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夜空に浮かぶ、星を落とす

 カイルに手を引かれて東屋の中から出たシェリィは、頭上に広がる星屑の数に驚いた。


「まさに満天の星ね! ここに着いた時より、星の数も明るさも増している気がするわ」


 シェリィを先導するように手を重ねていたカイルが、手を離して自分の腰に手をやり、夜空を見上げる。

 シェリィは手を放されてしまったことを少しだけ残念に思ったが、カイルは気にする素振りもなく彼女に話し掛ける。


「シェリィ。星が好きなら、俺達が再会できた記念にいくつか星を落としてやろう。もう一度、空を見上げてごらん」


 カイルが右手で夜空を指差す。


「星を落とすなんて、冗談でしょう? 魔術をもってしても、できることとできないことがあるもの」


 いくら魔術が苦手なシェリィでも、これは揶揄われているだけと分かる。

 シェリィが腕組みし、苦笑しつつ首を斜めに傾けて星々を見る。

 一方のカイルはいまだ自信満々だった。


「さぁ、どうだろうか。自慢にしかならんが、俺は魔術が得意で――実は自分の魔術には自信しかない。魔獣と戦っている時は、自分は帝国の守護者だと思って敵に向かっている」


 帝国の守護者って言い回し、かっこいい……。シェリィはどうでもいいところにキュンときた。


「い、いくら魔術で大技が出来ようとも、流石に星までは……」

「では、じっと見ているが良い。心の中で『落ちてこい、落ちてこい』と星に願ってみろ」


 そんなおとぎ話のようなことが、起こるはずない。カイルは自分に何をさせる気だろう、と閉口しつつも、シェリィは頭上にどこまでも広がる星空に向かって、心の声で言われた通りに呼びかけてみた。


(星よ、下りてきて……)


 すると銀色や水色に輝いていた小さな星々のいくつかの位置が、急にブレた。


「あれっ?」


 見間違いかと思ったが、天に瞬く星々が、まるで無限の奥行きのある天井から剥がれたかのように、徐々に大きくなりながら落下してくるではないか。

 動揺のあまりその場でタタラを踏み、両手で頭を抱える。


「えっ? えっ? えええッ⁉︎ た、大変よ! 星がこっちに落っこちてくる!」

「言った通りだろ?」


 シェリィと目が合うなり、カイルは自信ありげに胸を逸らして、どうだと言わんばかりの笑みを披露する。

 大量の星々が光を放ちながら上空から落ちてくるので、パニックになったシェリィは自分でも理解不能な行動に出た。

 まずは受け止めねばと両腕を広げ、腰を落として衝撃に備えた。だが天体を手で受け止められるはずがない、と己の行動の不毛さに気づき、すぐにやめる。

 カイルはその反応が面白すぎたらしく、歯を食いしばって腹の痙攣を必死で抑えている。

 そんな反応にはまるで気づかず、シェリィがカイルに避難を呼びかけた。


「ああ見えて、肉眼で見える星というのはとても大きいのよ。落ちたら大惨事だわ。侯爵夫人にも伝えて、どこかに避難を……」


 だが呼びかけは遅かった。言い終わる頃には、星々に見えたものがすぐ頭の上まで迫り、間に合わないと両目を押さえたものの、次の瞬間にはシェリィは(こぶし)大の百個近い光の球に囲まれていた。


(ん? これは何ごと?)


 落ちてきていた星々が、自分の周りで宙に浮いて止まっている。

 そもそも天にあった星が、こんなに小さいはずがない。自分が見ていたものは、一体何だったのか。

 庭園に浮く光の球は、どう見ても魔術で作り出したものだ。

 説明を求めてカイルを見つめると、彼は悪戯っぽく笑った。


「シェリィがさっき砂糖入れの蓋を拾ってくれた隙に、魔術の球を空に浮かべておいたんだ。雲があるよりもずっと低い位置を漂っていたんだが、夜空にあると距離感が意外とわからなかっただろう?」

「やっぱり、私をからかったのね! 悔しいことにすっかり騙されたわ」


 カイルは砂糖入れの蓋を、わざと落としたのだろう。


(紅茶を飲み終わってるのに砂糖を見るなんて、おかしいと思ったのよ……!)


