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ある武官の生涯  作者: 大島久嗣
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第一話 生誕から明治前夜

私の最初の記憶は火であった。




いつのころで聞いたのであったか父曰く御所女房の失火と聞く。


これにより御所一帯は壊滅となり幕府より造営費を受け、主上一同新御所に安堵したと伝うる。




その女房は失火の大罪ありしも幕府よりの心入れあり、朝廷でのご沙汰となり、幕府への恩からの和宮様御降嫁勅許となったのではないか、と。




随分と和宮様は「お嫌さんであらしゃった」そうだ。




私が十かそれくらいであっただろうか、乱により京の町が焼け、わが中堂の名の元になった中堂寺もまた焼けたとのことであった。




後日聞き及んだ事によると薩摩藩の江戸近辺に於ける狼藉が元で幕軍が薩藩襲撃した由、過って京大坂へ伝わり戦乱となったとか。


この辺りは何もかも今となっては曖昧だが、東への行幸の遠因となったは間違いなかろう。




数え16歳で元服し、左近大夫将監とし参内に至ったが、世間争乱、騒擾の世に有栖川宮様方錦の旗を奉じてご進発とのこと、その頃の若者ではあり、近衛武官としても気負い立ちし折柄、近衛舎人を率いて参戦すべしとの檄文あり鳥羽伏見役に督せし。


故にこめかみに傷を負う。




幸いにも宮様方圧勝となり雀躍いたし候ところ、主上、大坂御討伐御親征との由。承って大坂に供奉したり。幸いにも戦闘なく、平穏に済めり。


主上の東幸にも二度供奉いたしたものの江戸城を皇居となした為、城内の把握、警固の在り方など薩長上士などとも協議いたし、その後は屋敷の割り振りも決まらず暫しの仮宿、などあり、落ち着くまでは大変ではあった。




主上との関わりを思い起こせば文語になりやすく、日記として読む者には読みにくかろうとは思うが。

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