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帝国の水の都③

「あ、あの。ゴードンさん。あの方はどなたです?」

「誰って、アンタが会いたかった人よ」

「で、でも彼は私が知っているカイルではありません」

「そのカイル様に『帝国で会いたい人がいる』って、人探しを頼んだのはアンタでしょう? 全く、あの方に人探しなんてさせちゃって、贅沢な話よぉ。さぁ、あまり時間がないから、さっさと話しちゃって」


 えっ、とシェリィが男性を振り返る。

 会いたいとシェリィが頼んだのは、魔獣討伐隊が壊滅した直後に、ユトレヒトと北部山脈で接触したゴダイバ帝国の軍人だ。


(カイルが捜し出してくれたの?)


 まだ十代後半と思しきその男性は、ペコリと頭を軽く下げてからシェリィの方へ歩き出した。


「こんにちは。貴女がリンツ王国の前キャドベリー公爵のご令嬢ですか?」


 初対面のシェリィに対して緊張しているのか、男性は探るような目つきを彼女に寄越した。


「はい、そうです。父は八ヶ月前に北部山脈で行方不明になっていまして、少しでも行方に繋がる手がかりを探しています」


 男性がごくりと喉を鳴らし、厳かに頷く。


「魔獣討伐に参加されていた、前公爵の側近について調べているんですよね?」


 頭をかきながら歩いてくる男性をハッと見上げ、シェリィが大股で距離を縮める。


「そうです! 父の側近のユトレヒトという者です。帝国軍が彼を保護してくださった時の状況をご存じなら、ぜひ教えてください!」


 男性は列の真ん中あたりの長椅子の背に、軽くもたれてから口を開いた。


「半年前、リンツ王国の魔獣討伐隊の野営地が魔獣に囲まれている、という情報が入った後、すぐに帝国軍は救援隊を派遣したんです。僕はその中で衛生兵でした。ただ、僕達が到着した頃には既にリンツの討伐隊は壊滅状態で、魔獣どもをその場から追い払うだけで精一杯でした。ですが当時、奇跡的に野営地の外に出ていて助かった若いリンツの騎士を救助したんですよ」

「それがユトレヒトですか?」


 シェリィが食い気味で尋ね、衛生兵はゆっくりと首を縦に振った。

 救助された人物は雪山を彷徨ったのか、凍傷を負っていたのだという。

 公爵の部隊は全滅したが、遺体回収は難しくはなかった。魔獣が食うのは人体の柔らかな部分だけで、遺体は腹部以外食害被害に遭っていなかったからだ。

 帝国の救援隊は加えて散乱する遺品を拾い、リンツ側に届けるつもりだった。

 衛生兵はユトレヒトの手当てをしつつ、公爵の部隊に何があったのかを聞こうとした。だがユトレヒトは正常な精神状態にはなかった。


「言葉をほとんど話せなくなっていました。声かけしても無反応で、まるで廃人でして」


 雪の上の足跡から察するに、ユトレヒトは野営地が魔獣に襲われる前に単身、その場を離れたようだった。衛生兵が診察をしてみたところ、ユトレヒト自身は凍傷しか負っていなかった。

 もっとも、心の傷は重症だった。

 人形のような抜け殻になっていたユトレヒトも、ごくわずかな時間、少しだけ表情が動いて正気を取り戻す時もあった。そんな時、彼はいつも頭を掻きむしり「マティアス」とリンツの王太子の名を連呼した。

 部隊派遣が失敗したことを、自国の王太子に詫びたかったからかもしれない。

 救護した帝国軍は、公爵の討伐隊に何が起きたのかをユトレヒトから聞きたがったが、結局は(ろく)な尋問もできず、帝国はリンツ側にユトレヒトを引き渡した。


「とはいえ、ユトレヒトのあの様子ではリンツ王国も公爵の討伐隊に何があったのか、具体的なことは何も聞き出せなかったことでしょう。――そもそも当時あの野営地では、おかしなことがいくつかあったのですが……」


 衛生兵はシェリィにそこまで話すと、一旦言葉を切って黙り込んだ。続きが知りたくて、うずうずしたシェリィが「おかしなこととは?」と先を急かす。

 衛生兵は何度か瞬きをした後で、慎重そうに口を開いた。


「魔獣は血の臭いに敏感なので、どの国の討伐隊も決して動物を野営地で捌いたりしません。食糧としてレバーを持参するのもご法度です。ところが、公爵の野営地の周辺には、大量の動物の血が落ちていたのです。あれでは魔獣を誘き寄せてしまったことでしょう。ましてや夜中に血を放置するなんて、論外です」