 揶揄われて恥ずかしいと思うものの、カイルの爽やかな笑い声はなぜかとても心地よい。


「夢があって美しい魔術だっただろう? これで実際に天空にいるみたいになったじゃないか」


 たしかに、暗い庭園を漂う無数の光の球は、本当に星のようだ。天空の庭園にいるような気分になる。

 シェリィが手を伸ばして光る球に触れようとすると、球はまるで生き物のようにスイッと逃げていく。


「触れそうで触れないわ。そういうところは、空の星と同じね!」


 楽しくなったシェリィの喉元からくすくすと笑い声が漏れ、両手を伸ばして逃げる球を追う。不規則に動く光の球に囲まれた自分が、まるで夜空を泳いでいるような錯覚を覚える。

 興奮して球を追ってくるくると動くシェリィだったが、急に後ろからカイルがぶつかってきて、足が止まる。

 カイルが両手を伸ばし、背後からシェリィを抱きしめているのだ。


「カ、カイル……?」


 もしやこの光る球は体が当たると危ないからカイルが自分を止めたのだろうか、と咄嗟に思ったシェリィだったが、カイルはシェリィを抱きすくめたまま、何も言わない。

 やがてカイルは重たい声で言った。


「シェリィは……、ガレル州に行ったらどうするんだ?」

「私は父の帰りを待つつもりよ。バードはずっと『公爵様は絶対に帰ってくるから、そう信じて待ちなさい』って言っていたし。それにいつかバードを取り戻したいの」


 するとカイルは理解できない、といった様子で顔を微かに顰めた。少し不機嫌そうな口調で、シェリィに言う。


「裏切り者の使い魔に、なぜこだわるんだ?」

「バードがアンジーのものになったからと言って、私とバードの過ごした日々が、嘘になるわけじゃないもの」


 カイルはシェリィに共感しかねたのか、眉根を寄せて黙ってしまった。


「カイルは……。貴方はどう? その……これからも騎士として、頑張っていくんでしょう?」


 カイルはすぐに答えず、しばらく沈黙してから口を開いた。


「――実は、帝国で三週間ぶりに目を覚ましてから、周りの者達の態度が色々と変わったんだ。皆、口うるさくなってかなわん」

「皆さんに心配をかけてしまったのね……」

「目覚めてからは、側近達にやたら結婚をせっつかれるんだ。三十人の婚約者候補から、誰か一人を早く選べと」

「カイルの、婚約者……」


 婚約者候補が既にたくさんいる話を、前にカイルから聞いていたことを思い出す。

 魔術の星に浮かれていたシェリィの心が、急に重く沈んでいく。

 カイルがただ一人の「婚約者」を選び、もうすぐ正式に婚約をするのなら。それなら、カイルはこんなふうに自分を抱きしめたりしないほうがいい。――シェリィはそう思ったが、だからと言って心地よい彼の腕の中から出ようという気が起きない。

 抱きしめられてドキドキと心臓が鼓動するが、同時に胸が痛む。


(カイルが結婚……。私が知らない誰かと……)


 こうしてほんのひととき、カイルと一緒に過ごせていても、所詮自分たちは別の国に住んでいる遠い存在だ。帝国に遊びに誘われたけれど、きっと互いの国を一度ずつ見たら、そこで二人の関係は終わりを迎える。

 そもそも無関係の二人だったのだから。

 シェリィとカイルの人生は今後、ほぼ交わることはないのだと実感する。

 そう気づいてしまうと、先ほどまでの陽気な気持ちが急にしぼみ、ズーンと気分が重くなる。

 黙っているシェリィに焦れた様子で、カイルが続ける。


「何か言ってくれ、シェリィ……」


 言うべきか少しの間迷った後で、シェリィは思い切って口を開いた。


「あのね、カイル。私……、この先も貴方に会えたら嬉しいなと……、そう思うの。でも貴方が結婚してしまったら、なかなか会えなくなるわよね……」

(違うわ、だめよ。こんな中途半端な言い方じゃ、カイルに私の気持ちの十分の一も伝わらない)


 カイルが「そうかもしれんが」と呟く。


「わ、私……、青のティアラを取り返すために公爵邸に行った時に、マティアス殿下がアンジーをずっとおそばに連れている様子を見たの。でも、不思議なことに何の感情も湧かなかったわ」

