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コレッタの手助け

「ど、どうしてここに?」


 うろたえるシェリィにバードは冷徹な視線を向け、低い声で答えた。


「こちらのセリフです。臨時雇いの侍女ですか? ここで一体何を?」


 背の高いバードに睥睨されて、シェリィは後退りたい気持ちでいっぱいだったが、背後は階段だ。


「その、地下にワインを取りに行こうとしたのですが、初めてのお屋敷でしたので迷ってしまいました」

「ワインセラーは別の棟にあります。この階段からは行けません。――この下にあるのは宝物庫ですよ」

「そ、そうでした……」


 答えた直後、シェリィはしまったと気づいた。

 中に入らなければ、宝物庫だなどと気づくはずがない。臨時雇いの侍女が邸内で迷ったフリをするならば、この答えは適切ではなかった。

 案の定、バードの紫色の瞳が、目敏くシェリィの腰からぶら下がる巾着に向かう。


「それはなんです? まさか宝物庫に入ったのですか? いずれにせよ怪しい者は公爵様に報告をします。ついてきなさい」

「だ、だめ! お願いします、見逃してください! 本当に何もしていませんから」


 シェリィの憐れっぽい懇願はちっとも効かなかった。バードは彼女の手首を掴み、ぐいぐいと大広間の方に引いていく。シェリィが足を踏ん張っても容易に引き摺られてしまうほどの力の差があり、彼女は非常に無力だった。

 バードに引っ張られ、木の床の上で必死に踏ん張っていた革靴は途中で片方脱げ、靴下だけとなった足のせいで余計に簡単に引き摺られていく。

 やがて大広間の喧騒が聞こえてくる距離になり、シェリィは腕を振り回して拘束を解こうとした。

 それでもバードの力は全く衰えない。


(まずいわ。このまま叔父様のところに連れて行かれたら!)


 泥棒とされ、間違いなく処罰を受けることになる。

 変身術の持続時間は、もって一時間程度だ。正体がバレたら、どんな扱いを受けるかわかったものではない。

 シェリィは恐怖で震えながら、一か八かの最後の賭けにでた。


「バード、お願い。顔を今は変えているけれど、私よ。――シェリィなの。頼むから見逃してちょうだい……」


 顔を見上げるが、バードはシェリィを見向きもしない。聞こえなかったのだろうか。彼はひたすら大広間の扉と、その前に控える執事を見つめている。 

 執事もバードに気付き、彼が引き摺るようにして連れている侍女を注視した。

 シェリィは慌てて廊下の大きな窓に映る自分の姿を見た。

 顔はまだ変身術が効いており、制服を着た自分は今はまだ、どこからどう見ても一人の名もなき使用人だ。

 シェリィは再度、小声で呼びかける。


「私を叔父様に会わせないで、バード!」


 シェリィの言葉を最後まで聞くことなく、バードは執事に向かって叫んだ。


「公爵様を呼んでください。不審な侵入者を発見しましたので」

(ああ、だめ!)


 執事はすぐに大広間に入って行った。

 このまま叔父を待つわけにはいかない。最後の力を振り絞って逃げようと腕を振り、シェリィはバードの膝を蹴り上げた。

 だがバードはびくともせず、シェリィの首の後ろを掴み、猛然とした勢いで彼女を床に押し倒し、うつ伏せにした。

 勢いで額を木の床に打ち付け、目を固くつぶった状態でもシェリィは諦めずにどうにか起きあがろうとしたが、両手で必死に床を押しても、バードの力には到底敵わない。

 首を上から強く抑えられては、どうにもできなかった。

 そうこうするうち、大広間の中から廊下に執事に呼ばれた公爵が出てきた。ドカドカと足音を立て、バードに近づいてくる。騒ぎを聞きつけたのか、彼の後ろからは十人ほどの野次馬貴族たちがついてきてしまっている。

