第30話「一斤染の天使」
どのくらいの距離を駆けてきただろう。陽光を避けた木陰で息を整えていれば、アッシュが足を止めた。「大丈夫?」との問いに頷くも、大丈夫ではなかった。正直、目眩がする。そんな私に気付いたらしい彼は人型に戻ると、私を横抱きし歩みを進めた。
「捕まえたいんでしょ」
「うん」
「多分コッチ。でもそのウィッカって一人だったんだよね?」
「うん」
「おかしいな……反応が二つなんだよ。それにコレウィッカって言うより……」
「何アレ?」
角を曲がったところには白い翼を携えた人型の生物と、真っ黒な装束に身を包んだ男がいる。どう見ても天使と死神の二人組を、私は、しかと見つめた。
アッシュがそちらへ向かっていく為、抱えられている私は自然と彼らのもとへ赴くことになる。どうやら喧嘩をしているらしい彼らは私達に気付くことなく、論争を繰り広げていた。
「だーかーらー! ロッタは早く帰りたいのぉ! 残業なんて冗談じゃないんだから!」
「だから何回も言ってるだろ。天使の気まぐれで命を刈るな」
「はぁ? そういうところホントウザくて嫌い。そもそも天使は気まぐれな生き物……ねぇ星、あの人間コッチ見てない?」
「見てるな。完全に」
「ちょっと!? なんでコッチ近付いてくんの!?」
「俺が知るかよ」
「やだやだやだやだ! 視える人間に会っちゃったらまた帰れなくなっちゃうじゃん!」
筒抜けの会話に眉一つ動かさず距離を詰める私達。その様に何かを確信したらしい天使が慄いている。頭を抱え宙で蹲る様は可愛らしく思えた。
「おい、お前ら。ウィッカ見なかったか?」
「終わった。二人とも視えるとかロッタの直帰後スケジュールが完全に……」
「おい、その白い羽もぐぞ天使」
「はぁ!? なに喧嘩売ってくれちゃってんの!? ロッタのフワフワ柔らかいハートに……ん? 天使? お前、ロッタが天使だって分かるの?」
真っ白なシャツにショートパンツ、更には白い羽を携えていれば、誰が見ても天使だと思うだろう。どうやら口が悪いようだが、声の高さからいっても性別の判断は出来なかった。それでも一斤染の肩までの癖毛を左半分だけ編み込みにしているあたり、少女のように見える。声の高さは少年ぐらいだろうか。性差を感じさせない様も相まって、その姿には神聖さが滲み出ていた。
「ロッタのどこがフワフワ柔らかいんだよ」
「はぁ? 厨二全開星君が何言っちゃってくれてるんですかぁ!?」
「コレは俺の趣味じゃない。上司の趣味だ」
「黙れよ、ブラック企業のブラックマン。そしてロッタを呼び捨てにしないでくれる? ロッタさんだろ? ロッタさん」
「なんで体育会系?」
「体育会系じゃねぇよ。天使は天使さんなんだから、ロッタはロッタさんなんだよ? 分かったか? 星君?」
「理不尽な理屈を並べるな」
「天使は理不尽を並べる生物なんだよ。分かったぁ?」
天使が中指を立ててもいいのだろうか。ロッタさんは死神に対し、憤怒の表情を至近距離で見せつけていた。勿論、低身長のロッタさんも宙を舞うことで、死神と同じ目線になる。喧嘩を仕掛けている様は、兄に相手をして貰えない弟のようだった。