第3話 泥棒のテクニック
「いいか、リル。まず最初の泥棒テクニックはこれさ!」
アルトはポケットから、少し使い古した青いハンカチを取り出し、リルの目の前でひらつかせた。
「これは『落とし物のスリ』。泥棒の基本で、最も見つかりにくい初歩的な技術さ。ターゲットから盗んだお宝を床に落とす。まるで『最初からそこにあったもの』を拾うかのように、自然に、かつ無音で自分のポケットに回収する。これならキミにもできるだろ?」
「落とし物の、すり……。うん! それなら僕、できそう!」
リルはブカブカの袖から小さな手を出し、ぐっと拳を握りしめる。
「よし。じゃあ、まずはターゲットを探してみよう!」
アルトは腕を組み、通りを行き交う人々にじっと目を向けた。
大きな荷物を抱えた商人、友人と談笑する若者、急ぎ足で通り過ぎる老人。次から次へと人々が目の前を通り過ぎていく。
「うーん……なかなかいいターゲットが見つからないな……」
アルトは目を細めながら、一人ひとりの様子を注意深く観察していた。
そのときだった。
「あっ、あの男だ!」
アルトが指差した先には、強面の強盗たちが集まる酒場から出てきたばかりの、いかつい体格の大男がトボトボと歩いていた。この町の住人らしく、眉間には深いしわが刻まれ、見るからに機嫌が悪そう。
「いいかリル。俺があの男の背後からすれ違いざまにポケットから引き抜いたお宝を地面に落とす。男は落としたことに気づかない。リルは男が通り過ぎる瞬間に、この赤いハンカチで包み込むように、しゃがんでサッと拾い上げるんだ。ポケットにしまうまでが泥棒の作戦だからね」
「わかった! 任せて、アルトくん!」
作戦がスタート。アルトは流れるような身のこなしで大男の横をすり抜け、男のポケットから財布をかすめ取ると、リルの足元へ向かって音もなくポイッと落とした。完璧な手際。
大男は全く気づかず、そのままの歩調で歩き続ける。
(今だ……!)
リルは緊張で心臓をバクバクさせながらも、アルトの教え通りにトトトッと駆け寄り、赤いハンカチで地面の財布を素晴らしいスピードでパッと拾い上げた。その素早さは、アルトも思わず「おおっ」と目を丸くするほど見事なもの。
しかし、財布を握りしめたリルは、なぜかそのままの勢いで大男の前に回り込み、その行く手を阻むようにしてピョコッと立ち塞がる。
「あぁん? なんだガキ……」
大男が低い声で睨みつけた。
リルは、怖さに負けそうになるのをグッと堪え、これ以上ないほどの満面の笑顔を浮かべて、両手で財布を差し出した。
「おじさん! 財布を落としましたよ! はい、どうぞっ!」
「あ……?」
大男はポカンと口を開ける。自分のポケットを確認し、確かにそれが自分のものだと気づくと、いかつい顔を困惑で歪ませた。
「お、おう……。助かったぜ、ボウズ……」
騙し合いが当たり前のこの町で、見知らぬ子供から100%純粋な親切をぶつけられ、大男は完全に調子を狂わされた様子で財布を受け取ると、逃げるように去っていった。
それを見届けたリルは、路地裏で待つアルトの元へ、ブカブカの裾をパタパタさせながら満面のドヤ顔で駆け戻った。
「アルトくん、やったよ! ちゃんと男の人が行く前に拾えた!」
アルトは両手で派手に頭を抱え、路地の壁に背中を打ち付けながら、魂の底からのツッコミを炸裂させた。
「バカッ!! それはただの『親切な良い子』だろぉぉ!!」
「えっ……? ちがうの?」
リルは不思議そうに首を傾げる。
「違うなんてもんじゃないよ! なんでわざわざ前に回り込んで満面の笑みで返しちゃうわけ!? ポケットにしまえって言ったじゃん!」
「だって……おじさん、財布がなくなったら困ると思って……」
リルがシュンとして赤くなった鼻頭を弄ると、アルトは…
「うっ……」
と言葉を詰まらせ、顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。
「たく……! 泥棒の才能がマイナスどころか、完全に聖者様じゃないか……!」
ツンとすますその口元は、リルのあまりのいい子さに、やっぱり呆れつつもどこかくすぐったそうに緩んでしまう。
