第17話 自分の中の道理
南大陸ドワンゴナは冬季でも日中の気温は高い。しかし陽が落ちると気温は一気に下がって大地が冷え込む。積雪はないものの冷たい風が吹くため、他の大陸と体感温度は総じて変わらない。
赤い砂が吹き荒れる夜の景色を眺めるルシアは肌寒さを感じながら、見張り台として偽装された巨岩の中で白湯をすする。
「このお湯……なんか土臭いわね」
そう独り言ちると鼻で笑う声が聴こえた。
「汲み上げた地下水はしっかり浄水してるんだけどね。匂いが取れないのさ」
顔を上げると監視用に改装してある窓ガラスに反射してドナの姿が映った。ドナは腰に手を回しながらこちらに近づくとルシアの座る長椅子の隣に腰を下ろす。
「アジトの設備までお詳しいなんて。余程足を運んでるみたいですね、先生」
「教え子の中で一番心配だからね。――まったく。手が掛かる子だよ。ほんと、どいつもこいつも困ったもんさね」
そう言ってドナは小さく笑う。
困ったと言う割にとても嬉しそうだ。やはり手が焼けるくらいが可愛いのだろうか。そんなことを思うルシアはほくそ笑む。
「それで先生。こんな夜更けに教え子を呼び出すなんて。説教なら勘弁してくださいよ?」
冗談交じりにそう告げるルシア。するとドナは真面目な顔をこちらに向けてきた。
「ルシア。あんたは子供達奪還作戦が成功したら娘連れて地球に逃げな」
思ってもいない言葉。今夜呼び出しを受けたのも、てっきりロイケット社交界に勧誘されるものだとばかり思っていた。
鼓動が早くなって体から少し汗が滲む。いずれドナとは話さなければならないことだが、今までは言いずらくて口に出せなかった。
二人きりになれる機会を作り、しかも気を遣って背中を押してくれている。けれどルシアはまだ決断出来ていない。
「今夜、先生が私を呼び出したのは……ロイケット社交界に勧誘するためだと思ってました」
そう返すとドナは鼻で笑う。
「教育指導以外で私があんたたちに無理強いしたことは一度もないはずだよ」
「確かにそうですね。でも……私の行動はみんなを裏切ることになります。みんなが戦っているのに私だけ……逃げることになりますから」
「みんなには私が許可したと伝えるよ。――ルシア、一体何を迷うことがあるんだい? 今まで娘のために行動してきたんだろ? 仲間に後ろめたさを感じて本来の目的を見誤るんじゃないよ」
確かにその通りだ。今まで築いてきた大切な人との絆がルシアの体を縛りつけてきたけれど、それを全て断ち切る覚悟で目的地へと向かって来た。それなのに今になって自分の進む道に迷いが生じている。
では自分は一体何を迷うのか。そう考えたときに思い浮かぶのはイズとシンクのこと。
何十年と苦楽を共にした友人たちから離れる覚悟はできたのに、一年数ヶ月一緒に居ただけの子供たちから離れられないとは自分でも思わなかった。
何故そんな風に思うのかはよくわかっていない。この如何ともし難い気持ちをどう処理すればいいのか全くわからない。
「先生。私、わからなくなったんです。イズとシンクと旅をして……毎日大変だけど本当に楽しくて。娘以外は全部捨てる覚悟を決めたはずなのに……一年数ヶ月一緒だった二人と離れるのが辛くて……今、決心が揺らいでます」
ドナに弱音は吐かないと決めたはずだった。みんなを裏切る覚悟を決めた瞬間からドナに頼ってはいけないと自分に誓ったはずだった。それなのに思わず心のうちを吐露してしまった自分が本当に情けない。
ルシアは不甲斐ない自分の心を痛めつけるようにマグカップを強く握る。
「ルシア。考えて考えて考え抜いて。それでも答えが出ないようなら、自分が本当に心から選びたい道を突き進めばいい。ずっと迷って立ち止まるのは時間の無駄さね。人の時間は有限だからね。いつまでも行動しないと私みたいなシワだからのばばあになっちまうよ。――さあ、ルシア。あんたは今、本当は何をしたいんだい? 胸に手を当ててもう一度考えてごらん」
どうしようもなく困って、悩んで、迷って、不安なときはいつも温かく包み込んでくれて、優しく導いてくれる。厳しくもあり優しい愛情をいつも惜しみなく与えてくれる。
そんな人柄だからこそみんな今でもドナを先生と慕っているのだ。
そう考えたとき、ふと子供の頃の夢を思い出した。いつかドナのような大きくて優しい女性に、困っている人を導けるような女性になりたいと思っていた。
今、自分はそんな女性になれているだろうか。イズとシンクにそう思われているだろうか。
そういえば二人と出会ってから価値観が大きく変わった。二人が変わるきっかけをくれたからだ。今まではずっと娘のことばかり考えて、自分のことを考えてこなかった。
けれど二人と過ごしたかけがえのない時間が本当になりたかった自分を思い出させてくれた。だから今迷い悩んでいるんだ。
娘か、イズとシンクか。娘か、仲間か。そんな選択初めから間違っていた。みんなみんな大切だから。初めからどちらかなんて選べるはずなかったんだ。
だったらどうすればいい。――全部選べばいい。
昔ならできなかった。けれど力を得た今なら可能性はある。未来とは可能性だ。可能性のために戦うときが来たんだ。大切な全部を守るために戦うときが来たんだ。
そう結論付けてしまえばなんてことはない。散々悩んだけれど答えは初めから自分の中にあったんだ。答えが出なかったのは自分の中の道理が立てられなかっただけ。覚悟を決めるための自分の中の言い訳が欲しかったんだ。
ルシアは顔を上げて窓の外を眺める。ずっと目の前のことばかり見ていて気づかなかったが、夜空には綺麗な星々が輝いていた。
「ねえ……先生?」
「なんだい?」
「私のやること……先生は応援してくれますか?」
そう問いかけるとドナは鼻で笑った。
「人の道を外さない限り、私が教え子たちの背中を押さなかったことあるかい? まったく困った子だよ。もう一度私の指導を受け直すかい?」
相変わらずの言い回し。けれどドナの言葉からとても温かい勇気をもらった。
「勘弁してください。先生の温かいご指導はもう十分です」
そういってルシアは笑みをこぼした。




