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ドロボシア革命録 〜盗み下手なピュア少年が、ドロボシアの常識を壊して独裁者になるまで〜  作者: 叶葉リンドレー
少年時代

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第1話 ドロボシア王国

「……あっ、今だ」


夕暮れの風に、トップの束感をもたせた茶髪のショートマッシュを小さく揺らしながら、路地裏の影からそっと顔を出したのは、9歳の男の子リル。まだあどけなさの残る顔立ちだが、その瞳はドロボシア王国の住人が持つ、獲物を狙うギラついた輝きとは正反対の、澄んだ輝きを放っている。

視線の先にあるのは夕暮れの八百屋。標的は、店先に並ぶ真っ赤なトマト。


「いいかいリル、お金を払うなんてドロボシアの恥だからね。ドロボシアに生まれたからには、美学を持って鮮やかに盗み出すんだよ」


出かける前のママの言葉が、耳の奥でよみがえる。この国に生まれたリルにとって、これは一人前の泥棒になるための初めての修行だった。泥棒たちの悪臭や怒号が飛び交うこの王国にいたって、リルの心は純粋そのもの。大好きなパパやママのように、最高にカッコいい泥棒になって、とびっきりの笑顔で褒めてもらいたい!


「よーしパパとママを喜ばせるぞ……!」


ズシリと肩に乗るプレッシャーを健気な決意で振り払い、リルはブカブカの服の裾を、まるで小さな翼のようにパタパタと羽ばたかせながら、路地裏からトコトコと店に向かって駆けていく。


「リル、もし見つかったらな、『UFOが飛んできたから見てただけ』ってウソをつくんだぞ!」


昼間、大好きなパパから伝授された秘策が、リルの小さな頭の中でぐるぐると駆け巡る。

意を決して売り場へすり寄り、伸ばした手が完熟トマトのヘタに触れた瞬間。八百屋のオヤジの鋭い視線とガシッという力強い手応えが、リルの細い手首を捉(とら)えた。


「おいガキ! まさかうちの売り物に手ぇつけようとしてたんじゃねえだろうな!?」


「あ、あのね……お、お空に……ゆえふぉーが……」


ウソをつくのが大の苦手なリル。

頭が真っ白になり、心臓がトク、トク、トクと早鐘のように鳴り響く。罪悪感とパニックで胸がギューッと締め付けられ、大きな涙の粒がボロポロと頬を伝い落ちた。徐々に視界が涙でにじみ、ガタガタと震える口からは、もう言い訳の言葉なんて一言も出てこない。


「うぅ……ごめんなさい……ごめんなさい……。僕、悪いこと……っ、トマトを盗もうとしました……」


あまりの正直さに、八百屋のオヤジはポカンと口を開けてしまった。


一一一オヤジはこの街で何十年も商売をしてきた。万引きのガキなど毎日のように捕まえている。いつもなら、言い訳をわめくガキの横面を張り飛ばし、路地裏へ蹴り出すのがこの街の当たり前(常識)だ。

だが、このガキは違った。捕まった恐怖に怯えて泣きじゃくりながら、あろうことか自分の罪を、涙目でぶちまけた。


「ギャハハハ! お前、泥棒の才能がマイナスだな!嘘ひとつつけねえでベソかいて謝る泥棒がどこにいる! そんな真っ赤な顔でボロ泣きしながら自白して、どうやって盗むんだよ! お前んちの親の顔が見てみてぇぜ!」


オヤジは腹を抱えて笑い出した。だが、その笑いはすぐに、ある種の白(しろ)けさを含んだ、ため息へと変わる。


(ったく、どこのどいつが育てりゃ、こんなマヌケが出来上がるんだ……)


この街の子供は、目が腐っている。親に殴られ、生きるために他人を騙すことを覚え、十歳になる頃には一人前の詐欺師のような顔をする。

なのに、目の前で袖を握りしめて顔を真っ赤にして泣いてるこのガキには、その「腐れ」がない。親に愛され、純粋に育ってきたことが、その怯え方一つで分かってしまう。それが、この薄汚れた街ではひどく奇妙で、同時に、どうしようもなく場違いだった。

