交渉
翌朝、埃っぽい床の上で目を覚ますと、体のあちこちが軋んでいた。カーテン代わりに掛けられたボロ布の隙間から、白い朝日が細く差し込んでいる。
「レーション取ってくる!」
アレクトはそう言うなりカリスから鍵を借り、尻尾を揺らしながら飛び出し、駐車していた車まで駆け戻った。その俊足は健在で、ものの数分で両手いっぱいの荷物を抱えて戻ってきた。息一つ乱れていない。
「じゃーん! 朝ごはーん!」
床に広げられたのは、袋に入った人数分のレーションだった。中身は全てパウチに入ったミートソーススパゲッティにクラッカー、チリビーンズ、個包装のチーズ、粉末ジュースの小袋、そしてガムが数枚。どれも栄養補給に特化しただけの、味気のないものばかりだった。
レーション専用のヒーターにミートソーススパゲッティを入れ温めて、食べた。
冷たいまま食べるよりはマシな味にはなった。
一方、部屋の隅では、縄をようやく解かれたギミとダヒリ、そしてクラウンが、欠けた皿の上に盛られた食事を無言でつついていた。水っぽい白米に、痩せ細ったソーセージが一本ずつ。とても育ち盛りの子供に十分とは言えない量だった。
食事が始まると、部屋には誰の声もなかった。クラッカーが砕ける音、スプーンが皿に当たる乾いた音だけが、狭い空間に規則正しく響く。ティシは時折クラウンの方を盗み見たが、クラウンはずっと俯いたまま、皿の中身を機械的に口に運んでいた。
食事を終えると、ティシは昨夜のうちに聞いた話を、順を追ってみんなに語って聞かせた。クラウンの生い立ち、両親のこと、そしてギミとダヒリに拾われた経緯。話が進むにつれ、アレクトの表情はどんどん曇っていき、ウルは膝の上で拳を握りしめていた。
「……というわけで、この子のお兄さんが、私たちの探してる情報屋のターデ」
話を締めくくると、ティシはクラウンの方に向き直った。
「クラウン、もう少しだけ、みんなの前で答えてくれる?」
クラウンは一瞬躊躇うように視線を泳がせたが、やがて小さく頷いた。
「よし。まず聞きたい」
カリスが一歩前に出て、片膝をついた。声のトーンは昨日よりずっと落ち着いていたが、それでも威圧感は消えていない。
「お前の両親と、ターデは今どこにいる」
「……分からないけど、前と変わってなければ、ヴァルグド帝国の帝都、グラナディスにあるタワーマンション。うちの家族の家、そこだから」
「グラナディス……帝都のど真ん中か」
カリスは眉間に皺を寄せた。
「お兄ちゃんは、ほとんど家から出ないと思う。ずっとパソコンの前に座ってて……何してるかは知らないけど、顔もあんまり見せないから」
「敵国の帝都の、しかもタワーマンションに引きこもってる情報屋、か……」
カリスは長く息を吐き、頭を抱えた。壁にもたれかかり、天井を睨みつける。
「侵入経路も護衛も、何もかも一から考え直しだな……」
重い沈黙が部屋を包んだ中、それまで黙って壁際に座っていたネイトが、静かに口を開いた。
「一つ、提案があるんだけど」
「言ってみろ」
「ウチの国のすぐ南に、中立国のシレナがあるでしょ。あそこ、ヴァルグド帝国にも私たちのルクセア共和国にも、武器と弾薬、食料を平等に輸送してる国だから……そこを経由すれば、国境検問もそんなに厳しくないはず」
「……確かに、中立国相手じゃ、も強くは出れないな」
カリスの表情に、初めて明るさが差した。
「シレナ経由なら、正面から検問を突破するよりずっと安全に、帝都まで近づけると思う」
「いいじゃんそれ! さすがネイト!」
ウルが両手を上げて声をあげ、アレクトも隣で大きく頷いた。
「うん、それでいこう」
ティシも同意し、その場にいる四人の意見はまとまった。カリスが小さく頷き、それで方針が決まった。
作戦の骨格が固まったところで、五人は帰還の準備を始めた。荷物をまとめ、車の鍵を確認していると、カリスがクラウンの腕を掴んだ。
「よし、お前も一緒に来い」
「――嫌だ!」
クラウンはとっさに腕を振りほどき、後ろに飛び退いた。
「ギミとダヒリを置いていくなら、絶対に行かない!」
その声には、これまでの怯えとは違う、はっきりとした強さがあった。カリスは眉をひそめ、腕を組んだ。
「お前、あいつらが何をしてたか分かってるのか。人を攫って売り飛ばす、立派な犯罪者だぞ」
「それでも……! あの人たちだけが、俺のこと引き取ってくれたんだ! 家族に捨てられた俺を!」
クラウンの声が震える。目には涙が滲んでいたが、それでも視線は逸らさなかった。
しばらく、カリスとクラウンの間で押し問答が続いた。ティシたちは口を挟まず、成り行きを見守っていた。壁際で縛られたままのギミとダヒリも、固唾を飲んでその様子を見つめている。
やがて、カリスが大きくため息をついた。
「……分かった。条件を出す」
「条件……?」
「お前とギミ、ダヒリの三人には、駐屯地で今までよりずっとまともな衣食住を用意してやる。寝床も、飯も、着るものもだ」
クラウンの目が、わずかに見開かれた。
「その代わり、お前らには情報の提供と、身柄の監視という条件がつく。逃げようとしたり、こちらを裏切るような真似をすれば、その時点で全て取り消しだ」
カリスはギミとダヒリの方にも視線を向けた。
「お前らも、それでいいな」
しばらくの沈黙のあと、ギミが力なく頷いた。
「……こんな暮らしより、よっぽどマシだ」
クラウンはギミとダヒリの顔を交互に見つめ、それから小さく、けれどしっかりと頷いた。
「……分かった」
その返事を聞いて、ティシはようやく詰めていた息を吐いた。窓の外には、朝の光がすっかり街を照らし出していた。




