谷賊
寂しい夜が明け、3人は2つ目の難所、セダワン渓谷へとさしかかっていた。
セダワン渓谷はざっくり説明すると、“紫色の岩でできた谷”だ。そこに2本の大きな川と、支流が数本流れていて、川以外はウランバラの森とさほど変わらないようであった。
では、この場所がなぜ難所なのか。それは一筋縄ではいかない地形と、もう1つ理由があるのだが、疾斗たちはまだ知らない。
「おぅ、腹が減ったぜ…」とヤルバーがぼやく。
疾斗の背中におぶわれているアズーは情けなさそうな目をして、「ウランバラの森で集めた木の実があるでしょ」とヤルバーの腰にさがる袋を指差した。
「こんなんじゃ足りねえさ。なぁ、ハヤトもそう思うよな?」とヤルバーは袋をポンポン叩いてみせる。
ヤルバーを振り返ろうともせずに、疾斗は辺りの岩壁を観察しながら、「すまん、俺は腹が減らないんだ」と答えた。
「そんなに渓谷ってのは珍しいのかねぇ。そっちの世界にこういうものはないのか?」
「ある。けどこんな岩は見たことがないんだ」
「ん、これは紫雲岩っていって…」とヤルバーが解説しようとするのを、疾斗は彼の口を押さえることで制止した。
そして地面に耳をあて、「なあ、レヌァスンにも馬はいるのか?」と尋ねた。
「ウマ? なんだそりゃ」首をかしげながらも疾斗にしたがい、ヤルバーが音を探った。
すると彼は急に血相を変えて、「ま、マズイ! オレとしたことが、ヤツらを忘れてたなんて…」と頭を抱え、「ボウズ、ハヤト、逃げるぞ!」と叫び、森へ向かい走り出した。
「ヤツら?」アズーと疾斗は理解が追いつかず、その場に呆然としている。
結局逃げることはできずに、足音の正体は疾斗たちのすぐそばまで来てしまった。
「オイッ、そこで止まれヤ!」
足音の正体は二足歩行の恐竜に似た動物で、それは二頭いた。その上には裾が少し広がった長ズボン、動物の皮で造ったノースリーブを身につけた者たちが載っていた。
1人は顔を包帯のようなもので隠していて、今しゃべってきたのは顔を隠していない男だ。
「おめーら、この渓谷が、我ら『谷賊』のナワバリと知っていて侵入してきたのかヤ?」
男に向かって首を全力でブンブン振りながら、疾斗は男に聞かれないくらいの声でヤルバーに質問した。
「…谷賊ってなんだ?」
これに自分も小声で答えるヤルバー。
「…谷賊ってのは、もともと谷のなかった場所に谷を造っちまうヤツらなのさ」
「…教皇騎士団じゃないんなら見逃してくれるんじゃないか?」
「…ハヤトよぉ、そりゃ無理な話だぜ。オレの前に美女を立たせて、『何もするな』って言うのと一緒さ」
『一緒なわけあるかッ!』と疾斗が心の中でツッコむと、
「おめーら、なにコソコソしゃべってるんヤ!」
男はそう言って薙刀の見た目をした武器を疾斗とヤルバーの間に振り下ろした。
そのコンマ7秒後、疾斗はアズーを抱え、ヤルバーとともに3メートル後ろへ飛び退いた。
「へえ、ベイラルの呪具の危険さを瞬時に感じ取ったのか。これはただの通行人じゃないようだねぇ」
ここでやっと顔を隠していた人物がしゃべったのだが、その声の主は、
「女⁉︎」
だった。
「おい紫色の髪のヤツ、急に顔つきが変わってるんヤが…」
アズーがヤルバーの顔を確認してみると、たしかに鼻の下が伸びている。
顔の見えない相手に対してどうしたらここまでの顔ができるのかと言いたくなるほど緩みきった顔だ。
「まったく、フィーナ姐さんに変な視線向けんなヤ」
ベイラルというこの男は呆れてそう言った。
「いいじゃないか、ベイラル。身ぐるみ剥がす前に少しだけ好きにさせてやってもバチは当たりゃしないよ」
そうしてフィーナと呼ばれたこの女性はヤルバーに向きなおり、「アンタ、名前は?」と尋ねる。
「この変な人はヤルバーっていうんだよ」アズーが指差し答えた。
「ヤルバー、か。ん、ヤルバー…? アンタまさか、『恋笛のヤルバー』かい?」
思いがけない言葉に、「え? え?」とヤルバーが動揺しているときに疾斗が考えていたのは、
『その呼び名って本人以外に通用することあったんだ』
であった。




