第9章 困難の道
「作戦変更だ! 戻るぞ、路地裏へ!!」
アルトはリルの小さな肩をガシッと掴むと、反射的に開けたばかりの扉を全力で閉めた。バァン!と鋭い音が静まり返った町に響き渡り、近くにいた住人がビクッと肩を揺らして振り返る。
「アルトくん? ドア、閉めちゃうの?」
「閉める! 閉めるに決まってるだろ!! いいかリル、よく聞け。俺たちは今、ブレーキが壊れたまま崖っぷちに向かってアクセル全開で爆走してる最中なんだ!」
アルトの脳細胞は、かつてないほどの超高速で回転した。 今、リルを連れて表通りを歩くことは、全身にハチミツを塗って殺人蜂の巣に飛び込むのと同じ。
狂気的なお礼の品【始祖の祝祭の王冠】
のせいで、この町はすでに合法・非合法を問わないハイエナたちの巣窟と化している。
もしここで「僕が送り届けてあげました!」などと姿を現せば、どうなるのか?
「おい、あいつがガキを独り占めしてるぞ!」
「奪え! 王冠は俺たちのものだ!」
と、話を聞く耳を持たない賞金稼ぎどもに一瞬で細切れにされる未来が、あまりにも鮮明にイメージできる。でも、それだけではない。もし夫婦の耳に「アルトという男がリルを連れ回している」と伝わり、それが『保護』ではなく『誘拐』だと誤解された瞬間、国家の防衛網を紙切れのように引き裂く夫婦の魔力が、自分を消し炭にするために降り注ぐ。
「(詰んだ……完全に詰んだ……!!)」
胃の底からせり上がってくる絶望的な痛みに耐えながら、アルトは自分のフードを深く被り、リルの小さな頭にも近くにあったボロ布をすっぽりと被せた。
「いいかリル。ここからは『絶対に見つかってはいけない鬼ごっこ』だ。声を出したら負け。いいな?」
「鬼ごっこ!? うん。僕、鬼ごっこ大好き!!!」
リルの無邪気な笑顔が、今のアルトにとっては最大の爆弾だった。
表通りからは、早くも重々しい足音がいくつも響いてくる。
「おい! ガルバとエルマのガキは9歳だ! 髪は茶髪、背はこのくらいだ!」
「王冠さえ手に入れば、一生、いや三世代は遊んで暮らせるぞ! 意地でも見つけ出せ!」
血眼になった賞金稼ぎや、見るからに物騒な武器を携えた裏社会のゴロツキたちが、怒号を上げながら交差点を横切っていく。その数は数十、いや、あっという間に数百へと膨れ上がろうとしていた。
「(あいつら、目が完全にイッてる……!)」
アルトはリルの手を引き、建物の隙間にある、人間が一人やっと通れるかどうかの薄暗い路地裏へと滑り込んだ。
しかし、災難はすぐにやってくる。
「あ! アルトくーん、あそこにパパたちの」
「喋るな! 頼むから今は喋らないでくれぇぇ!!」
リルが何かを指差して大声をあげようとした瞬間、アルトは心臓が止まるかと思いながら、全力でその小さな口を両手で塞いだ。
すぐ近くの路地裏の入り口を、大斧を担いだ、体格のいい大男がギロリと睨みつけながら通り過ぎていく。アルトはゴミ箱の陰にリルを押し込み、自らも壁にぴったりと身を寄せて、息を完全に止めた。冷たい汗がポタポタと地面に落ちていく。
「おい、今の路地、なんか気配がしなかったか?」
男の仲間らしき声が聞こえ、足音がこちらへ引き返してくるのが分かった。ザッザッと近づいてくる死の足音。
アルトは恐怖でガタガタと震えながらも、必死で周囲を見回し、壊れかけた排水管と、壁のほんの少しの出っ張りを見つけた。
「(……やるしかない、天才泥棒の意地を見せてやる!)」
アルトはリルを自分のマントの裏に抱きかかえるようにして固定すると、驚異的な身軽さで壁を蹴り、音もなく数メートル上の屋根の隙間へと飛び移った。
その直後、男たちがゴミ箱の陰を覗き込む。
「チッ、誰もいねえか。空耳か」
頭上で息を殺し、リルの口を塞いだまま、アルトは白目を剥きそうになっている。
目的地である「伝説の夫婦の潜伏先」は、この狂乱の町のさらに中心部。
普段なら徒歩で十分の距離が、今のアルトにとっては、地獄の炎が渦巻く中を、いつまでも歩き続けているかのように感じられた。
このまま決死のステルス移動を続ける中で、次なる困難へと進む…