アルトは呆れたようにため息をつくと、ふと通りの向こうに目を向けた。
そこには、大勢の護衛を従えた裕福そうな商人が歩いていた。商人の周囲には屈強な男たちが並び、通行人を警戒するように目を光らせている。
「ああいう連中を見てみな」
「わあ……すごく強そうな人たちだね!」
「あれは商人が雇っている護衛さ。商品やお金を盗まれないように、ああやって守らせているんだ」
「へえ! 商人さんって、自分で守らなくてもいいんだね」
「金さえあればね」
アルトは少し皮肉っぽく笑った。
「この国じゃ、商売をするにも金がかかる。商品を仕入れるだけじゃない。盗まれないように護衛まで雇わなきゃならないからな」
「じゃあ、お金がない人はどうするの?」
リルが不思議そうに尋ねると、アルトは通りの反対側を指差した。
そこには、小さな野菜の露店があった。店主は一人で店番をしており、商品を守る護衛など一人も見当たらない。
「自分で守るしかないさ。運が悪ければ、商品を全部持っていかれることだってある」
「そんなの……かわいそうだよ」
「かわいそう? ここじゃ珍しい話でもないよ。金持ちは大勢の護衛を雇えるけど、貧乏人にはそんな余裕なんてない。盗む自由は誰にでもあるけど、盗まれない自由は金持ちの特権ってわけさ」
アルトは何でもないことのように言った。
「だから、泥棒になるにしても、相手はちゃんと選ばなきゃいけない。護衛が大勢いる金持ちに手を出すのは、俺だって面倒だからね」
「そっか……」
リルはもう一度、護衛のいない小さな露店に目を向けた。
その店主は、通りを行き交う人々を気にしながら、一つ一つの野菜を丁寧に並べ直していた。
そして次の作戦に移る。
「いいかリル。一人の泥棒ができることなんて、たかが知れている。だけど、二人なら可能性は無限大さ。これを『相棒の連携』と呼ぶんだ」
「あいぼうの……れんけい……!
「そうさ。さっきのも、俺が今考えたオリジナルの技さ。一人じゃ難しいことでも、二人で知恵を出し合えば、思いもよらない方法が生まれる。泥棒にとって大切なのは、腕っぷしや素早さだけじゃない。相棒を信じて、互いの得意なことを組み合わせることなんだ」
アルトは少し得意げに胸を張った。
「へぇー! すごいや! アルトって、いろんなことを思いつくんだね!」
「へへっ。まあな!」
「じゃあ。次の作戦はこうだ。僕がわざとあそこの果物屋から出てくる客にぶつかって、注意を引く。客が俺に気を取られているその一瞬の隙に、キミが客の持っている袋からリンゴを一つ、音もなくかすめ取るんだ。俺を信じて、完璧にやってみせてよ」
アルトは仕立ての良いベストの裾をすっと整え、ふっと不敵な笑みを浮かべた。その姿は、子供とは思えないほど泥棒としての自信に満ち溢れている。
「うん! ぼく、アルトくんの相棒として、絶対に成功させるよ!」
「あと、俺の名前はアルトじゃなくて漆黒のシャドウと呼べよ!」
「ひっぱりうどん???」
「漆黒のシャドウ。いわばコードネームみたいなもの。名前がバレないように偽るんだ。泥棒というのは名前すらもバレちゃいけないからな。」
「分かったよ!しつこい邪道!」
「漆黒のシャドウ、な?」
リルはブカブカの服の袖をぎゅっと握りしめ、ターゲットとなるおばさんを見つめた。おばさんは籠いっぱいに、ツヤツヤとした見事な赤リンゴを抱えている。
「よし……作戦、開始だ」
アルトが路地裏から、まるで計算されたように自然な足取りで飛び出していった。そして、リンゴの籠を抱えたおばさんの目の前で…
「おっと……!」
ドンッ! と、アルトはおばさんの肩にわざとらしくぶつかった。
「ちょっと! どこ見て歩いてるのよ、生意気なガキねぇ!」
「あ、ご、ごめんなさい……。おばさんの籠があまりに立派だったから、見惚れちゃって」
おばさんがアルトに向かってギャーギャーと怒鳴り散らし始める。アルトは頭を下げながら、背中に回した手でリルに向かって
「今だ!」と素早く指をパタパタさせた。
(今だ! しつこい邪道が作戦をやってくれたんだから、ぼくも頑張らなきゃ……!)