「もちろんだ。そんなしょうもない男のために、心を振り回される必要はない」


 そういうカイルの声は、力が入っていてなんだか嬉しそうだ。

 自分のお腹の前に回されたカイルの手に、シェリィがそっと触れる。


「カイルを召喚してから、ずっと触れ合えたら良いなと思っていたけれど、でももっと……」


 これ以上言う勇気はない。

 手を繋ぐだけでは足りない、と言うほど流石に大胆にはなれず、シェリィが言い淀む。

 するとカイルがシェリィの耳元で囁いた。


「奇遇だな。俺も同じことを考えていた。――俺は手だけじゃなく、唇でもお前に触れてみたい」


 シェリィの背中に密着するカイルの硬い胸筋越しに、彼の心臓の鼓動が伝わる。そのバクバクと力強く動く激しさに、彼もとても緊張しているのだと分かり、彼女はそのことに嬉しくなると同時に安堵した。

 カイルと過ごせるのは、あとわずかな時間だけだ。シェリィは勇気を出して、残りの時間を悔いのないよう過ごしたかった。

 頭を少しだけ動かし、シェリィがカイルを振り返る。


「――試してみる?」

「そうしよう」


 カイルの腕に更に力が入り、彼は上半身を傾けてシェリィの頬にそっとキスをした。

 ほんの一瞬で終わってしまったが、物足りなかったのかカイルはシェリィの頬にかかる後毛を片手で優しく振り払い、再び唇を頬に押しつけた。

 そうして一度腕をシェリィから解き、彼女の肩に触れて体ごと振り向かせ、今度は正面から彼女を抱きしめる。


(ああ、なんだろうこの感じ。――すっごく、満たされる)


 シェリィは自分の腕をカイルの背に回し互いに抱き合いながら、昂る感情にたまらず目を閉じた。 

 こうして抱き合うと、カイルの腕の中にすっぽりと自分が収まり、痺れるように陶酔する。

 シェリィの中に湧き起こる感情は、ただ一つだった。


(カイル、貴方が好き)


 あまりにも離れ難く、シェリィはカイルが好きでたまらなかった。

 誰かと隙間なくピッタリと抱き合うことが、こんなにも幸福感でいっぱいにしてくれることを、シェリィは初めて知った。

 元婚約者のマティアスは、シェリィの背に手を回して軽くハグをしてくれることは、たまにあった。だが今思えば、いかに儀礼的な行為であったか。

 カイルのような胸の鼓動も、突き動かされるような熱もそこにはなかったのだと、今更ながらに気がつく。

 カイルはしばらくの間シェリィを無言で抱きしめた後、口を開いた。


「シェリィ。例え離れていても、そなたが心安らかに過ごしていることを、祈っている」

「うん。私はもう、大丈夫よ。私の方こそ、カイルの帝国騎士としての華々しい活躍を、祈っているわ」


 名残惜しそうに身体をゆっくり離したカイルは、シェリィと目が合うなり眦を下げて微笑んだ。


「なんだか蕩けそうな顔をしているぞ、シェリィ」

「だ、だってドキドキして……。変な顔になってるなら、恥ずかしいから見ないで」


 シェリィは顔を背けようとしたが、カイルがしっかりと肩に手を当てているのでできない。


「変なんかじゃない。ただ可愛い」

「あ、ありがとう……」 


 シェリィの体がカッと熱くなり、顔から火を噴きそうなほど、彼女はドキドキした。

 キスも沸騰しそうなほど恥ずかしかったが、カイルの発する「可愛い」の一言は、魔法のように劇的な効果があった。

 死にそうなくらい恥ずかしいのに、夜空を飛べそうなくらい脳内が一瞬にして浮かれる。

 今しか一緒にいられないカイルをしっかり見つめていたくて、シェリィはパチパチと瞬きを繰り返しながらも懸命にカイルを見上げた。

 カイルへの気持ちが膨らみ、はっきりと言葉にして彼に伝えてしまいたくなる。


(でも、ダメよ。カイルを困らせてしまうかもしれない。王太子に振られて公爵家を追い出された女に告白されても、誰だって困るわよね)


「私は、今夜のことを絶対に忘れないわ」

「俺もだ。シェリィと二人で過ごせた今夜を、この先もずっと覚えている」


 シェリィとカイルは手を繋いだ。

 そうして侯爵夫人が二人を迎えに来るまで、並んで夜空を見上げていた。

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