。


「…」


皓兄はゆっくりと手摺から離れ、乗組員の横を通り過ぎた。

彼の体が遠のくと、また、ごみ袋から海へ投げ込まれる音が響き始める。

皓兄にも甘さを捨てる時が来たのだと、冷たい風が背を押した。

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