不気味な一等星
教皇がヨンメルを連れてフォルタール大聖堂を出たというみきピロの言葉を信じ、太陽が真上から照りつける教都アブソールの街中を駆け抜ける疾斗とヤルバー。
額や首筋から流れる汗も拭わず、ひたすら走る疾斗の頭の中にはヨンメルのことしかなかった。
ヨンメルは生まれてからずっと生け贄として育てられてきて、その中で一度でも子どもらしく笑ったことがあったのだろうか。
やはり普通の子どもに憧れていたのだろうか。
民家から子どもの笑い声が聞こえ、疾斗はそんなことをふと疑問に思った。
実際のところは本人にしか分からないが、少なくとも疾斗といた時の彼女は子どもらしい笑顔は見せず、ずっと責任感と生存欲との間で揺れ動いていたようであった。
たしかに彼女からすれば自分の命ひとつをデュリオスに差し出すことによって、今後80年間は大勢の人の命が失われずに済むのだから当然果たすべき義務だと考えるだろう。
しかし果たして、命よりも重い義務などあるのだろうか。
「死」に向かって生きることを、「生きている」と呼べるのだろうか。
そんな疑問の深淵に疾斗が片足をつけかけたその時。
後ろを走るヤルバーが、「見えたぜ、ハヤト」と前方を指差した。
その声に顔を上げると、自分たちが住宅地から離れた雑木林の入り口まで来たことに気付く疾斗。そしてその林の中へ大型動物の牽引する車が入っていくのを認めた。
「あの中に教皇とヨンメルが…」
車を見失わないようにそろりそろりと後をつける。
そんなこんなで木漏れ日を浴びながら隠れ歩くこと数分。急に車が止まったかと思うと、その中から1人の美青年が出てきた。
黒髪にメガネ、腰の両側には一振りずつ刀が挿してある。
自分の顔をまじまじと見つめる疾斗に、「私のこと、もうお忘れですかね?」と青年は笑いかけた。
「忘れるわけがないだろ。ギアン・スピカス」
疾斗のこの言葉を聞いたヤルバーは耳を疑う。たしかそんな名前の男に倒されたとは聞いていたが、こんなヒョロヒョロな色白美男子が疾斗を倒せるものか、と。
たしかに疾斗という男の強さを知っている者からすればこれほど信じられないことはないだろう。しかし、事実はどこまで行っても事実なのである。
「あなたをあの時に始末できていれば私の昇級は確実だったんですがね…」
もう一度戦わねばいけないことがめんどくさい、と言わんばかりに溜め息を吐くギアン。
「お前と長話する気はない。用があるのはヨンメルだけだ」
そう言ってギアンの横を堂々と通り過ぎようとする疾斗だったが、案の定通してはもらえず、「通すわけがないでしょう。コッチにも退けない理由があるんですよ」とギアンに睨みつけられてしまった。
今度は疾斗が溜め息を吐く番だ。
「やっぱり戦うよなぁ」
「幸い教皇様も居られることですし、“あの人”の手を借りずに制圧したいところですね」
“あの人”と聞いて、ヤルバーが慌てて気配を探るが周囲にそれらしいものは感じられず、考えられるとすればあとは車の中くらいだろうと目星をつける。
ところが。
「ヌヒヒヒッ、残念。正解はアナタの背後でございました」
不気味な笑い声に振り向くと、そこには腕が左右2本ずつ生えた、ひどく猫背の男が立っていた。声と同様に見た目も不気味な男だ。
5センチほどに伸びたアゴヒゲは3つに束ね編まれていて、目の下には目立つ隈、服は腰に布切れを巻いただけのものというなんとも素晴らしい姿だった。
いつものようにカッコつけることも忘れて、「ぬわッ!」という声と共にヤルバーが思わず飛び退ってしまうほどだ。
しかもなんと上半身裸のくせに星だけはしっかりと一個、胸に付いている。肌に直接縫い付けられているようにも見えるが、この先は誰の為にもならないので言及はしないでおこう。
とにかく、不気味な4本腕の男が現れたのだ。
「ヌヒヒッ。わたくし、デシャオと申します。どうぞよろしく、“運び屋のお供”さん」
そう言ってその男、デシャオはわざとらしいお辞儀をしてみせる。
「…アンタ、そりゃどういう意味だ?」
「どうも何も、巷で噂になってるのでございますよ。『贄の運び屋には紫髪のお供がいる』と」
真実かどうかはこの際関係なかった。デシャオにすればヤルバーの平常心を乱せればそれでよかったのだ。
しかし相手の思惑通りにいくほど、ヤルバーは単純ではない。
「好きな子に意地悪をしちまう男みたいだぜ、アンタ。まあ仕方ないか。なんせオレの本当の二つ名は『恋笛のヤルバー』だからな」
「男に惚れられてもなぁ」と首を振るヤルバーを見て、デシャオが笑う。
「ヌヒヒヒッ、アナタのような方は珍しいですな。では覚えておきましょう。『恋笛のヤルバー』の名」
墓標に彫っておくためにね、と呟くデシャオ。
こうしてヨンメル救出作戦は佳境へと突入するのであった。




