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しかし、皓兄はどうしても腑に落ちない事があった。
近くに自分が居るのに、何故後藤が亜妃に危害を加えたのか。
亜妃に何故、薬を盛ったのか。
俺が側に居るのだ、殺してもすぐにばれる。
そう…何をしても。
最悪、自分が殺されるのを知って居るはずの後藤には、何も利など無いのに。
魘されて居る様な声を上げ、微かにもがいている亜妃に目をやる。
取り扱う薬の種類が多すぎて、どれを盛られたのかが分からない。
そして、それの量はそう多くは無い。と、皓兄は検討を付けていた。
どうせ、抜けるまで待つしかない。
この状態の亜妃を一人、残していくのは不安だったが「様子を見ておいてくれ」と頼めるはずの後藤も居ない。
仕事も残っている。
「くっそ!!」
両手で頭を掻いた。
「冷静に成れ。冷静に!」
いつもそう自分に言い聞かせている。
亜妃にも言うが、己にも同時に言い聞かせて来たのだ。
それなのに、このざまだった。
「ちっくしょう!」
ごみ箱を蹴り上げたくもなったが、我慢する。
中に亜希が食べたのだろう、菓子の袋が入っていた。
尋常じゃない量のごみをみて、前々から何か盛られていた可能性を考えた。
しかし、思い当たる節も無い。
「あぁ!!」
イライラしては頭を掻きむしる。
やっと20過ぎただけの若造が、訓練したとはいえ自分の感情をコントロールしきれる訳も無い。
ごみ箱を蹴る代わりに、備え付けのライティングデスクの横を殴った。
鈍い音がするだけで、一向に苛立ちが治まらない。
だが、いつまでもこうしている訳にもいかず、深呼吸し始める。
先ずは、後藤を…いや、その前に仕事を。
何よりも優先すべきは、恙無くこの船を運行する事。
客には優雅に丁寧に。
…そして、下には見られない事。
見下されてはならないのだ。
当然、弱みを見せる事も厳禁だ。
目を瞑り、耳を澄ます。
微かな亜妃のうめき声だけが聞こえた。
大丈夫。俺は…大丈夫。
自分の鼓動の速さも体温も正常だ。
ゆっくりと部屋を出て、鍵を掛ける。
万が一の為に付けてあった、外からの鍵も掛けた。
これで、外からと中から鍵を開けなければ部屋には入れない。
それでも、気休め程度にしかならないのは、皓兄本人も理解していた。
訓練された一族の人間ならば、どうしたって開けられる。
これは、自分が不在中に亜妃が部屋から出ない為のモノだった。
後藤が残したリストを見ながら、電話を掛ける。
ワンコールで繋がる先は宮本家の間島だった。
「どうかなさいましたか」
いつも通り冷静な声を聞く、自分もいつかこの男の様に動揺しない人間になりたいと思う。
「…新しい黒子が欲しい」
「こちらの…ですね」
「あぁ。もうすぐ港に着く」
「でしたら、勇弥様の乗る船がそちらに近こうございます」
「連絡しておいてくれ」
「分かりました」
間島の返事を受け、電話を切る。
航海スケジュールや所属、信頼性が高い黒子を把握している間島は、話が速い。
後藤はどうしたか等も聞いて来ない。
長年の経験で、事情がある事を察する。
仕事のできる男だ。
間島が宮本家を裏切らない限り、勢力図は変わらないだろう。と、皓兄は思う。
今のまま、こちらよりも下ではあるが、軽く扱われる事も無い。
自室から少し離れた黒子達の部屋を、ノックも無しに開け入る。
瞬時に気が付き、全ての者が立ち上がり頭を下げた。
軍隊の様に揃ったそれは、指導者の権威を見せつけられている様だった。
自分ではなく、祖父の…だ。
ざっと見渡すが二十人程いる黒子の中に、後藤の姿は見つからなかった。
この中でも『誰に付くか』がある。
宮本家とは違い、皓兄の祖父系は人数が多い。
後継者争いは、生まれた時から始まっている。
『自分に付いていた』
そう思っていた後藤が裏切ったのだ、亜妃を守る為には誰も信用できたものでは無かった。
そして、恐らく間島は結構な人数を寄越そうとするだろうが、あっちの船上の人数も限られている。
無理はさせたくない。
しかも、俺の不手際だ。
「港に着いたらお前とお前、トレードだ」
二人にそう告げる。
指名は適当だった。
…いや、選んだ理由は「気に食わない」からだ。
皓兄の、二歳下の従兄弟にベッタリとくっ付いて居るのを見かけた。
ただそれだけだが、何となく気に障った。
「昀様には…」
指名された黒子が口答えをしようとしたが、それは次の瞬間苦痛の声に変わった。
皓兄は側に在ったカッターナイフで、相手の手の甲を刺したのだ。
「口答えするな。決定権は俺に有る」
分かっている筈だが?と、威圧的な態度を全員に向けた。
二人を除き、全ての者は無表情のまま直立不動を守っていた。
「昀には他の誰かが付け」
それだけを言うとドアを閉め去る。
「ねぇ…」
後ろから声がかかる。
女の声。
「御用ですか?」
振り向くと、相手は亜妃にチョコレートを食わせようとした女だった。