「それは奇妙ですね。ご法度を父の討伐隊が知らなかったとは思えませんが」


 深いため息をついてから、衛生兵は話しにくそうに口を開いた。


「野営地は、悲惨な状態でした。ほとんどの騎士達が血まみれで生き絶え、僕たちの到着した時点でかろうじて生きていた数人の騎士達も、既に虫の息だったのです。彼らの守護妖精たちの中には、主人を守って瀕死の者もいました」


 妖精は主人が亡くなると、妖精界に戻るものだが、人間界で死ねば当然、妖精も息絶える。

 衛生兵は当時の光景を思い出したのか、居心地悪そうに胸の辺りを服の上から掻き、重そうな口を開いた。


「野営地の天幕の中も、少し違和感がありました。部隊の荷物がすごく荒らされていて」

「魔獣達が荒らしたのですか?」

「いいえ。奴らは通常、人を喰うだけです。ところが現場はまるで何者かが荒らしたように荷物が散乱して、食糧は残っていましたが酒瓶は全部カラになっていました」


 そんな報告はリンツ王国の調査結果になかった。

 大したことがないと判断されたのか、もしくは意図的に隠されたのか。

 シェリィはここでもう一つの可能性についても考えた。

 おそらく野獣に襲われるきっかけになった何者かが撒いた大量の血と、単身無事だったユトレヒト。これは単なる偶然だろうか。

 事実だけをならべれば、ユトレヒトが野営地に血を撒いたようにも捉えられる。


(まさかね。ユトレヒトがそんなことをするはずかないもの)


「それと……部隊を率いていた公爵様のお嬢様なので、お話ししますが……、実は野営地につく少し前に、少々奇妙なものを目撃しましてね」

「奇妙なもの……とは、なんですか?」

「北部山脈を彷徨くのは、各国の討伐隊くらいです。ところがリンツ王国の討伐隊の後を追うような位置に、十人程度の規模の野営跡が確認できたんですよ。でもそんな小規模の討伐隊は、どの国も出さないはずですし、時期的にリンツの討伐隊しか当時は周辺にいなかったはずなんですがね。おかしいでしょう?」


 同意を求められても、シェリィはどう返事をしていいのかわからなかった。

 正体不明の小さな集団が、父の率いる討伐隊の後を追いかけていたということか。しかも魔獣が彷徨く山中だ。

 目的がさっぱり分からない。


「他にもおかしなことがありましてね。――なんと説明したらいいのか。僕達帝国の救援隊は北部山脈に到着した後は、魔獣を警戒しつつもリンツ王国の討伐隊の野営地を探して、複数班に別れて手分けして山脈を歩いていたのですが、その途中で僕の班は一体の妖精に出くわしたんです」


 思ってもいなかった展開に、シェリィが目を瞬く。


「それは、もしかして討伐隊の騎士達の守護妖精ですか?」


 衛生兵は説明の仕方に迷っているのか、首の後ろをガリガリとかきつつ答える。


「いいえ。その場所は野営地から離れていたので、妖精がいるのが不自然だったんですよ」

「では、なぜ妖精が北部山脈に?」

「近寄ろうと思ったのですが、妖精のそばには魔獣に囲まれた一人の男性がいたんですよ」

「ええと、つまり貴方が見たのは、その男性の使い魔だったということですか?」

「違うと思います。なぜならどちらも男性でしたし……、その妖精はその男性を殺してしまったので」

「妖精が殺人を? そんな話、聞いたこともありませんが……。彼らは主人に忠実に使えますが、主人以外の人間には無頓着ですし危害を加えることはないはずです」

「そうですよ、仰る通りなんです。あの時もみんなに同じことを言われましたよ。だけど、僕は本当に見たんです」


 シェリィの率直な意見に対し、衛生兵は両手で頭を掻きむしった。


「僕があの時見た妖精は、雪山に切り立つ深いクレバスの中に、人間の男を突き落としたんですよ。男性も軽装でしたが血まみれで。僕が見た限りは剣は持っていなかったので、騎士ではないと思うのですが」


 衛生兵は両手で顔を覆って、深いため息をついた。一度目を閉じてから、ゆっくりと開き、シェリィを見つめる。


「その人物がクレバスに突き落とされた瞬間、僕は思わず叫びました。すると僕の存在に気がついたその妖精が、こっちを振り返ったんです。長い髪に紫色の目をした、妙に美しい顔の男の妖精でした」 

