救いがないからこそ
騒がしい夕食も終わり、皆が寝る支度を始めた時、疾斗はシリーナを呼び止めて人の来なさそうな廊下に連れてきていた。
「シリーナさん、聞きたいことがあるんですけど」
こう言われたシリーナはしかめ面で、「どうせ『ほんとうは親戚にモナモナがいるんじゃないですか?』とかだろう。あいにく親類には人間しかいないよ」と、普段の様子と似合わずスネている。
「違いますよ」
疾斗がそう笑うと、そうかい、と大人しく納得するシリーナ。
「昼間に見た宿屋の話です」
このセリフを聞いた瞬間、シリーナのまとう空気がピリついたものに。その変化はどんな者が見てもすぐにわかるほどだ。
「アンタ、薄々感じてはいたけど、勘がいいだろ?」
少し暗めのテンションで、シリーナがそう尋ねる。
そうですかね、と大雑把に濁して、「で、あの宿屋はシリーナさんとどんな関係が?」と問い詰める疾斗。
しかたない、と言わんばかりのため息のあと、「あそこはねぇ…」と、シリーナは語り始めた。
「あそこはアタシの妹のキキーナがやってる宿なんだよ。アタシとキキーナは考え方が違ってねぇ。我が家代々の宿を2人で継ぐはずが、『こんなやり方じゃダメだ』って、ここを出てって勝手に自分の宿屋を持っちまったんだ」
現世でもありそうな話だと思いながら頷いていた疾斗だが、気になったことが1つ。
「でもそれは、嫌いになる理由じゃないですよね?」
この問いかけにハッとするシリーナ。自分でも気づかなかった、という顔だろうか。
「アタシも昔からの慣習にとらわれてるだけじゃダメだと思っていてねぇ。嬉しかったんだよ、あの子が独立を言い出した時。長女のアタシの分も、キキーナには自由でいてほしいとも思っていたんだ」
なのに、と彼女は俯いて肩をわなわな震わせ始めた。
「なのにキキーナが始めたのは…。アレは宿なんかじゃなかった…!」
相手の緊張感は自分にも伝わるというが、それは本当らしく、疾斗は背に変な汗を感じていた。
「いったい、どんなことを始めたんですか?」
おそるおそる尋ねる。
すると彼女は、「あの子はねぇ、遊郭を作り始めたんだよ」と言って唇をかんだ。
遊郭。日本でいうところの吉原みたいなものか、と考える疾斗。
「たしかに、シリーナさんの宿の雰囲気とは合いませんね」
もっと感情を露わにして共感してくれると思っていたのか、シリーナの顔が少し曇る。
「…あの子がひどいのはそれだけじゃないんだ」
この際だから全部聞いてもらおうという魂胆なのかも知れないが、彼女は言葉を付け足した。
「ミナ、いるだろう。あの子は実はキキーナの子どもなのさ。それをキキーナは『仕事の邪魔だ』ってんで、ろくに世話をしなかった。だからアタシが預かってんのさ」
異世界でも育児放棄が存在する事実に疾斗は衝撃を隠しきれなかった。
初めにレヌァスンに来た時、彼の胸には未知への期待が満ち溢れていたが、この世界で過ごすうちに、現世と何も変わらない、異世界に救いはないという悲しい事実を、疾斗は少しずつ理解し始めていた。
「…だからこそ」
「なにか言ったかい?」
「だからこそ、どこにも救いがないからこそ、人は誰かに優しくしたくなるんだろ」
「…」
言ってから疾斗は、自分がシリーナとの会話と関係のないことをつぶやいたと気付いて、「俺、わけわかんないこと言ってましたよね」と笑った。
すると、「そんなことないさね」と首を左右に振るシリーナ。
「今の言葉が誰に向けられたものだとしても、アタシの胸にはちゃんと届いたよ」
そうして普段のシリーナらしい明るい笑顔を見せた。
この表情を見た疾斗は、明日、フィーナを助けに行くことを心に決めるのだった。




