第6章 最悪のシナリオ
「……おい、リル。ちょっとそこに座れ」
アルトは盗んだ金貨を強引に二つの山に分けると、片方の山を「ズンッ」と掴み、リルのブカブカな服のポケットへ無理やりねじ込んだ。
「いいか。お前とはここまでだ。解散!」
「えっ……? かいさん……?」
リルはポケットの金貨とアルトの顔を交互に見つめ、大きな目をぱちぱちさせた。
「そうだ。俺はただのしがない泥棒なんだよ。国家反逆罪で王宮から指名手配されてる伝説の一族と一緒にいられるか! その金でおいしい干し芋でも買って、一刻も早くここから出ていけ!」
冷たく突き放され、リルのビー玉のような瞳にみるみるうちに涙が溜まっていく。
「いやだあぁ! アルトくんと一緒がいい! 僕、次はもっとがんばるから……っ!」
リルはボロボロと大粒の涙を流しながら、アルトの腰にしがみついた。
「離れろ!」とアルトが強引にその小さな体を引き剥がしたその瞬間。リルは泣き顔のまま、ぎゅっと握っていた両手を健気に差し出した。
「これ、アルトくんにあげるから……! だから、めっ(駄目)って言わないで?」
「あ? なんだよこれ……って、ええええええっ!?」
リルの小さな手のひらに乗っていたのは、さっきアルトが一番厳重な上着の内ポケットに仕舞ったはずの『革財布』。そして、アルトがいつも懐中時計を繋いでいるはずの『銀のチェーン』だった。
(いつの間に盗んだ……!? 俺の指先、完全に死んでたぞ!?)
アルトの背筋に、これまでにない戦慄が走った。泣きじゃくりながら、無自覚にプロの泥棒の懐から完璧にスリ返してみせる。これこそが、伝説の泥棒ガルバとエルマの血。本物の『天才の遺伝子』
アルトがその神業に呆然としていると…
「あ……」
リルはハッと何かに気づいたように動きを止めると、ブカブカの袖で慌てて自分の涙をゴシゴシと拭いた。アルトの勢いに押されてすっかり忘れていたが、大好きな両親の顔が頭に浮かんだ瞬間、一気に胸が締め付けられるような寂しさが押し寄せてきた。
「パパとママの存在、忘れてた……。お財布をシュッてするのが楽しくて、ずっとはしゃいでたけど……今ごろ、僕がいなくなったことに気づいて、パパとママがお家でメソメソ泣いちゃってるのかな……」
さっきまでの笑顔が嘘のように肩を落とすと、リルは胸の奥にしまい込んでいた大切な記憶を、アルトにそっと打ち明け始めた。
「僕が、パパとママの似顔絵を描いてプレゼントした時のことなんだけど……
パパとママ『世界で一番の国宝だ!』って大号泣しちゃって。次の日、パパが僕を肩車して、すっごく広くて、ピカピカした綺麗なお部屋に連れて行ってくれたんだ。そこに、いかにも偉そうな、ひげもじゃのおじさんの絵が飾ってある、いっちばんおっきくてピカピカの額縁があったの」
「……ひげもじゃのおじさん? 額縁?」
アルトが嫌な予感を覚えて眉をひそめると、リルは無邪気に笑って言葉を続ける。
「うん! パパがね、『あのおじさんのお顔より、僕の絵の方が何百倍も価値があるよ!』って言って、そのおじさんの絵を外して、僕が描いたクレヨンの落書きを代わりに飾ってくれたんだよ! だから僕の絵、今もそのおっきいお部屋に飾ってあるんだぁ」
「……ちょっと待て」
アルトの脳裏に、かつて裏社会の噂で聞いた『ある大事件』が電撃のように駆け巡った。
数年前、厳重な警備を誇る王宮美術館の最深部から、初代国王の肖像画が忽然と消え去り、代わりに『へたくそな泥棒の落書き』が残されていたという、王室最大の侮辱にして未解決の怪事件。
「広くてピカピカした部屋って……それ、王宮美術館の『栄光の間』か……!? ひげもじゃのおじさんは初代国王陛下で、お前が飾ったのはクレヨンの落書きィィ!!?」
「えへへ、よくわかんないけど、すっごくおっきい額縁だったよ!」
「褒めてねえよ!! 国際問題だよ!!」
アルトは今度こそ椅子から転げ落ちそうになりながら、自分の頭を抱え込んだ。
嬉しい。確かに、子供が描いた絵をそこまでして喜んでくれるのは、親として涙が出るほど嬉しい。だが、その愛の表現方法が、国家の防衛網を紙切れのように引き裂くレベルの神業なのが絶望的に狂っており、リルの口から語られるのは、あまりにも優しくて、あまりにも規格外な親バカエピソード。
しかし、それを聞いたアルトの脳裏に、ある最悪のシナリオが浮かび上がる。
(待てよ……? 伝説の大泥棒の最愛の息子が迷子になったと知ったらどうなる……? 怒りに任せて町を破壊するんじゃないか?我が子を心配して、涙目で、必死になって、その神業的な泥棒スキルをフル稼働させて世界中を探し回るに決まってる!!)
伝説の夫婦が本気で「迷子捜索」を始めたら、世界中のあらゆる鍵が解かれ、あらゆる防壁がすり抜けられたら、世界がひっくり返る。もしその大捜索の過程で、リルがアルトのようなしがない泥棒と行動を共にしていることが知れたら……。
『うちのリルを、こんな薄汚い隠れ家に連れ込んで、市場で派手に転ばせたのはお前かぁぁぁ!!』
と、涙目の最強夫婦からお礼参り(物理)を食らう未来が容易に想像できてしまった。
一人で放り出すのも、親の優しさが暴走して世界が終わる。
手元に置いておくのも、王宮の追っ手が来て終わるかもしれない…
生き残る道はただ一つ。誰よりも早く、優しすぎる伝説の親の元へこのポンコツ息子を安全に送り届けることだけ。
「あー、もう! 分かった! 分かった!分かったから話を聞け!」
アルトは頭をガシガシと掻きむしり、腹の底からの大溜め息を吐き出した。
「ん?もしかして僕と一緒にいてくれるの!?」
パッと一瞬で弾けるような笑顔になったリルに、アルトは胃を押さえながら指を突きつける。
「勘違いするなよ! 俺たちの次の作戦は泥棒じゃない! 『お前の優しすぎてヤバいパパとママを見つけ出して、一刻も早くお前を安全に家へと返品する作戦』だ! いいな!?」
「うん! れんぴんする!」




