第5話 伝説の大泥棒
翌日の昼下がり。
まばゆい太陽の光が降り注ぐ市場は、買い物客や物売りの怒号のような活気で満ち溢れている。
香ばしい焼き肉の匂いや、色鮮やかな果物が並ぶ露店の喧騒の中、路地裏の影に二人の泥棒が潜んでいた。
「……リル、準備はいい?」
アルトは作戦用の黒いキャスケット帽を深く被り、鋭い目で獲物を物色している。その横で、リルがブカブカの服の裾をぎゅっと握りしめ、ゴクリと唾を飲み込み、小さな肩が緊張で少し震えている。
「うん。僕!がんばる」
「大丈夫、キミならできるよ。あ、あいつだ。」
アルトの視線の先には、高級そうなコートを肩にかけ、丸々と太った、いかにも金持ちそうなおじさんが歩いていた。歩くたびに、上着のポケットのあたりがずっしりと重そうに揺れている。ポケットの中身は間違いなく、大量の硬貨が詰まった革の財布。
アルトはリルの背中をポンと優しく叩いた。
「よし、行け!……合図に合わせて、思いっきりな」
「うん!」
リルは意を決したように、路地裏の影から市場の人混みに飛び出していった。ブカブカの靴をパタパタと鳴らしながら、ターゲットのおじさんの斜め前方へとトコトコと走っていく。
アルトは人混みに紛れながら、音もなくおじさんの背後へと距離なく詰めた。心臓の鼓動が速くなるのを感じながら、リルの動きを完全に捉える。
おじさんとの距離、あと三歩。二歩。一歩。
(……今だ、リル!)
アルトが心の中で鋭く叫ぶのと同時にリルは作戦通り、自分の長すぎる服の裾を思いきり踏んづけた。
「わあーーーーっ!?」
リルの短い身体が、綺麗な放物線を描いて前方に投げ出される。市場のど真ん中で、まるで漫画のように派手なフライングをキメたリルは、そのまま地面へと滑り込み、盛大な音を立ててすっ転んだ。
「キャうっ!?」
「おっと! 酷い転び方をしたな、大丈夫かボウズ!」
リルの狙い通り、目の前で起きた大惨事におじさんは足を止め、驚いて視線を真下へと落とした。周囲の買い物客たちも一斉に「おいおい、大丈夫か?」とリルへと注目する。
市場のすべての視線が、一瞬だけ地面のリルへと集まったその瞬間。
(──もらった!)
アルトの身体が、まるで陽炎のように揺らいだ。
おじさんの真横をすれ違う、わずか一瞬。ジーンの指先が、おじさんの上着のポケットの内側へと、音もなく、摩擦すら感じさせない速度で滑り込む。
そして重い革財布を奪った。そのまま自分の懐へと滑り込ませるまで、わずかコンマ数秒。
おじさんは、自分の財布が盗まれたことなど微塵も気づいていない。
「うう……いたた……」
地面に突っ伏したリルが、赤くなったおでこを押さえながら顔を上げた。演技ではなく本当に痛かったようで、目に涙が溜まっている。
アルトは人混みに紛れながら、リルにだけ見える位置で、懐の財布をチラリと見せてみせた。
作戦は大成功。あとは、それぞれ別のルートで隠れ家へと逃げるだけ。
しかし、涙目のリルは、財布を手にしたアルトの姿を見た瞬間──。
「わあぁぁ! すごい! やったねシャドウ!!」
満面の笑顔で、市場全体に響き渡るような大声を出してしまったのです。
「……っ!?」
アルトは一瞬で血の気が引いた。
せっかく完璧に盗み出し、誰も気づいていなかったのに、リルの大音量の歓声のせいで、おじさんがハッと自分の懐に手を当てた。
「む? ……な、無い! 私の財布が無いぞ! 泥棒だーーー!」
おじさんの絶叫が市場に響き渡る。
「あーもう! 本当にキミって奴はーーーー!!」
アルトは帽子を押さえながら、今度こそ魂の底からの絶叫をあげ、リルの腕を掴んで市場を猛ダッシュで駆け抜ける。
「ハァ、ハァ、ハァ……っ! あ、頭がおかしくなるかと思った……!」
古い鉄の扉を背中で乱暴に閉め、アルトはその場にヘタヘタと崩れ落ちた。
息は完全に上がっており、心臓が壊れた警報機のようにバクバクと鳴っている。何とか追っ手を撒いて秘密の隠れ家まで逃げ切ったものの、市場の衛兵やヤクザたちに追いかけ回された恐怖で、アルトの寿命は確実に数年縮んだ。
「アルトくん。大成功だね!ドロボーの足、すっごく速かった!」
すぐ横で、リルがブカブカの袖をパタパタさせながら、無邪気にはしゃいでいる。自分が原因で街中が大騒ぎになったことなど、微塵も分かっていない様子。
「キミのせいだろーーーー!!」
アルトは立ち上がり、頭を抱えて魂のツッコミを炸裂させた。
「完璧だったんだ! 俺の技はカンペキだった! なのに何で成功した瞬間に俺の名前を大声で叫ぶんだよ! よりにもよって今回はちゃんとコードネーム覚えてるし!しかも『やったねシャドウ!』って、お祝いしてる場合か! 泥棒は静かに逃げるのがプロ中のプロなんだよ!!」
