第3話 私の姉は嘘をつく
こはるん、さくらっちと別れてから数分。
薄暗い街灯の灯りを頼りに、あたしは家路を辿っていた。
--完全に嫌われちゃってるよなあ、あれは。
あたしは数分前のやり取りを思い返す。
何を話しても返ってくるのはどんな雪山より冷え切った視線と、嫌い合っている相手とですらもう少し話すんじゃないかと思えるほど必要最小限の言葉。
完全に冷え切った空気にこはるんはあたふたするばかりで、助け舟も期待できなかった。そんな地獄からなんとか先ほど解放されたばかりだ。
普段人に冷たくされることなどまずないあたしは、元気そうに振る舞いつつもちょっと泣きそうだった。危なかった、あと少しでも長くあの地獄が続いていたら往来で泣き喚くところだった。
先ほどは冗談めかしていたが、本当に彼女らに対して怒らせるようなことをした覚えはない。
まあちょっとファーストコンタクトが強引だったような気がしなくもないが、そんなことで人はあそこまで冷たくなることはできないだろう。
--次に会ったら何を怒ってるのかわからないけれど謝ってみようか。ああでもそれって逆効果なのかなあ。
とぼとぼ歩みを進めていると、あたしの家が見えてくる。
毎日開けているドアは、今日だけやけに重いような気がした。
「…ただいまぁ」
玄関で靴を脱ぎながら、おそらくリビングにいるであろう両親に気の抜けた言葉を投げかける。
こんな気分はさっさと切り替えるに限る。今日はママに愚痴ってしまおう。
そんなことを考えていると、玄関に見慣れない靴が置いてあることに気づく。
--もしかして!
その瞬間今までの憂鬱な気分は嘘のようにさっと消え去った。
いつも帰ったらまず洗面所に向かうところを今日は足早にリビングへと向かう。
「っ!ただいま!!今日お姉ちゃんきてるんでしょ!!」
リビングのドアを乱暴に開けながら期待に満ち溢れた声を投げかける。
「おかえり〜美由ちゃんよくわかったねぇ〜」
「ちょっと美由?帰ってきたら手洗いうがいでしょ!風邪引くよ!」
ママの呆れたような説教をきっぱり無視しながらあたしはお姉ちゃんの胸元に飛び込む。
この世界の優しさを全部集めたような心地よい熱と香りに包まれながらあたしはお姉ちゃんの顔を見上げる。
「今度は何日ぐらいいられるの?駅前に新しいカフェできたんだよ、一緒に行こ!」
「う〜ん、今回はちょっとゆっくりしたいし、一週間ぐらいこっちにいようかな。カフェ以外にも行きたいとこたくさん行こうか」
嬉しくて体が震える。一週間も居るなら、行きたいところをたくさん詰め込んだデートプランを考えなきゃだ。
「やった!約束ね、あたしの行きたいところ色々ピックアップしとくからお姉ちゃんも行きたいところ探しといてね!」
そう言い残すとあたしは踊るような足取りで洗面所へと向かう。
今日は感情がジェットコースターみたいだ。一度落ちたあと、最後に天高く登っていくおかしなジェットコースターだけど。
突如として入った明日以降の放課後の予定を思うと、抑えようとしても口角があがる。
幸せな気分に浸りながら手洗いうがいを済ませリビングに戻る。
お姉ちゃんは何やら電話をしているみたいだった。
「はいよ〜 どうかした?うん、もう実家ついてるよ。うん、そうそう……え?」
ものすごく嫌な予感がした。
自慢したくもないが、あたしは嫌な予感を外したことはない。
「あ〜……そっか、うん、わかった。ごめん、また後で掛け直すね、しっかり寝てなよ、はい、はい、じゃあまた後でね」
あたしはこれから確実に嫌なことを告げられることを悟っていた。
本当は何も聞こえないように耳を押さえながらどこまでも逃げてしまいたかったが、そんなことをしたところで何も変わらないことはいくらバカなあたしといえどわかっていた。
お姉ちゃんは眉を落とし、心底申し訳なさそうな顔をして言った。
