第18話 伝える者
避難用の扉を開けると肌寒くも清々しい風が入り込み、眩い光が視界を包み込む。周囲を見渡すと朝日に照らされた赤い岩肌は滑らかに輝き、空は地平線の果てまで青く澄んでいる。
爽快な朝に心地よさを感じるルシアはアジトの外に出ると、巨岩の上に立つイズとアルフレイドが相対していた。
二か月間で日課となった朝食前の稽古。その最後の時だ。
ルシアは邪魔にならないよう気配を絶って二人を観察しているとイズが動き出した。
イズは一気に距離を詰めて左の拳を飛ばす。しかしアルフレイドは軽々と避け、側面蹴りを繰り出した。蹴りを跳躍して避けたイズはアルフレイドの顔面に蹴り込むも右腕で弾かれてしまう。
空中で体勢を崩したイズ。その下方からアルフレイドの蹴りが襲いかかる。
イズの体に強烈な蹴りが直撃した。しかしイズは肉体を回転させて蹴りの威力を殺しながら地面に着地し、右の拳を強く握る。そして渾身の一撃をアルフレイドにお見舞いした。
繰り出した拳の衝撃と威力によって空気が弾け飛び、破裂音と共に衝撃波が広がってルシアの髪を大きくなびかせる。
相変わらずイズの繰り出す拳は凄まじい威力だ。けれど残念ながら最後の日もイズの目標は達成出来なかったらしい。
「うおーー!! 結局最後まで一発もアルフレイドのこと殴れなかったーー!!」
頭を抱えて悔しそうな声を出すイズ。一方のアルフレイドはイズの拳をがっちりと握りしめながら楽しそうに笑い声を上げている。
「イズ。お前は間違いなく強くなってるから気に病むな。ただお前が一発も殴れなかったのは俺が最強過ぎるからだ」
この二か月間、飛空艇で様々な地域に飛んでマレージョの侵攻を止めに行った日も、アジトに籠もって身を隠していた日も、どんな日でもアルフレイドはイズのために朝と夜の稽古を欠かさなかった。
それはまるで父親が子供と遊んでいるようで、信頼関係を育むコミュニケーションを取っているようで、ルシアの目にはとても仲睦まじい光景に映った。
「おいルシア! 何笑ってんだよ!?」
イズに見つかってしまったようだ。ルシアは微笑みながら二人の元へと向かう。
「笑ってないわよ。見間違いでしょ?」
「見間違いじゃない!! さっきニヤニヤしてた!! 嘘ついたんだから俺に謝れ!!」
悔しくてムキになるのはとても子供らしくて可愛らしい。イズの隣に並び立ったルシアは頭を撫でると余計に不満顔を見せた。
「はいはい。ごめんね、イズ」
「なんかその謝り方は全然すっきりしないぞ!」
その反応が面白くてルシアは声を上げて笑う。
「まあそうムキになるなよ、イズ。お前は魔術は使えないが、修行したシンクにも負けないくらい強くなったと思うぞ」
アルフレイドの言葉を聞いてイズの表情が明るくなる。
「本当か!? よっしゃー! それじゃあゼリステアにも勝てる!?」
「ゼリステアはちょっと難しいな。あいつはかなり強い。アレンの右腕だからな。――でもなんでゼリステアに勝ちたいんだ?」
「だってあいつ嫌なこと言うんだ。俺の故郷のラミアーヌ島は消滅して、島のみんなは全員死んだって。だから今度会ったらげんこつしようと思ってるんだ。嘘ついて人を傷つける奴はお仕置きしなきゃいけないからな」
イズの心中を察すると本当に胸が締めつけられる。きっと嘘だと憤りたい気持ちと事実かもしれないという不安な気持ちが複雑に入り混じって心を痛めたのではないだろうか。
そう言えばマレージョの襲撃があったせいでイズとゼリステアの件は今の今まですっかり忘れていたが、いざこざの原因はラミアーヌ島の話だったようだ。
このことを知っていればもっと早くイズに寄り添えたかもしれないと後悔する一方、ゼリステアから事実を聞いたのは不幸中の幸いだったかもしれない。
ゼリステアから聞いた話なら事実かどうか疑わしい。だからイズの中で事実を否定する理由になる。
これは真実を知ることを引き延ばしているにすぎないが、それは今のイズにとってとても重要なことだ。例えいつか信頼のおける誰かに真実を聞かされることになったとしても。今より少しでも大人になれば心に負う傷は小さくて済むかもしれない。
だからこそ今はその話題を避けたい。そう思っているとアルフレイドが優しい顔を見せた。
「そうか。まあいずれにしても今は我慢のときだ。イズは大器晩成型だからな。強くなるまでしっかり修行しろ」
「我慢? 修行? なんでだ?」
事情を知っているのかアルフレイドもこの話題には深入りせず受け流した。するとイズは何かを思い出したようでハッとした表情を浮かべる。
「そうだ! ずっと聞きたかったんだけどすっかり忘れてた! ゼリステアってラストネームがクロースだよな? シンクと同じだけどなんで?」