顔を真っ赤にして怒鳴るアルトに、リルは赤くなったおでこをさすりながら、しゅんと耳を寝かせた。
「だってぇ……アルトくんが、あんまりカッコよくお財布をシュッてするから、僕、嬉しくなっちゃって……」
「っ……!」
またしても純粋すぎる視線で褒めちぎられ、アルトはそれ以上言葉が続けられなくなってしまった。胃がキリキリと痛むのを抑えながら、そっぽを向いて大きくため息を吐き出す。
「たく…もういいよ。とりあえず、おじさんから盗んだ獲物の確認だ」
アルトは懐から、ずっしりと重い上質な革財布を取り出した。木箱のテーブルの上に置き、紐をほどいて中身をぶちまける。
チャリン、と目も眩むような黄金の輝きが躍り出た。この町では滅多に見ることのない、本物の金貨が何十枚も入っている。
「わあ……! お金がいっぱい!」
「すごいな……あのおじさん、ただの金持ちじゃないぞ。一体何のために、こんな大金をこの町に持ち込んでたんだ?」
アルトが不審に思いながら財布の奥に指を入れると、硬貨とは違う、折りたたまれた数枚の古い紙片と、奇妙な形の「鍵」が指先に触れた。
「ん? なんだこれ……」
アルトがその紙を広げた瞬間、目を見開いた。
それは、王宮が発行した極秘の『特級重要指名手配書』だった。そこに描かれているのは、数年前に王宮の最深部からあらゆる宝を盗み出し、世界中を震撼させた伝説の大泥棒の姿。
そして、その手配書の余白には、あのおじさんの手書きで、いくつかの目撃情報とともに、こう書き殴られていた。
「伝説の大泥棒ガルバとエルマ。その一族が、ドロボーグ町の市場一帯に潜伏しているとの噂あり。我が王宮宝物庫が隣国より盗み出した至高の秘宝を、さらに横取りした大悪党どもである。我が王家のプライドを泥に塗った不名誉を挽回するため、何としても一味の身柄をすべて拘束し、国王陛下の御前へと連行せよ」
「……え?」
アルトの背中に、ツッと冷たい汗が伝わった。
アルトは手配書に描かれた大泥棒一族の顔と、隣で干し芋をのんきにくわえているリルの顔を、何度も何度も見比べた。
大きな、ビー玉のような純粋な瞳。ショートマッシュの茶髪。どこからどう見ても、目の前にいるポンコツな相棒は、王宮から追われている「伝説の大泥棒の子供」そのもの。
「……なあ、リル」
アルトの引きつった声に、リルは干し芋をモグモグさせながら小首を傾げた。
「なあに? シャドウ」
「なあに、じゃないよ!! キミ、自分のパパとママが何者か分かって言ってるの!?」
アルトは顔を真っ青にしながら、破り捨てる勢いで羊皮紙をリルの目の前に突きつけた。
「ガルバとエルマって……裏社会で知らない奴はいない伝説の大泥棒だぞ!? しかもこの記事、王様が隣の魔法王国から命がけで盗んできたコレクションを、さらに横取りしたって書いてある! 国王から直々に『一味の身柄をすべて拘束しろ』って指名手配されてる一族の子供が、なんでこんなところでベソかいてるんだよ!!」
魂の底からの大絶叫。
リルの手から、食べかけの干し芋がポロリと床に落ちました。モグモグと動いていた口が完全に止まり、大きな瞳がこれ以上ないほど真ん丸に見開かれる。
「え……えええーーーーーーっっっ!?」
リルは椅子からひっくり返らんばかりに飛び上がり、大きな声で叫んだ。
「パパとママ、王様から泥棒したの!!!?」
「知らなかったのかよ!?」
「し、しらなかった! パパとママ、お仕事で遠くのお城に行くだけって言ってただけだもん。いつもお土産のクッキーをくれるだけだったから……!」
リルは赤くなった鼻をすすりながら、涙目でぶんぶんと首を横に振った。パパとママが凄い泥棒だとは全く知らず、まさか国家を巻き込む大悪党として、自分たちの『一族』全員の首が狙われているなんて夢にも思っていなかった。
「ど、どうしようアルトくん! 僕、そんなに悪い子だったの!? 王様に捕まったら、パパもママも僕も、どうなっちゃうの!!!?」
「落ち着け! 声が大きいって言ってるだろ!!」
大号泣モードに突入しかけたリルを、アルトは慌てて机越しに身を乗り出して口を塞いだ。
しかし、アルト自身もリルのブーメランを食らって冷え切った。初対面のとき「そんななさけない泣き顔、親に知られたら失望されるに決まってるじゃん!」と、伝説の大泥棒に向かって超偉そうな大口を叩いていた事実を思い出し、恥ずかしさと恐ろしさで再び胃がキリキリと痛み出した。
(俺、とんでもない相手に泥棒の説教しちゃったよ……!)