 床に這いつくばらされているシェリィは、あまりの羞恥に消えてしまいたくなった。

 床に膝をついてシェリィを抑え込んでいるバードが、上半身を傾けて彼女の耳に口元を寄せ、ごく小さな声で囁く。


「どうせ蹴り上げるなら、革靴を履いた方の足でしなければ。シェリィ様」


 薄目をどうにか開けていたシェリィが、バードの最後の一言に驚き、目を大きく見開く。

 シェリィは一瞬、自分の耳を疑った。


(さっき私の言ったことが、聞こえていたのね。私が誰だか、気づいている。それなのに私をこんなに無下に扱うなんて……)


 だがシェリィが何か言葉を発する前に、バードが彼女の肩を掴み、公爵の方へ強引にその顔を向けさせた。

「痛っ……!」という声が思わずシェリィの喉元から迫り上がる。

 だが肩の痛みより何より、自分が誰かを見破っているらしきバードから、手荒い扱いを受けることがショックだった。

 これまでシェリィは、悲しい別れや裏切りにあいはしても、公爵家に生まれた身として、身体的にこんなに酷い扱いを受けたことはなかった。


「公爵様、この侍女が宝物庫の近くをうろうろしておりました。何やら盗んだのかもしれません」

「なんだと⁉︎ おい、お前。見かけない顔だな! 臨時で雇った者か? これだから臨時雇いは手癖の悪い奴らが紛れ込んでて、信用ならんのだ!」


 公爵が肉ではち切れそうな手を伸ばし、シェリィの巾着を取り上げ、バードが間髪を容れずに魔術で巾着とシェリィのベルトを結んでいる紐を切る。

 公爵が巾着を広げ、廊下の物置台に中身を出していく。

 ジャラジャラと出てくる財宝に、公爵は顔を真っ赤にして憤怒した。


「公爵家で泥棒を働いて、無事ですむと思うなよ⁉︎」


 巾着から中身を出し切った公爵が、シェリィを睨みつけながらバードに言う。


「流石はアンジーの使い魔だな。バード、やはりお前は信頼できる。でかしたぞ!」

「あらやだ、そこにあるのは『青のティアラ』じゃありませんことっ?」


 その場に突然割って入ってきたのは、なんとコレッタだった。後ろに母親の伯爵夫人を連れている。

 大柄で目力の強い伯爵夫人の迫力に、周囲にいる人々が割れるように道を開ける。

 コレッタは目を点にする公爵の前まで歩き、一切の迷いなく、素早く青のティアラを両手で掲げた。


「やっぱり、青のティアラはこちらにあったんですね!」

「ちょ、君は……」

「私はポーレビン伯爵家のコレッタですわ。――先ほどもご挨拶しましたけれど」


 ポーレビン辺境伯は貴族社会において、少々変わり者として有名だった。

 コレッタの母は豪商の娘で平民だったが、その有能さと勝ち気さを買われ、辺境伯に求婚されたのだ。

 ポーレビン辺境伯の領地は帝国との国境に位置し、要衝であるとともに彼自身が交易で成功し非常に裕福なため、喧嘩を売って得する相手ではない。

 器の小さな公爵が、ごくりと生唾を嚥下して激しく瞬きし、たじろぐ。


「私、シェリィとは学友なんです。でもおかしいですわね、シェリィが言うには、青のティアラは公爵様がシェリィに以前渡したはずだとご主張されていたとか。でも彼女には受け取った覚えがないのに、屋敷の中には青のティアラがないらしい、と困っていて。紛失したようで母親の形見なのに手元に置けない、と悲しがっていたのですけれどぉ」


 まくし立てるコレッタに、公爵が顔を引き攣らせる。


「そ、そうだったかな……」

「ですから、見つかって安心しました! こちらのお屋敷にあったのですね、やっぱり」

「あ、ああ。見落としていたようだ。見つかってよかった。怪我の功名というやつだな」


 公爵がティアラをとり返そうと手を伸ばすが、コレッタはそれを自分の母に手渡してしまい、彼の手は虚空を切った。辺境伯の妻の力強い黒い瞳に射貫かれ、公爵がその場で硬直する。

