第2話 成果の味
「このトマト、僕が盗んだんじゃないんだ。おじさんが、タダで恵んでくれたの……」
リルが恐る恐る告白すると、アルトは目を丸くして固まった。
「はぁ!? 恵んでもらったぁ!?」
アルトは派手に頭を抱え、信じられないといった様子でリルを見つめる。
「お前、泥棒になりたいんだろ!? そんななさけない泣き顔、親に知られたら、失望されるに決まってるじゃん! 泥棒になりたいんだったらもっとシャキッとしろよ!」
「う、うん……。でも、正直に話すか迷ってて……。だって、嘘をつくのは悪いことだし……」
消え入りそうな声で呟くリルに、アルトは呆れたようにため息をつくと、その両肩をガシッと掴んだ。
「いいか、リル。泥棒ってのはな、時には『優しい嘘』ってやつも必要なんだよ」
「優しい、嘘……?」
リルが不思議そうに首をかしげる。
「そう。本当のことを言って親をガッカリさせるくらいなら、『上手に盗めたよ!』って言って安心させてやる方が、よっぽど親孝行だろ?
アルトは得意げに胸を張った
「それに、これから俺がみっちり仕込んで本物の泥棒にしてやるから、今の嘘だって、すぐに『ただの事実』に変わるさ」
アルトは自信満々に胸を張り、ニヤリと不敵に笑ってみせた。
「ほら、立てよ。お前がやるべきことは、泣き言を言うことじゃなくて、完璧に泥棒のフリをして親を騙し切ること。これも立派な修行の第一歩さ!」
アルトの勢いと、その言葉の裏にある妙な説得力に、リルの瞳が再びきらきらと輝き始めた。
「そっか。パパとママを安心させるための優しい嘘……。うん、僕、やってみる!優しい嘘をつくのも、修行なんだね!」
「そうそう、その意気だよ!」
アルトはツンとすましながらも、リルが自分のアドバイスを100%信じて目を輝かせているのがくすぐったく、内心のニヤニヤを必死に堪とらえていた。
「ねぇ…アルトくん。」
「ん。なに…?」
「明日、またここに来ていい?」
「別にいいけど。俺もどうせ暇だし」
こうしてアルトに背中を押されたリルは、両手で大事にトマトを抱え直し、今度こそしっかりと前を向いて家路へと就いた。
アルトと別れたリルは、夕暮れがすっかり夜の闇へと溶け込む頃、自分の家の古びた木扉をそっと押し開けた。
「ただいま、パパ、ママ!」
ボロいけれど温かい家の中に入ると、すえた酒の匂いと、盗んできたばかりの銀食器を磨くキュッキュという小気味いい音がリルを迎えました。リルの声は、トボトボと歩いていたときとは一転して、どこか弾んでいる。ドロボシア王国の夜は、昼間以上に物騒な足音が響く世界です。けれど、一歩足を踏み入れた家の中だけは、スープの温かい湯気と、どこか気の抜けた泥棒夫婦の気配に満ちていた。
「おっ、リル! 修行から無事に帰ったか!」
リビングのテーブルで特製のピッキングツールを磨いていた父親のガルバが、豪快に声をあげて顔を上げる。鋭い目つきに無精髭といういかにも泥棒らしい風貌だが、息子を見る目はデレデレに緩んでいる。
キッチンの奥からは、母親のエルマがエプロン姿で顔を出す。
「おかえり、リル。あら、お顔がまだ少し赤いわね? どうだったの、初めての『修行』は」
二人の視線が、リルの胸元に注がれました。そこには、少し形はいびつだけれど、ツヤツヤと赤く輝く大きなトマトが一つ。
「 八百屋のおじさんにバレないように、真っ赤なトマトを鮮やかに盗み出してきたよ!」
リルは嬉しそうにテーブルへ駆け寄り、「コトッ」とトマトを置いた。
その言葉を聞いたガルバとエルマは、一瞬だけぽかんと顔を見合わせた。
リルの真っ赤な鼻、少し潤んだ瞳、そして何より嘘をつくときの不自然なほどのドヤ顔。長年泥棒をやってきた二人に、それが我が子の「可愛い嘘」であることを見抜くのは容易なこと。けれど、同時に二人は察した。不器用で優しいこの子が、自分たちを喜ばせるために、必死に「泥棒のフリ」をして見せたことに。