ここでこいつの心をへし折るのは、あまりに容易《たやす》い。だが、それは何だか、自分の手でドブ川をさらに汚すような、言いようのない不快感をオヤジは抱いた。


「……チッ。ほらよ、マヌケ。さっさとそれ持ってきな」


オヤジは木箱の中から、少し傷があって売り物にならない、だが一番よく熟れた大きなトマトを一つ掴み、リルの胸元に放り投げた。

リルはパニックになりながらも、落ちそうになったトマトを両手で大事そうに抱きしめ、そして涙をゴシゴシと拭うと、弾けたような笑顔を見せた。


「……おじさん、ありがとう!!!」


裏切りと打算が当たり前のこの街から、とっくに消え失せていたはずのあたたかい言葉。

真っ直ぐな感謝を正面からぶつけられ、オヤジは一瞬、言葉を失った。

胸の奥、もうとっくに死んで錆びついていたはずの歯車が、ギチリと嫌な音を立てて回り始めた。

――まさか、今更になって良心が芽生えたって言うのか?施(ほどこ)しをして「ありがとう」と言われる。そんな人間らしいやり取りをしたのは、一体いつ頃だっただろうか…

自分がまともな人間に戻ったかのような錯覚が、猛烈に気恥ずかしく、そして悍(おぞ)ましかった。

いや、悍ましいと思い込もうとしただけだ。本当は、ずっと欲しかったのかもしれない。オヤジの凍りついた胸の奥で、かつて腐り切れる前に持っていた、あの幼い頃の懐かしいあたたかさが、静かに、だけど確かに息を吹き返していた。


「あ、ありがとうだとぉ!? ナメた口利(くちき)くんじゃねえ! さっさと消え失せろ、この底抜けのマヌケめ!」


照れ臭さが限界を迎えたオヤジは、顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。手荒にリルを店先から追い立てるものの、その目はあちこちへと激しく泳いでおり、最後までリルと視線を合わせようとはしなかった。

八百屋のオヤジに追い払われたリルは、トマトを落とさないよう両手でしっかり抱きしめ、トボトボと家路についた。

すれ違う大人たちの誰もが、冷たく、油断のない目で互いを牽制し合っている。そんな荒んだ街の景色が、涙でじんわりと滲んでいく。


「パパ、ママ、ごめんなさい……。僕、上手に泥棒できなかった。お金も払ってないのに、おじさんがタダでくれたんだ……」


自分の足元だけを見つめながら、小さな声を漏らす。悪いことをしなければ生きていけない世界なのに、どうしても心が追いつかない。


「うう……、僕、やっぱり泥棒に向いてないのかなぁ…」


リルが路地裏の木箱に腰掛け、抱え込んだトマトを見つめて、ため息をついたそのとき。


「ハハッ! 何そのなさけない顔。服もブカブカだし、キミ、本当に泥棒やるつもりあるの? 見てて呆れるね。」


頭上から声がした。屋根の上からひらりと飛び降りてきたのは、仕立てのいい服を着た、リルと同じくらいの年の赤髪の少年。

少年は懐から、きらめく銀の懐中時計を取り出し、指先でいじって見せる。


「泥棒ってのはさ、相手に気づかれず美しく奪うものさ。相手にバレながら盗むなんて、泥棒の面汚しだよ」


恵まれたのではなく、盗んだ相手から逃れてきたのだと思い込む少年。「面汚し」と言われれば怒るか悔しがるところだか、リルの瞳はみるみる輝いた。


「うわあ……! すごいっ!!君、僕と同じくらいなのに、そんな重たそうな時計を気づかれずに盗めちゃうんだ!? まるでお城の怪盗みたいで、すっごくカッコいい! 天才だよ!」


「は、はあ!?お城の怪盗だって? 変な例え。お前、どっかの物好きなお坊ちゃん? それとも、ただの能天気?」


リルは向けられた純粋な称賛の視線に、少しだけ面食らっている。目の前の相手は目を輝かせて「天才」とまで言ってのけたのだから……

なんだかまるで、お日様をじっと見たときみたいに目がチカチカして、胸の奥がむずむずし、その眩しさに耐えられなくなっていく。

少年は思わず後ずさりした。騙し合いが当たり前の王国で、他人を100%純粋に褒める者などいない。しかし、リルの目には憧れしかなかった。

生まれて初めて他人から真っ直ぐ褒められた少年の胸に、リルの言葉が猛烈な勢いで突き刺さった。


「な、何それ。からかってんのかよ」


「ちがうよ、本当に凄いと思ったんだ。ねえ君?どうやったらそんな風になれる? 僕、パパとママを喜ばせたくて……」


まっすぐに見つめるリルの純粋さに気圧され、少年の顔が熱くなる。


「ふん。どうしてもって言うなら、ちょっとくらいは見せてあげてもいいけど……あ、俺はアルト、君は?」


「僕はリル! アルトくん。すごいね!」


「これくらいで驚くなんて、キミ、もしかして泥棒のやり方、全然分かんないのか?」


「う…うん、だって…初めてだから」


「初めて!?じゃあ、この俺が泥棒の仕方を教えてやるよ」


「本当!? ありがとう!」


「お礼なんて言うなよ! ……たく、しょうがないな。泥棒の基本から、みっちり仕込んでやるから覚悟しろよな」


アルトはツンとすましてみせるものの、嬉しさで緩みそうになる口元を必死に堪えていました。こうして、ドロボシア王国に奇妙な少年コンビが誕生した。

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