懺悔の間からの脱走
シェリィは狭い室内をグルグル回り、考えた。
ふと、時々ランプ代わりの魔石の輝きが鈍くなることに気がつく。
雷がドカンと落ちるたび、四隅のランプのうち一つが、もうすぐ切れそうなのか明るさが弱くなるのだ。
(磁場かエネルギーの影響かしら? いずれにせよ、雷の音を利用しない手はないわよね)
シェリィは椅子を両手で持ち上げ、窓に向かった。
そのまま耳をそばだて、外からゴロゴロと雷がなり始めるのを待つ。ピカッと外が瞬間的に黄色い光で満たされ、雷の轟音が続くタイミングを見計らい、シェリィは窓目掛けて椅子を放った。
窓の防御は案の定、ランプが弱まる瞬間に弱くなっているようで、呆気なく粉々に砕けた。
雷の音に紛れ、ガラスが割れる音もそれほど目立たなかった。
ガラス片を踏まぬよう気をつけつつ、椅子を窓の下まで引きずり、椅子の上に立って窓に手を伸ばす。
「ダメだわ、高すぎてとても届かない……」
窓は天井スレスレの位置にあり、腕を伸ばして爪先立ちになり、なんとか中指の指先が窓の桟に触れるのがやっとだ。これでは到底窓から逃げることができない。
軽いものを浮遊させることはできるが、自分の体重を持ち上げることはできないし、変身術で魔力を消費しているシェリィは、新たな大技の魔術を繰り出せるほどの魔力がもう残っていなかった。
切れかかっていたランプはいよいよ切れ、ランプが三つになったせいでタイミング悪く室内も暗さを増した。
椅子を降りて苛立ちながら振り返り、ため息とともに彷徨った視線が、鋼鉄のドアで止まる。
鉄格子越しに、ランプを持った人物がこちらへやってくるのが見えたのだ。懺悔の間の真ん中で硬直するシェリィと、格子の向こうにいる者の目が合い、二人は互いにほぼ同時に目を大きく見開いた。
懺悔の間にやってきたのは、公爵邸の執事だった。
執事は震える手で鍵の束をガチャガチャと鳴らしながら鍵を開け、そのまま扉を押した。
「シェリィ様? そこにいるのは、まさかシェリィ様ですか?」
ドアの前で立ち尽くし、食い入るようにシェリィを見ている。目にしているものが信じられないのか、鍵の束が未だ細かな金属音を立てて揺れている。
もはや言い逃れはできない、とシェリィは観念した。パーティーの邪魔をしてしまったことは悪いとは思うが、シェリィは自分が泥棒と呼ばれる筋合いはないとも思っていた。
だからこそ、彼女は堂々と執事に向かって説明をした。
「そうよ……、私よ。変身術を使って、侍女のふりをして中に入ったのよ。叔父様から青のティアラを取り返すために」
「なんと大胆なことを。ご令嬢がこんな危険な真似をなさるとは」
執事はちらりと目線を上げ、割れた窓に目をやった。そして消えたランプの一つをじっと見てから、シェリィに視線を戻す。
「懺悔の間は最近使われておりませんでしたので、魔石に魔力の補充をしておりませんでした。バードに指摘されて、魔力ぎれをしていないか、確かめに来たのですが……まさかのお姿を拝見し、我が目を疑いました」
執事の表情からは、純粋な驚きしか感じられない。とは言えどうせすぐに人を呼ぶのだろうと予想したシェリィが、ジリジリと部屋の中を退く。
だが執事は予想に反して静かだった。
彼は何も言わず、ドアをさらに大きく開け、一歩後ろに下がった。そのまままるでシェリィを誘導するように腕で廊下の方を指す。
「どうぞ、今のうちにお逃げください」
「えっ⁉︎」
「ドアはまた施錠しておきます。そうすれば公爵様はここに閉じ込めたはずの女は、私が魔石を交換しに来る前に窓から逃げ出したと思われるでしょうから」
「私を逃してくれるということ?」
半信半疑のシェリィが斜め下から執事を見上げる。だが執事は静かな口調で言った。
「どうして逃してくれるの? 貴方は今は叔父に仕えているのに、私を助けてくれるの?」
「私はもうすぐ、こちらをやめる予定なのです。長年共にこちらで働いていた使用人達の大半が、ここを去りましたから。それに実際のところ、泥棒はどちらなのでしょうね」