「ん? ああ……それはあれだ。ロイヤールの親父なんだよ。ゼリステアはな」
「え!? そうなの!? つまりシンクのじいちゃん!? ――あれ? でもゼリステアはロイケット社交界の敵だからロイヤールの敵なんだよな? 親子なのに敵対してるの?」
「ああ。人間ってのは力を持つと自慢したくなる生き物でな。そんですぐに偉ぶる。だから自分がよければ周りはどうなってもいいって考える奴らが一定数いるんだよ。ゼリステアはその際たる人間だ。血の通った実の息子や孫ですら自分の価値を高める道具としか思ってない。――そういう意味ではアクソロティ協会の幹部連中はほとんどゼリステアと同じ傲慢な一族って言えるな」
「傲慢な一族? なんで?」
「幹部連中のほとんどはアクソロティって機械装置を開発したり資金提供した奴らなんだ。研究の過程で払った様々な代償や屍の上に獲得した魔術を自分たちが独占した結果が今の立場を創り上げてる。イズも魔術師がフルネームで名乗りを上げるのを聞いたことがあるだろ? あの文化は自分を誇示する傲慢さの象徴だよ」
「そっか。だから傲慢なのか」
「ああ。そんな傲慢な奴らが創った世界だ。イズも負けずに名乗りを上げてやれ。イズ・アスタートって男の名前を世界中に知らしめてやれ。どのみち勇者を目指すなら名前を売って損しないしな」
「おお! なるほどな! それはいいアイデアだ!」
そう言ってイズは喜んでいる。アルフレイドはイズの性格をしっかり把握したうえで適切に正しき道へと進ませようとしている。本当に微笑ましい光景だ。
だからこんな状況で水を差したくはないのだが、一年数か月も一緒にいて初めて聞いた情報に口を挟まずにはいられない。
「イズ。あんたのラストネーム初めて聞いたわ。アスタートって言うのね」
するとイズは首を傾げる。
「あれ? 俺ラストネーム名乗ったことなかったっけ?」
「ないわよ。初めて出会ってから今までイズもシンクも名乗らなかったじゃない。――でもあのときに知らなくて良かったかも。娘を連れて逃げようって考えてたあのときの私なら三人旅は選ばなかった。だってゼリステア様の血筋の子を連れ歩くにはリスクが大きいもの。もちろん今はそんなこと全然考えてないから誤解しないでね」
「わかってるよ。――でもあれかな? 俺のラストネーム聞いてもルシア反応ないからさ。やっぱり俺ってセカンドチルドレンじゃないのかな? 俺を産んだ両親って魔術師じゃないのかな?」
セカンドチルドレンとは神の子供達計画を修了した者の中で特に優秀な魔術師から産まれた子供のうち、さらに優秀な魔術の素養を持つ子供のことを差す。だからファーストチルドレンの子供がすなわちセカンドチルドレンであるわけではない。
このことは日々の勉強の中でイズにも教えていることだが、わざわざ今教え直すのは残酷な気がする。はっきり魔術の才能が無いと断言するようなものだし、アルフレイドの指導もあって体術を伸ばすことに努力するイズに水を差したくない。
そう思い答えに迷っているとアルフレイドが小さく笑った。
「俺は知ってるぜ。アスタートって名前。世界を救った勇者……の創造主だ」
「ん? なんだそれ。一体どういうことだ?」
「そりゃこっちのセリフだ。アリティエから勇者を目指した理由は勇者冒険譚を読んだからだって聞いてたが……もしかして違ったか?」
「いや、そうだけど。でもなんで勇者冒険譚と関係あるの?」
「あるもなにも作者だって。勇者冒険譚の。本の表紙に書いてあったろ? 著者アスタートって」
「そうなの? 俺あの本何度も読んだけど著者なんて書いてなかったけどな」
「ってことはイズ。さてはお前。勇者冒険譚の最終巻しか読んでないな? あれは製本ミスみたいでな。世に出回る最終巻は著者が印字されてないんだ」
「ええ!? マジかよ!? くそー!! 全巻読んでれば著者と俺のラストネーム同じだってシンクに自慢できたのに!!」
悔しがるイズを見てアルフレイドは笑う。
「シンクには今度自慢してやればいい。――ってことでそろそろ朝飯行こうぜ。俺はもう腹減った」
「あっ! 思い出したら俺も腹減った! そんじゃみんなで朝飯行くか!」
そう言ってイズは意気揚々と歩き出す。そもそもルシアは朝食ができたことを呼びに来たのだが、いまさら言う必要もない。
こうしてイズの後に続こうとしたとき、アルフレイドが隣に並び立った。
「あいつは未来の希望だ。俺は最後まで面倒見れないから……あとはよろしく頼む、ルシア」
多くは語らない。けれどアルフレイドが何を言わんとしているのかルシアにはよくわかった。アルフレイドにはもう時間が無いのだろう。自分でいられる時間が。
「ええ。任せなさい」
それからルシアとアルフレイドはイズの後を追った。




