逃走
車に全員が乗り込むための算段がついた。車の監視をしてもらった3人に礼を言い、ギミとダヒリは狭いトランクに体を折り曲げるようにして押し込まれ、クラウンはティシの膝の上に小さく座った。膝に伝わる体温は、まだあどけないほど軽い。
「最初に来た検問所とは反対側から抜けよう」
カリスがエンジンをかけながらそう言うと、助手席のネイトが小さく首を振った。
「待って。反対側の検問所にも、もう私たちの情報が回ってるかもしれない。念のため、別の道を探した方がいいと思う」
その言葉に車内の空気がわずかに張り詰めた。
「――それは無理だ」
トランクの中から、くぐもったギミの声が響いた。
「この街の周りには、ぐるっと兵士が配置されてる。高台には狙撃手もいるって話だ。検問所を突っ切る以外に、逃げ道なんてねぇよ」
ネイトは唇を噛み、しばらく考え込んだあと、小さく息を吐いた。
「……分かった。じゃあ、賭けるしかない」
カリスは全員を後部座席の床に寝そべらせ、上から古びた布を被せた。埃っぽい匂いが鼻先をかすめる。
「絶対に音を立てるなよ」
そう言い残し、カリスは反対側の検問所へとハンドルを切った。エンジン音だけが、車内に響く唯一の音だった。誰も口を開かず、布の下で浅い呼吸だけが繰り返される。
検問所が近づいてくると、車の速度がゆっくりと落ちていくのが分かった。
「――身分証を」
初めて訪れた検問所と同じように、軽機動装甲車の上に据えられた重機関銃が、こちらへとその銃口を向けていた。カリスは静かに身分証を差し出す。
兵士は書類を確認しながら、窓越しに車内をぐるりと見回した。布の下、ティシは息を止めていた。心臓の音が、自分の耳にまで聞こえてくる。
「……よし、いい」
身分証が返され、遮断機がゆっくりと上がり始める。カリスがギアを操作し、車をゆっくりと発進させた瞬間――
ガタンッ。
トランクの中で、体勢を崩したギミかダヒリのものと思われる音が、鈍く響いた。
「……止まれ!」
兵士の声が、途端に鋭くなった。
「車内をもう少し詳しく検査させてもらう」
その一言に、車内の空気が凍りついた。カリスは一瞬だけ目を閉じ、覚悟を決めたようにギアを叩き込んだ。
「――見つかったら終わりだ」
アクセルをベタ踏みにした瞬間、体がシートに押し付けられる衝撃と共に、車は検問所を突き破るように加速した。布を被っていた四人は反射的に顔を出し、後ろを振り返った。
「追え!!」
兵士の怒声と共に、けたたましい発砲音が空気を切り裂いた。バックミラーに映る軽機動装甲車の機銃が、絶え間なく火を吹いている。
カリスはハンドルを右へ左へと切りながら弾道を避け続けたが、乾いた金属音と共に車体の側面を弾丸がかすめ、サイドミラーが粉々に砕け散った。
「きゃあっ!」
ウルが頭を抱えてしゃがみ込む。続けざまにリアガラスが割れ、細かいガラス片が車内に降り注いだ。
「アレクト! あの機関銃、なんとか止められるか!」
カリスが叫ぶと、アレクトは肩を大きく揺らした。
「え、で、でも――」
「落ち着いて、アレクト」
隣でネイトが低く、けれどはっきりとした声で言った。
「機関銃はずっと撃ち続けるとオーバーヒートする。だから絶対にどこかで撃つのを止める瞬間が来る。その一瞬の隙に、あの車に飛び移って。運転手と機銃手を両方倒せば、追撃は止まる」
「わ、分かった……!」
アレクトは深く息を吸い込み、震える手をぎゅっと握りしめた。窓の外を吹き抜ける風が、金髪と猫耳を激しく揺らしている。
数秒後、けたたましかった発砲音が、ふっと途切れた。
その瞬間を、アレクトは見逃さなかった。
「――今!」
車のドアを蹴り開け、猛スピードで走る車体の間を跳躍する。血の業による俊足が、風を置き去りにするように敵の軽機動装甲車へと迫った。
助手席のドアを力任せに開け放ち、体ごと車内に飛び込む。
「なっ――!?」
突然の乱入に、運転手は思わずハンドルを大きく切った。軽機動装甲車の車体がグワングワンと激しく揺れ、機銃手はその衝撃に耐えきれず、外へと吹き飛ばされていった。反動で開いていたドアが、勢いよく閉まる。
「動くな……!」
アレクトは片手でハンドルを掴み、揺れる車体をどうにか制御しながら、もう片方の拳で運転手の顔面を何度も殴りつけた。
「ぐ、ぁっ……!」
鼻から血を噴き出しながら、運転手はやがてがくりと項垂れ、意識を失った。
「よし……!」
肩で息をしながら、アレクトは急いでドアの取っ手に手を伸ばした。だが――
「……開かない!?」
運転手が最後の力を振り絞り、ドアをロックしていたのだ。カチカチと空しく鳴るロックの音。焦りで指先が震え、なかなか解除できない。
その間にも、制御を失った車体は大きく傾き、そのまま横転した。
――ドォンッ!
鈍い衝撃音と共に、車体は激しく地面を跳ね回り、やがて炎に包まれた。黒い煙が、瞬く間に空へと立ち昇っていく。
「――っ!」
後ろを振り返っていたティシ、ウル、ネイト、そしてクラウンの顔から、一斉に血の気が引いた。バックミラー越しにその光景を見てしまったカリスも、ぐっと目を瞑り、前を向いた。
「アレクト……!」
ティシの声が裏返った。
「アレクト! アレクト!!」
叫びながら、涙が次々と溢れて頬を伝う。開いた窓から吹き込む強い風が、その涙を無理やり乾かしていった。
――と、その時。
「……ティシ」
息を切らした声と共に、温かい手のひらがそっとティシの肩に置かれた。
「……え」
振り返ると、そこには煤で顔を汚しながらも、確かに息をしているアレクトの姿があった。走ってきたのか、肩を大きく上下させている。
「アレクト……! アレクトぉ……!」
安堵のあまり、ティシは後部座席のアレクトの体を思い切り引っ張り、助手席との間からその体をきつく抱きしめた。しゃくり上げる声が、走り続ける車のエンジン音にかき消されていく。
アレクトは戸惑いながらも、その背中にそっと腕を回した。
「……ただいま」
小さく、けれどはっきりとそう囁いた。