寂しさげな目と投げやりな口調に心動かされ、シェリィは後ずさった分を前進し、ドアに近づく。
シェリィは公爵邸を叔父に占拠された時、屋敷の人間は皆叔父についたのだと思った。自分の味方は誰もいないのだと。もちろん、皆自分の生活がかかっており、なんの力もない十代の娘の味方をして公爵位を継いだ叔父に逆らうことが、容易ではないことも理解していた。
だが、皆気持ちは複雑だったのだと今更ながらにわかり、シェリィは傷ついた心の痛みが和らぐのを感じた。
執事が少しだけ口角を上げて言う。
「貴女様をお逃しすることで、前公爵様に恩返しができます。――先代の公爵様は、本当に良いお方でした……」
シェリィが扉にさらに近づき、まだ少し執事を疑いの目で見つめながらも早足で扉の外へ出る。
「雨のせいで庭園にはほとんど人が配置されておりません。どうぞお逃げください」
「ありがとう。本当に助かるわ」
礼を言いながら、シェリィは制服のエプロンから取れかかっていた花柄の刺繍を、手で掴んで引きちぎった。
「これを窓の外に落としておいて。そうすれば、窓から逃げた仮説の補強になるでしょう?」
「ありがとうございます。助かります」
執事はさらに声を落として、素早く言った。
「シェリィ様も、どうか今後はこのような軽はずみな真似はなさならないように、くれぐれもお気をつけください。 ――私達が思っている以上に、現公爵様とアンジー様は手強い方です」
(私達が思っている以上に?)
意味深な言葉に、シェリィの視線が懺悔の間の中の暖炉に向かう。
ポケットの中の重みを思い出し、シェリィが執事に尋ねる。
「父はこの懺悔の間が嫌いで全く使わなかったけれど、叔父がここに住み始めてから、最近ここに誰か閉じ込められたかしら?」
執事は言いにくそうに小さく頷いた。
「前公爵様の側近のユトレヒト様が、ここに」
「えっ、ユトレヒトが公爵邸に来ていたの?」
ユトレヒトは前公爵が行方不明になった魔獣討伐での、唯一の生存者だった。だが部隊の全滅を機に精神を病み、北部地域で帝国軍に発見された後、リンツ王国軍が迎えにいって帰国させたものの、すっかり廃人になってろくな証言もできず、帰国後消息を絶ってしまっていた。まさかコッソリ叔父が引き取り、ユトレヒトが公爵邸に来ていたとは、寝耳に水だった。
ならば暖炉に落ちていた指輪は、ユトレヒトのものだった可能性もある。
「叔父が父のことを聞き出そうとしていたのかしら。ユトレヒトは自分の名前もわからなくなるくらい、かなり状態が悪かったと聞いているけれど。でもこんなところに閉じ込めたなんて、ひどいわ」
執事は重苦しい声で言った。
「ユトレヒト様はお若くてもとても聡明な騎士でしたのに、本当に残念でした。現公爵様に連れられてこの屋敷に戻ってきた時には、完全に理性を失われていました。おそらくここにいたのは数日程度で、私もその後彼がどこに行ったのかわからないのですが。現公爵様はユトレヒトの話をすると、非常にお怒りになられますので」
「そうだったの。叔父が来てからというものの、私が王立グランデ学院に行っている間に、知らないところでいろんなことが起きていたのね。この部屋の床の石畳も、最近敷き直したの?」
「石畳、ですか? いいえ。それは全く存じませんが……」
シェリィの質問に対し、今度は執事の方が寝耳に水、といった様子で目をパチクリとさせて首を左右に振っていた。
「それもおかしな話だわね。明らかに石畳が変わっているのに、執事の貴方に知らせていないなんて」
執事は念押しのように、シェリィを見つめて言った。
「くれぐれも、今後は身の安全を第一に、お気をつけて行動なさってください」
執事の目は少しだけ興奮に血走っており、シェリィには彼の発言がまるで最後の警告のように聞こえた。
物憂げな視線を投げている女神像の顔をもう一度一瞥してから、シェリィは答えた。
「わかっているわ。私ももう、叔父に関わらないつもりよ」
執事が少しだけ安心したのか、頭をゆっくりと下げた。
シェリィは一度も振り返ることなく、北の棟を出て行った。