 一瞬だけコレッタの視線が拘束されたシェリィに落ちた。だが彼女は素早く目を上げ、人差し指を立てて周囲に聞こえるような、かなり大きな声を出した。


「実は今日、これからシェリィに挨拶をしてから帰る予定なんです。庭師小屋にいるシェリィに、手渡してきますね」


「庭師小屋?」と事情を知らない招待客達が騒つく。

 コレッタの唐突な提案に、公爵が青ざめながらブルブルと首を左右に振る。


「何をまた。これは叔父である私から渡すべきものではないか」 

「あら、でもこれはシェリィのものです。公爵様はまだ夜会がありますし、何より王太子殿下のご接待をされますよね。今からシェリィに会いに行ける私の方が、適役ですわ。絶対に喜びますもの! ええ、私の手から渡させてくださいませ」


 コレッタが高い声で騒ぐため、屋敷の侍女や給仕達も集まってしまい、公爵が忌々しげに顔を歪めて彼らを睨みつける。


「いや、だが我が家は今、窃盗事件の被害者なのだよ、コレッタ嬢。これから王都警備隊を呼ぶに当たって、捜査にティアラが必要かもしれんのでな。やはり……」

「そうですわね、たしかに捜査も大事ですわ。公爵様がシェリィに渡したはずのティアラが、そもそもなぜ宝物庫にあったのか、この際ぜひ公的な機関に調べてもらうのも、手かもしれませんもの!」


 パン、と両手を叩いて目をキラキラさせるコレッタの前で、公爵が「ウッ……」と呻く。

 二人の会話が詰まったところで、ポーレビン伯爵夫人が気怠そうな視線を公爵に向ける。


「公爵様。結局のところ、その青いティアラは貴方様の姪のシェリィのものなのですか? それとも公爵様に所有権がおありなので?」


 貫禄のある野太い声に、居合わせた者達に気圧されたような緊張感が走る。


「これは……、シェリィの……」

「では捜査に必要ならば、後で王都警備隊にシェリィの元までティアラを見に来させれば良いではありませんか。持ち主に一刻も早く返すのが、道理というもの」

「道理であり正義でもありますわ! 違いませんこと? 公爵様」


 絶対の自信と若さ溢れる満面の笑みをコレッタに向けられ、公爵が「いや、まぁそれはそうだが」と呟く。

 コレッタはその曖昧な返事を都合よく受け取り、その場でドレスの裾を摘んで綺麗な所作でお辞儀をした。


「公爵様。本日はお招きいただき、ありがとうございました。王太子殿下とご挨拶もすみましたので、そろそろお暇いたしますわ」


 クルリと背を向けて公爵邸の正面玄関に向かうコレッタを呆気に取られて見ていた公爵は、並んで歩く伯爵夫人がいまだ持つ青のティアラに気づき「待て」と言いかけた。だが廊下に集まった客人達がヒソヒソとやや困惑顔で自分を見つめているため、口ごもる。

 やがてすぐに伯爵夫人が去ってしまうと、公爵は歯を剥き出しにしてシェリィに焦点を当てた。これ以上はないという怒りの形相で、口を開く。


「この下民のコソ泥が! お前のせいで!」


 公爵が怒りで震える右手で拳を作り、自分の顔の高さまで振り上げ、シェリィの目の前に迫る。だがすぐに彼を後ろから執事が宥める。


「公爵様、夜会の最中にあまり騒ぎを大きくすべきではないかと」


 廊下に出てこちらの様子を窺っている招待客達の様子を気にしながら、公爵が舌打ちをする。彼は拳を下ろしてバードに簡潔に命じた。


「その女を、懺悔の間に閉じ込めておけ!」

「かしこまりました」


 バードがシェリィの腕を掴み、彼女を立たせる。

 公爵は場の空気感を変えたいのか、陽気そうな笑顔で手をパンパン、と叩いた。


「紳士淑女の皆様。お見苦しいところをお見せしました。コソ泥は後で処罰いたしますので、大広間に戻りましょう」


 その場にいた招待客達はやや困惑した様子だったが、絢爛豪華な大広間に戻ろうと数歩進むうち、手癖の悪い貧乏人のことなど、忘れているのだった。

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