44.声が聴こえなくなっても
小百合ちゃんは、車の僕から降りると、僕の正面に回って、僕のボディに抱き着くようにして、こう、僕に言った。
「帰ってきたとき、私が、ゆうくんの声、聴こえなくなってしまっていたら、ゆうくんは、私のこと幻滅する?」
僕は、小百合ちゃんの質問の意図が全く掴めなかったけれど、取り合えず答えた。
「よくわからないけれど、僕は、小百合ちゃんが僕の声を聴けなくなったとしても、幻滅なんてしないな。そもそも、自動車の声なんてものは、聴こえない人の方が多いし、以前、そこの田邊が僕の声を聴けなくたって、僕は変わらずに田邊に”意見”を述べていた訳だしさ。聴こえる、聴こえないなんて、些末な問題だね。そもそも、僕は車なのだから、”今”は、車としての本分が達成出来ていればそれでよい様なようにも思える。たとえば、思いっきり走れたり、たとえば、思いっきり、身体の調子が良かったりする時なんか最高だ。そういう身体の調整は、声が聴こえたり聴こえなかったりとは関係がない。整備士の皆が、僕の身体を万全に保ってくれてるわけだし。今、僕は、車として満足しているんだ」
小百合ちゃんは、泣き出しそうな顔で僕を見つめた。そうして、こうも言ったんだ。
「……だから、ゆうくんは、意識が戻ってこれたんだね。私、ゆうくんがゆうくんのままで、本当に良かった。ゆうくんの声が聴こえなくなっても、私、ゆうくんのことが大好きなままだよ」
そのまま、小百合ちゃんは、僕にくるっと背を向ける。
小さな頼りない背中に、短い髪、彼女の細い首と肩が、なんとも寒々しく見えた。
彼女は、きゅっと田邊の裾を掴むと、一瞬僕の方を振り返って言った。
「ゆうくん、じゃあ、行ってくるね」
僕は、いってらっしゃ~いと、明るく彼女に答えたんだ。
そうして、目を閉じる。彼らが帰ってくるまで、ぽかぽかな陽だまりで少し眠っていようと思ったんだ。
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