二人の顔には、すぐに愛おしそうな優しい笑顔が浮かびあがった。
ガルバは特製のピッキングツールをテーブルに置くと、リルの柔らかな髪を大きくてゴツゴツした手で、くしゃりと撫で回した。
「おお、やったじゃないか、リル! ちゃんとオヤジにバレないように鮮やかに盗み出してきたんだな!初めての修行で、立派に役目を果たして帰ってくるなんて、本当に大したもんだよ!」
「本当!? パパ!」
「ええ、本当よ」
キッチンの奥から、エルマが嬉しそうにトマトを拾い上げ、エプロン姿で微笑みかける。
「初めてで怖がらずに、ちゃーんとお宝を持って帰ってくるなんて本当に偉いわ。よく頑張ったわね、リル。今夜はこのトマトを使って、特製の美味しいトマトスープにしましょう。リルの、初めての手柄なんだから」
大好きな両親から真っ直ぐに褒めてもらえたことで、リルの胸の奥にあった緊張はすっかり吹き飛んでいった。
「わあ……! パパ、ママ、ありがとう!」
エルマはテーブルのトマトを拾い上げると、すぐにキッチンへと向かった。包丁がまな板を叩く規則正しい音が響き、やがてオリーブオイルの香ばしい匂いとともに、トマトの甘酸っぱい湯気が部屋を満たし始める。
外が完全に夜の闇に包まれる頃、食卓に鮮やかな赤色のスープが並んだ。
「いただきます」
三人で短く言葉を交わし、リルは木のスプーンでスープを口に運んだ。
「……うまっ!」
濃厚なトマトの酸味と、じっくり煮込まれた肉の旨みが口いっぱいに広がる。それは、八百屋のオヤジから力ずくで奪ったものではなく、あの不器用な手から手渡されたもの。そして、両親がリルのプライドを守るために認めてくれた「成果」の味だった。
「本当に良いトマトね。リルの初修行のおかげで、最高のスープになったわ」
エルマがスープを口に運びながら、小さく目を細める。
ガルバも「大泥棒の息子の、記念すべき最初の戦利品だな」と、リルの肩をガシッと掴んで笑った。
リルはスープの温かさを噛み締めながら、路地裏で出会った同い年の少年、アルトの言葉を思い出した。
(優しい嘘、か……)
親を安心させるための嘘。それがいつか本物の事実になるまで、自分は強くなってみせる。
リルは自分の決意をスープと一緒に飲み干すと、まだ少し赤みの残る顔で、パパとママに向かって、にこりと少年らしい笑顔を見せる。
翌朝、リルは昨日と同じブカブカの服の裾をなびかせながら、アルトと出会った路地裏へと走っていった。
木箱の並ぶ路地裏に入ると、そこにはすでに、仕立ての良いベストを着たアルトが退屈そうに懐中時計をいじっていた。
「アルトくん!」
リルの声にアルトはビクッと肩を揺らし、慌てて時計をポケットにねじ込む。
「あ、お前。本当に来たんだな」
「うん! 約束したんだもん。アルトくん、昨日のことなんだけどさ」
リルはアルトの目の前まで駆け寄ると、目を輝かせて言った。
「あのトマトね、ママがすっごく美味しいスープにしてくれたんだ! パパもママも『最高の戦利品だ』って、めちゃくちゃ褒めてくれたんだよ!」
アルトはフンと鼻を鳴らし、興味なさそうにそっぽを向いた。
「そ。上手く騙し通せたわけだ。初めての修行にしては、上出来じゃない?」
「うん! アルトくんが『優しい嘘』を教えてくれたおかげだよ。本当にありがとう!」
「お礼なんて言うなって言っただろ!」
真っ直ぐに向けられるリルの感謝に、アルトは照れくさそうに顔をそむける。ですが、その口元は嬉しさを隠しきれずに少し緩んでいる。
「嘘をついて相手に物を出させたら、それはただの詐欺師だからな。相手に気づかれないで綺麗に盗み出す、それが本物の泥棒。今日から本物の泥棒になるための特訓を始めるよ。覚悟はできてるか?」
アルトが生意気そうに笑うと、リルも「うん!」と少年らしい力強い声で頷うなずいた。こうして、純粋すぎる少年リルと、生意気な天才泥棒アルト。正反対の二人による、奇妙な修行の日々が幕を開けた。




