教皇
「お前はその鏡でいったい何人の人生を…」
その先は疾斗の口からは出てこなかった。代わりに言葉ともとれない呻き声が彼から漏れる。
トン
肩を叩かれた感覚がして疾斗が振り向くと、そこにはいつものような浮ついたものでなく、自重でどこまでも沈んでいきそうな笑顔を見せるヤルバーが。
「鏡を壊すだけなら、女のコを攻撃したことにはならないかもな」
自分の流儀を曲げてまでこう言うヤルバーを目の当たりにして、疾斗の中を1つの感情が支配し始める。
自分が情けない。
普段好きなことを言ってるくせに、こんな時には誰かに助けられて、何もできてなくて。
「あぁ…」
よろめいて頭を押さえる疾斗。意識をなくす直前にいつも起こるひどい頭痛が、またも襲ってきていた。
ズキッ
「あぁぁ、くっ…!」
膝を折り、地に手をつける。
彼のこの異常な様子に、ヤルバーは一抹の不安を抱いていた。
そして1等星の2人にとっても、この事態は緊張に値するものであった。
「キョルメ、その2人を虫に変えてやるんダナ!」
ダナがそう叫ぶと、無言でうなづいたキョルメは変化鏡を構え、光線を立て続けに放つ。
瞬時にしてその空間は光に埋め尽くされた。
「あはっ、調子乗った罰だよ〜」
立ち込める塵霧に向かい冷たく笑いかけるキョルメ。
しかし、すぐにその笑みは消えることに。
「…誰が調子に乗ったって?」
タッタッ、という足音を響かせながらキョルメとダナに近づく、煙の中に浮かぶシルエットがそう言った。
「バカみたいに光線撃ちまくって1発も当てられねぇヤツがほざいてんじゃねえよ」
煙の中から出てきたのは、闇ハヤトだった。その後から彼を追うようにヤルバーが飛び出す。
遅かったか、とヤルバーは思った。
1度こうなってしまっては、いつともわからない制限時間を待つか、強制的に意識を無くさせるしか、今は方法がない。
ここで少し考え方を変えてみるとする。
現在彼らが対峙しているのは1等星2人だ。まともに戦っていては当然勝ち目がないと言い切れるほど強い。
対してこちらの戦力は、女性には仕掛けることができないヤルバーと、今まで驚異的な戦闘を繰り広げたとはいえつい最近までサラリーマンだった疾斗、それと盲目の少年アズーである。
そんなとき、疾斗の第二人格にして、ヤルバーの不意打ちを除いては未だ負け無しの闇ハヤトが出てきた。これはチャンスと考えることもできよう。
こうしてヤルバーのはじき出した結論は、「このまま様子を見る」というものであった。
「仲間を愚弄するのは許さないんダナ!」
闇ハヤトが言ったセリフに対してダナは肩を震わせ怒号をあげる。
「取り消せ。でなければ本気で倒すんダナァッ!」
そう言うと、彼は右の手に手袋をはめた。灰色ベースに水色で呪具特有の文様が縫いこまれている代物だ。
だがただ一つ、気になる点が。
親指が、破けた手袋から飛び出しているのだ。つけたタイミングや文様からして呪具であることはほぼ確定なのだが、果たして呪具がこんな格好になるのだろうか。
そんな疑問はつゆ知らず、ダナは闇ハヤトに向かって駆け出す。
「運び屋、喰らうんダナ!!」
声と共に右手を突き出すダナ。するとその指先から一本の毛糸が闇ハヤトに向かって伸びていく。
闇ハヤトが冷静に糸先を剣でなぎ払おうとするが、なんとその毛糸はまるで意思を持っているかのようにウネウネと空中でまがりくねり、闇ハヤトの斬撃が当たることはなかった。
そこで手っ取り早く本体を狙おうと、ダナの方へ向けて闇ハヤトが一歩踏み込んだその時。
グラッ
彼は姿勢を乱して地面に崩れ落ちた。毛糸が知らぬうちに闇ハヤトの足元で輪を描いていて、そこに引っかかったのだ。
「ハッ、見た目のわりにセコい手を……なッ!」
倒れたまま文句を言おうとした闇ハヤトが言葉を止めたのは、頭上からダナが急降下してくるのが分かったからだった。
ゴロゴロと転がって避ける。
ドゴォォォン
凄まじいひと蹴りによって床にクレーターができる。
ニィと同時に笑みを浮かべるダナと闇ハヤト。
態勢を立て直し、ぶつかり合おうというまさにその瞬間であった。
「そこまでぇッ!!」
その場の皆がそちらへ視線を向ける。それほどの力がその声には宿っていた。
扉を開けて入ってきたその人物は濃紺のマントを羽織り、フードで顔を隠していたが、ヌッとのぞく手のシワやその声色から年齢は相当なもの(具体的には80から90歳ほど)だと推測できる。
「教皇様ッ!」
即座にダナとキョルメが膝をつく。
この人物が、この世界の唯一の宗教、フォルタ教の教祖であるルウガ・エナ・ファルガストだ。
「贄の運び屋よ、谷賊の娘を連れて帰れ」
未だ床に伏している闇ハヤトは意識を保つので精一杯という状態で、しばらくすると完全に気を失ってしまった。
ところでヤルバーはというと、理解しがたい状況に頭がついて行かず、視界の端にアズーとベイラルを捉えつつ、失神中の疾斗を見つめることしかできずにいる。
「…あー、そこの紫髪の者。運び屋とそこで倒れている者とその子どもを連れて行けるか?」
ファルガスト教皇は立ち尽くすヤルバーにそう言った。
わけがわからないまま、疾斗と谷賊のベイラル2人を両肩にかけ、アズーを連れて出て行くヤルバー。
それはそうと、疾斗一行がいなくなった後の広間は静かであった。
静寂に耐えかねてダナが口を開く。
「あの者らを帰して本当によろしかったのダナ? あの中にはもう1人の生け贄も…」
膝をつき敬意を表している彼だが、特殊すぎる語尾のせいで台無しである。
問われた教皇はフードをとり、左目の下に残る古傷をさすりながら答えた。
「良いのだ。谷族の娘も元より返すつもりであった」
まるで目的はもう成し遂げたような妙な言い方の教皇。
果たして彼の思惑とは。