「貴方が見たという、突き落とされた男性は、どうなったんですか?」

「分かりません。その後、すぐ吹雪で何も見えなくなったので。魔獣がいたので、クレバスにそれ以上近寄れませんでした。結局、そのすぐ後にユトレヒトとリンツ王国の野営地が見つかりましたので、僕の見たものは吹雪が見せた幻覚だろう、とうやむやにされました」


 衛生兵の見た光景をどう解釈していいのか分からない。言葉通りに想像してみようとするも、想像すら容易ではない。

 シェリィが顎に手をやり首を捻って頭を悩ませていると、衛生兵は腰ベルトにぶら下げた布袋から、一枚のハンカチを取り出した。


「今日はぜひともお嬢様に、このハンカチをお渡ししたかったのです。ユトレヒトは僕達が保護した時、この上品なハンカチを携帯していましてね」


 差し出されたハンカチを、シェリィが無言で受け取る。


「これほど手の込んだ刺繍は、あまり見かけません。雄鹿の刺繍がとても丁寧で、心がこもっていますよね。もしも、リンツでユトレヒトさんにいつかお会いすることがあれば、彼にお返しいただけませんか?」


 苦笑する衛生兵とは対照的に、シェリィは顔をこわばらせていた。手の中のハンカチを慎重に広げ、刺繍を確かめる。刺繍はとても緻密に刺されていた。

 茶色の雄鹿の立派なツノを指先でなぞり、その碧色の瞳をじっと見つめる。

 このハンカチは、シェリィにとって見覚えがあるものだった。


「この刺繍は……、私が刺したんです。目は碧色が一番素敵だと……当時はそう、思っていましたから」

「なんと、お嬢様があげたハンカチでしたか! 何という巡り合わせでしょうか……」


 シェリィは震える手でハンカチを握りしめた。このハンカチを彼女が贈った相手は、ユトレヒトではない。

 公爵邸でシェリィを逃してくれる時に、執事が言っていた言葉を思い出す。彼もこの恐怖を味わったのかもしれない。

 シェリィはおそらく、今大変な証言を聞いたのだ。


(お父様には、何か私たちでは予想もつかないほど恐ろしいことが起きていたのかもしれない……)


 あることに気がつき、足元が冷えていく。 

 八ヶ月前、キャドベリー公爵の部隊のうち、行方不明となったのは公爵その人だけだった。――クレバスに落とされたのは、まさかシェリィの父だろうか。そうであったなら、一体誰が父を?

 シェリィは乾いて仕方がない口をどうにか動かし、衛生兵に尋ねる。


「その殺人妖精の長い髪というのは、もしや黒髪でしたか?」


 衛生兵が目を大きく見開く。


「はい、そうです! 腰まであろうかという黒髪で、神々しいほどに綺麗な顔をした妖精でしたよ」


 バードだ、とシェリィは直感した。

 シェリィの使い魔であるはずのバードが、なぜか戦地に赴き、彼女の父をクレバスに突き落として殺したというのか。

 シェリィの呼吸が苦しくなっていく。

 そういえば、ずっと引っかかっていたことがあった。

 バードは元々、妖精の中では魔力が高い方だった。それなのにキャドベリー公爵が行方不明になった直後から、急に魔力が低くなったのだ。まるでどこかで一気に大量の魔力を消費したかのように。

 だから当時、悲しみに塞ぐシェリィが懇願しても、バードは得意の雪の結晶をちっとも見せてはくれなかった。

 回復に時間を要するほどの大きな魔力を、バードは何かに使ったのだ。――でも、何に?


(もしかして、バードはユトレヒトに何かしたのかしら?)


 最近までバードは確かにシェリィの使い魔だった。

 アンジーに奪われるまで、シェリィに仕えていた。

 父の部隊が全滅したと知ってシェリィが塞ぎ込んでいた時も、ずっとそばにいて背中を撫ででくれた。

 最後にシェリィは最も重要な質問をした。


「そのクレバスから突き落とされた男性は、波打つ豊かな金色の髪の持ち主でしたか?」


 キャドベリー前公爵は、煌めく金髪がトレードマークでもあった。

 だが衛生兵は迷いなく首を左右に振った。


「いいえ。髪はほとんどありませんでしたので、色もよく見えないくらいでした。その質問は、当時リンツ王国から公爵様の調査に来ていた方々にも、お話ししました」


 シェリィの父は、人前ではカツラを被っていた。

 だがカツラの下はツルツルだったのを、家族だけは知っている。

 軍服を脱ぎ、頭上の被り物を外し、束の間の休息をとっていた夜中。シェリィの父は、身だしなみを整える時間もなく、魔獣に襲われたのだろう。

 クレバスに突き落とされたのは、父だ――シェリィはそう確信した。

 真実はとても苦しいものだった。

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