第8章 我が子を探せ!
ドロボシア王国、ドロボーク町。夕暮れ。町外れにある一軒家では、エルマが夕食の支度をしていた。
「ガルバ、そろそろリルが帰ってくる頃じゃない?」
「ああ。いつもの場所で、一人で泥棒ごっこでもして遊んでいるんだろう」
エルマは微笑みながら、食卓に料理を並べた。
しかし、しばらく待ってもリルは帰ってこなかった。
「……遅いわね」
「遊びに夢中になっているんだろう。もう少し待ってみよう」
ところが、窓の外がすっかり暗くなっても、玄関の扉が開くことはなかった。
エルマは心配そうに時計を見つめた。
「ねえ、ガルバ。ちょっと様子を見てきてくれない?」
「ああ」
ガルバは腰を上げ、上着を羽織った。
二人は家を出ると、リルがよく遊んでいる市場へ向かった。
しかし、そこにリルの姿はない。
続いて広場、路地裏、町の外れ。
二人は手分けして探し回ったが、どこにも見当たらなかった。
「おかしいわね……。」
ガルバは腕を組んだ。
「まさか、何かあったんじゃ……」
エルマの顔に不安が広がる。
「心配するな。あいつは俺たちの子だぞ」
ガルバはそう言ったものの、その表情には焦りが見え始めていた…
結局、その夜は町中を探し回るしかなかった。
ところが、どれだけ探しても手掛かりは見つからない。
エルマはとうとう足を止めた。
「……ガルバ。私、嫌な予感がするの」
「…………」
「もしかして、あの子……誘拐されちゃったんじゃないかしら」
二人には、家を離れて身を隠さなければならない事情があった。 かつての出来事によって、二人を恨んでいる者がいてもおかしくはない。もちろん、リルにはそんな事情を詳しく説明していなかった。 まだ九歳のあの子に、余計な心配をかけたくなかったからだ。
しかし、もし自分たちの過去が原因で、リルが誰かに連れ去られたのだとしたら……。
ガルバの表情が、みるみる険しくなった。
「……そうかもしれんな」
ガルバは低い声で答えた。
「だとしたら、私たちのせいね……。あの子は何も知らないのに……」
エルマの目に、じわりと涙が浮かんだ。
「あなた、どうしましょう。もし、あの子が怖い思いをしていたら……。もし、どこかで私たちを呼んでいたら……」
「エルマ、落ち着くんだ。まだそうと決まったわけじゃない」
そう言いながらも、ガルバの声にはいつもの落ち着きがなかった。
彼は窓の外に目を向けた。
すっかり暗くなった町の向こうに、リルがいるかもしれない。
「……もっと早く探しに出るべきだった」
ガルバは拳を握りしめた。
「私たちが身を隠しているせいで、あの子まで危険な目に遭っているのだとしたら……」
その言葉を聞いたエルマは、とうとうこらえきれず、涙をこぼした。
「リル……どこにいるの……。お願いだから、無事でいて……」
ガルバは妻の肩を抱き寄せた。
しばらくの間、二人は何も言えなかった。
「ごめんね、リル……。ママ、ここにいるのに……。すぐに迎えに行ってあげられなくて、ごめんね……」
ガルバは妻の背中を優しくさすった。
そして、彼自身も目元を押さえた。
「……くそっ」
普段なら、どんな危険な状況でも眉一つ動かさない男だった。
しかし今は違った。
「俺たちは今まで、どんな場所からだって逃げ切ってきた。どんな厳重な金庫だって開けてきた。なのに……」
ガルバの頬を涙が伝った。
「自分の息子がどこにいるのかも分からないなんて……」
しばらく、二人は何も言えなかった。
やがてガルバは、ゆっくりと顔を上げた。
「エルマ。泣いている場合じゃない」
「……ええ」
「リルを見つけよう。何としてでも」
エルマは涙を拭い、小さく頷いた。
「そうね。あの子が帰ってくるまで、何度だって探すわ」
「人手を集めよう。報酬はいくらでも出す」
「そうしましょう。あの子を見つけてくれる人がいるなら、私たちの大切なものだって惜しくないわ」
ガルバは少し考え込んだ。
「……王冠はどうだ?」
「王冠?」
「かつて王宮から盗み出した、始祖の祝祭の王冠だ。あれを報酬にすれば、国中の人間が動くかもしれん」
エルマは一瞬驚いた。
しかし、すぐに頷いた。
「ええ。あの子のためなら、そんなものいくらでもあげるわ」
二人は大量の紙と筆を用意した。
エルマは涙を拭いながら、何度も息子の名前を書いた。
リル。
リル。
リル。
書いているうちに、また涙がこぼれた。
「……ガルバ、この写真も載せましょう」
エルマはリルの小さな肖像画を持ってきた。
「この子の顔を見れば、きっと誰かが気づいてくれるわ」
「ああ。そうだな」
ガルバは妻の手から肖像画を受け取り、貼り紙に丁寧に添えた。
そして、完成した文章を読み上げた。
『我が最愛の天使・リル(9歳)が迷子になりました。
無事に見つけて送り届けてくれた高潔なる御方には、お礼として、かつて王宮の地下秘密金庫から盗み出してきた【始祖の祝祭の王冠】を差し上げます。どうか、どうか我が子を助けてください。――ガルバ、エルマ』
「……これで、見つかるわよね?」
エルマは不安そうに夫を見つめた。
「ああ。きっと見つかる」
ガルバはそう答えた。
けれど、本当は彼にも分からなかった。
ただ、信じるしかなかった。
二人は大量の貼り紙を抱え、夜の町へ飛び出した。
「リルー! ママはここよー!」
エルマは涙声で息子の名前を呼び続けた。
「リル! 聞こえたら返事をしてくれ!」
ガルバも声を張り上げた。
何度呼んでも、返事はない。
エルマは立ち止まり、涙を拭った。
「……ねえ、ガルバ。あの子、私たちの声が聞こえているかしら」
「分からん。だが、呼び続けよう」
二人は再び歩き出した。
伝説の大泥棒と呼ばれた夫婦が、その夜は涙を流しながら、たった一人の息子の名前を呼び続けていた。