「ごめんね美由ちゃん。由佳が今体調悪くて、結構ひどいみたいなの。さっき約束したばっかりで本当に申し訳ないけれど、お姉ちゃん明日の朝に帰ることにするね」
「由佳」、忌々しい名前にあたしは思わず顔を顰める。由佳さんはお姉ちゃんのカノジョだ。
あたしは一回しか会ったことがないけれど、大好きなお姉ちゃんをあたしから奪い、遠くに連れ去ってしまった極悪人の顔はしっかりとあたしの記憶にこびりついている。
どうやらあの女はどこまでも無意識にあたしへと嫌がらせをしてくるらしい。
ぬか喜びをした分、落胆であたしは倒れてしまいそうだった。あたしはなんとか言葉を搾り出す。
「……あっそ、好きにしたら。あたし部活で疲れたからもう寝るね」
そう言い放つとあたしはリビングを飛び出した。
「あっ、美由ちゃん待って……」
お姉ちゃんの声から逃げるように階段を駆け上る。自室に入り布団にくるまると、堪えていた涙が溢れ出してきた。
--お姉ちゃんなんか大っ嫌いだ。
そんな子供じみたことを考えながらベッドに顔をうずめると、すぐに私の意識は遠のいていった。
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--おねえちゃん。
幼いあたしがお姉ちゃんを呼んでいる。
--ねえ、おねえちゃん。あたしずっとずっとおねえちゃんといっしょにいたい。
これは、もうすっかり忘れてしまったと思っていた、大切な記憶だ。
--だからね、あたしとおねえちゃんはおとなになったらけっこんするんだよ。
とても綺麗で、優しくて、それでいて残酷な記憶。
--そうね、美由ちゃん
お姉ちゃんの声が聞こえる。
--お姉ちゃんはずっとずっと、何があっても美由ちゃんのそばにいてあげる。
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ガンガンと痛む頭を抱え、あたしは眠りから覚めた。
時刻は朝五時半、昨日泣きはらして変な時間に眠ったせいで変な時間に目が覚めてしまったようだ。
カーテンを開くと、少し白んだ空が見えた。
瞼がひどく腫れぼったい。今のあたしは到底誰にも見せることのできない顔をしているだろう。今日は仮病でも使って学校を休んでしまおう。
きっとママも許してくれる。
ふと勉強机の上に置かれた手紙が目に入る。
おそらく昨日お姉ちゃんが置いて行ったのだろう。
中にはきっとあたしが見たくない言葉が並んでいるから、そのまま捨ててしまおうかとも思った。
……でも、そんなことはできなかった。あたしは手紙を封筒から取り出す。
『美由ちゃん、本当にごめんなさい。約束を守ることができないなんて、私は本当にお姉ちゃん失格だね。
それでも、私にとって由佳はどんなものにも代えられないほど大切で特別なの。きっと美由ちゃんならわかってくれると信じています。
さっきは朝に帰るって言ったけれど、やっぱり今すぐ帰ることにします。次来た時には絶対に今回の埋め合わせをするからね。本当にごめんね。』
読んでいるうちに、昨日嫌というほど流した涙が再び溢れ出してくる。
喉の奥から声にならない悲鳴みたいな音が漏れ出てきて、抑えられない。
あたしは立っていられなくて、床にへたり込んだ。
--あれも、これも、全部っ、……全部!
「嘘つき……!」
乾いた声が、ただ広い部屋に散らばって、消えた。
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ぼーっとしながらトーストを齧る。
結局あたしは学校を休むことにした。いくつか友達から心配のメッセージが届いていたが、返す気になれず放置する。
まだ少し痛んでぼんやりとする頭で、あたしはあの二人に初めて話しかけた日のことを思い返していた。




