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そこには先程よりもゆったりとした空気が流れていた。
皆、デザートの準備に入り、慎重に飾り付けをしている。
薄紅色から黒に近くなるまでグラデーションになったゼリーが、白いレース模様の生クリームに縁どられ、半分に切られたイチゴが添えられている。
白襟に付けられたブローチの様に。
その周りに、チョコレートやアイスクリームが盛り付けられ完成したデザートは、ふるふると震えながら、トレーに乗せられ運ばれていく。
上にはクローシュを被せられて。
そしてまた、運ばれた先の客が感嘆の声をあげるのだろう。
「可愛らしい」と。
給仕者が去り、シェフも淡々と片付けを済ませる。
全ての物が取り払われていく調理台を見て、亜妃は胸を撫で下ろした。
良かった。見間違いだった。
自分が倒れる前に目にしたモノ。
良かった。…そうだよね。有り得ないものね。
「どうかされましたか?」
「ううん、大丈夫」
あぁ。良かった。
亜妃は檻に居た少女の…その頭部のこげ茶色の瞳と、目が合った気がしていたのだ。
良かった。
そんな訳が無かった。
息が深く漏れる。
安心。
「皓の所へ戻ろう」
そう言って、亜妃は厨房から宴会場へのドアに手を掛けた。
「あぁ。アレなら片付けさせました」
不意に何かを察したように後藤が口を開いた。
「え…?」
「亜妃様には少々刺激が強かったので」
また倒れてはいけないと。と、続ける。
「何の…話?」
「買い手が付かなかったので、下げたあの子達の事です」
「え…?」
「8と9です」
「8と…9?」
亜妃はぐっと息が苦しくなる。
動悸が激しく打ち、身体全身がどくどくと鳴っている様だった。
「そんな…まさか」
その一言を絞り出す。
胃がキュウっと鳴いた。
それと同時に、会場から拍手が聞こえて来る。
「デザートが到着したみたいですね」
そう言って亜妃の方を向く後藤の顔が、笑みを浮かべている様に見えた。
「大丈夫ですか?」
後藤が顔の前で手を左右に振る。
振られた手すらも、グニャグニャとし始めた。
足元の床が波打つ感覚でよろけ、会場へのドアを開けた。
室内の照明が嫌に眩しく感じ、目を細めるが、逆に暗くも感じる。
頭の中がグルグルと回り、不快なのか愉快なのか、分からない気分に亜妃はなる。
平常心…無表情…へいじょうしん…むひょうじょう…。
へいじょうしんって何だっけ?
むひょうじょうって何?
自分が立っているのか座っているのか、歩いているのかさえ分からなくなっていく。
誰かが…横で何か…話している?
亜妃は自分がテーブルに着いた一人の貴婦人の横に、立っている事に気付いていない。
仮面で顔を隠しているが、貴婦人はあの自分の夫の痴態写真を撮っていた婦人だった。
「オニキス…どうしたの?」
「参加するのかい?」
「残念ね、もうデザートよ」
クスクスと笑い、周りの者達が口々に亜妃へ言葉を放つ。
しかし、亜妃からは返事がない。
「どうしたの?お腹が空いたの?」
婦人が亜妃の腕を掴み引き寄せた。
そして、力の入らないくったりとした亜妃の体を抱える。
「あらあら…」
「可愛らしい…」
近くに座っていた男が、より近くで見ようと席を立った。
「お客様、お座りください」
皓兄の声が客に指示を出すと、渋々ながら着席する。
「申し訳ありません」
皓兄は婦人に近付き、亜妃を引き取ろうとした。
「良いじゃない。このままで」
婦人は亜妃を返すのを拒んだ。
「いえ、お客様にご迷惑になりますので…」
「構わないわ」
「しかし…」
「ほら、顔色も悪いわ…」
そう言うと婦人は自分のデザートの皿から、チョコレートを手に摘まんだ。
「ほら、食べさせてあげる…」
チョコレートの匂いで、無意識に亜妃の口が開いた。
「お客様…」
婦人のチョコレートを持つ手首を、皓兄は掴んだ。
「お止めください」
鬼気迫る皓兄の声に、婦人は怯み掴んだチョコレートを亜妃ではなく自分の口に運んだ。
「冗談よ」
そう言って、皓兄が亜妃を抱えるのを今度は妨害しなかった。
「失礼いたしました」
亜妃を抱えたまま、頭を下げる。
「それでは…ゆっくりとお過ごしください」
皓兄は亜妃を抱えたまま退室し、部屋に戻ったが、後藤は戻っては来なかった。
ただ、亜妃を彼女のベッドに寝かせ、テーブルを見ると発注リストだけがテーブルに置かれていた。
「くっそ!!」
苦々しい思いで、リストを持つ手に力が入る。
怒りが沸々と湧き上がるが、その怒りは裏切った後藤へなのか、あれ程注意したのに自分以外からの物を口にした亜妃へなのか、自分の甘さへなのか。
何に向けるべきなのか、皓兄は分からなかった。