リルは意を決して、路地裏からトトトッと飛び出した。おばさんの背後にすり寄り、籠の中の赤リンゴへ向かって、小さな手を伸ばしたその瞬間。
「こら! 謝るならもっと誠意を見せなさいよ!」
おばさんが激昂し、アルトの細い肩をガシッと手荒に掴んで激しく揺さぶってきた。
それを見たリルの頭の中は、一瞬で真っ白になった。
『リンゴを盗む』という作戦の記憶は、リルの脳内から完全に消し飛んでしまった。大好きな友達であり、憧れの相棒であるアルトが、恐ろしい大人の手によって乱暴に扱われている。その恐怖と心配だけで、リルの小さな心臓は破裂しそうになる。
「アルトくーーーん!!!……っ」
リルは伸ばしかけた手を引っ込めると、リンゴのことなどすっかり忘れ、二人の間に飛び込んだ。アルトのベストの袖をぎゅっと掴み、大きな瞳に涙をいっぱいためて叫ぶ。
「アルトくん! 大丈夫!? 痛かった!? 怒鳴られてケガしてないっ!? う、うわぁぁん! ごめんなさい、僕たち、リンゴを盗もうとしましたぁぁぁ!!!おばさん! アルトくんをいじめないでぇぇ!!」
「は、はあぁぁ!?」
おばさんは、突然飛び出してきた別のガキが涙目で大騒ぎし始めたことに、ポカンと口を開けた。自分がまるで極悪非道な悪者になったかのような周囲の視線を感じ、おばさんはすっかり気まずそうな顔になった。
「な、なによ一体……。もういいわよ、フンッ!」
おばさんは調子を狂わされ、ブツブツと文句を言いながら足早に去っていった。
静まり返る表通り。
残されたのは、リルの涙でベストの袖をビショビショにされているアルトと、まだ「ううっ、アルトくん…怖かったよぅ……」とグズグズ泣いているリルだけだった。
アルトは、天を仰いで深いため息をつく。
作戦は、リンゴを一つもかすめ取ることすらできず、一瞬で完全崩壊。
「……リル」
「ぐすっ……なぁに、アルトくん……?」
「泥棒の作戦中、ターゲットに相棒の名前も顔も作戦も全部バラして大声で大号泣する奴がいるかよ!!しかも俺、作戦中は『漆黒のシャドウ』って呼べってあれほど言っただろ! 」
アルトは顔を真っ赤にしながら、魂の底からのツッコミを炸裂させた。町一番の天才スリとしてのプライドが、リルの大音量の公開処刑によって木っ端微塵に砕け散ってしまったからである。
「だってぇ……お、おばさんが、しつこい邪道の肩をすっごくギューッてして、怒鳴るからぁ……!」
「だから「漆黒のシャドウ」だって言ってんだろ!!泣きながらしつこい邪道って言われるとただの変な悪口みたいだからやめて!?」
リルがブカブカの袖で涙と鼻水をゴシゴシと拭うと、アルトはそれ以上怒ることができなくなってしまった。自分を本気で心配して(作戦を完全に破綻させてまで)大号泣してくれたリルの純粋さが、アルトの胸の奥を猛烈にくすぐり、そっけない態度を保てない。
「たく……! 泥棒のコンビを組んだはずなのに、これじゃただの『過保護な相棒』じゃないか……」
アルトはそっぽを向きながら、耳まで真っ赤にして、嬉しさと呆れの混ざった溜息を吐き出す。
「ハァ……ほら、もう泣くなよ。服にほこりが付くだろ」
アルトはぶっきらぼうに言いながら、自分のポケットから、さっきの特訓で使った赤いハンカチを取り出した。そして、リルの涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を、少し手荒に優しく拭く。
「うう、アルトくん、ごめんね。僕のせいで、リンゴ盗めなかった……」
リルが赤くなった鼻頭をズビズビと鳴らしながら俯くと、アルトはハンカチをポケットに仕舞い込み、フンと鼻を鳴らした。
「別にいいよ、あんな酸っぱそうなリンゴ。それにさ……」
アルトは少しだけ声を落とし、リルの頭を軽く小突いた。
「俺がピンチの時に、作戦を捨ててまで助けに来てくれたんだ。……泥棒としてはマイナス100点だけど、相棒としては、まあ……10点くらいはあげてもいいかな」
「えっ! 10点もくれるの!?」
リルの顔が一瞬でパッと明るくなった。100点満点中の10点だということには全く気づいておらず、ただアルトから「相棒として」点数を貰えたことが嬉しくてたまらない。
「あーもう、本当にキミって奴は……!」
アルトはまた顔を赤くして、今度こそ完全にそっぽを向いてしまった。
夕暮れのオレンジ色の光が、路地裏の古いレンガを長々と染めていく。お腹が「グゥ〜」と小さく鳴ったのは、一体どちらの泥棒だったのでしょうか?
「よし、今日の特訓はここまで! 作戦変更さ。今から秘密の隠れ家に行って、明日の作戦会議を開くよ!」
「ええ!秘密の隠れ家!? 行く行く!」
リルはブカブカの服の裾をパタパタと羽ばたかせながら、先を歩くアルトの斜め後ろを、トコトコと嬉しそうに追いかけていった。




