炎の元ハンター!
時は少しだけ遡り、ツムギとヒナタが廃ビルから逃走した昨日の夕方のこと。
静かな住宅街の一角にある一軒家で、眼鏡をかけた若い男がのんびりと夕食の支度をしていた。トントンと小気味よい包丁の音が響く中、突如としてピンポーンとチャイムの音が鳴り響く。
「はいはい、どなたですか」
眼鏡の男が玄関のドアを開けると、そこには、カチッとした学ランをボロボロにし、顔面を真っ白にした男子高校生が立っていた。
「おや、赤宮くん。そんなに汚れて。トラックにでも轢かれましたか?」
「……まだそっちの方がマシでしたよ」
「まあ上がって。服を脱いでください」
眼鏡の男はため息をつきながら彼をリビングへ通すと、手から淡い緑色の光を放った。ハンターギルド御用達の回復スキルだ。心地よい光が赤宮の身体を包み込み、ヒナタに壁まで吹っ飛ばされた際の内出血や打撲を急速に癒していく。
「――なるほど。さっきの連絡の直後に、そんな事があったんですね」
「ええ。門から出てきたのはハンターなんかじゃく魔物でした。人型が二体と、鳥型が一羽。うち二体の人型魔物どもから感じた気配は間違いなく特級並みでした。俺の炎のスキルすら一瞬で掻き消された」
「おや、それは大変だ」
眼鏡の男は大袈裟に肩をすくめてみせた。
「この街に特級なんかに対処できる現役ハンターはいませんから、それが本当なら今頃この街は壊滅ですね。まあ、そんな魔物がいればの話ですが。現にここから妖気も感じないし、国やギルドから何の緊急報告も受けてないですよ。というか――」
男は眼鏡の奥の目を少しだけ細め、諭すように言った。
「一度引退した君には、もう関係のない話なんじゃないですか? 赤宮くん」
「……。そうですね。治療、ありがとうございました」
赤宮はバツが悪そうに視線を外すと、すっかり元通りになった身体で学ランを着直し、そそくさと家を去っていった。
残された眼鏡の男は、閉まった扉を見つめながらポツリと呟く。
「しかし、勿体無いですねぇ。もし彼が事件で引退していなければ、今頃とっくに2級……もしかしたら、準1級にまで昇進していたかもしれないのに」
そして、時計の針は翌朝の通学路へと戻る。
おかしい。目の前のこのガキ、昨日の魔物に顔も体格もそっくりだが、あの恐ろしい特級並みの気配が全く感じられない。
赤宮は地面にへたり込むツムギを鋭い眼光で見下ろしていた。
だが、彼の手の中にある黄色い鳥のぬいぐるみ――死んだふりをしているピピからはかすかではあるが、4級にも満たない程度の微弱な妖気を感じ取ることができた。
「おい。お前、このぬいぐるみ、どこで手に入れたものだ?」
「そ、それは…昨日の夕方、道に落ちてたのを拾ったんです!(嘘はついてない、嘘はついてない!)」
ツムギは必死の笑顔で答えたが、赤宮の目は明らかに彼女を疑っていた。
もしこの少女と鳥が昨日の凶悪な特級魔物の変装なのだとしたら、一瞬の油断が命取りになる。元ハンターのプライドと昨日吹っ飛ばされた借りを返す為絶対に暴いて国に引き渡してやるという執念が赤宮の瞳に灯っていた。
一方その頃、数ブロック離れた大通り。
「やばいやばいやばい! 本当に遅刻しちゃうーーーっ!」
水色のショートカット髪を激しく振り乱しながら、猛スピードで道路を駆けている少女がいた。東山ヒナタである。
「よりによって転校初日だってのに遅刻スタートとか人生最悪の始まりじゃん! だめだ、私の足じゃもう絶対間に合わない……!」
ヒナタはガクガクと膝を震わせ、大きく息を切らして立ち止まった。このままでは確実にアウト。絶望が頭をよぎった瞬間、彼女の脳裏に昨日のとんでもない力の記憶がフラッシュバックした。
「……あ。ってか、こんな時に変身すればいいんじゃん!?」
ピタッと動きを止めたヒナタは、周囲に人がいないことを確認すると、大急ぎでカバンからあの三十センチの白いステッキを取り出した。
「変身っ!!」
杖に埋め込まれた宝石がまばゆい光を放ち、彼女の全身を包み込む。
光の中で、ヒナタの髪型や瞳の色が神秘的なカラーへと変化し、制服はフリルとリボンがふんだんにあしらわれた、可憐な戦闘少女のドレスへと書き換えられた。
「よし! これなら余裕で間に合う!」
人間を遥かに超越した身体能力を手に入れたヒナタは、再び全力で地面を蹴った。ドパァン!と空気が爆ぜるような音と共に、彼女の身体はさながら弾丸のように加速していく。
「この人形とお前、どこかで見た覚えが――」
赤宮によるツムギへのジリジリとした尋問は、まだ続いていた。
ツムギが「もうダメだ、おしまいだ……」と目を瞑って覚悟を決めた、まさにその時。曲がり角の向こうから、凄まじい風切り音が迫ってきた。
「――ってやばい! 人がいる! 止まれな、間に合わなーーーい!!」
全速力でカーブを曲がってきたのは、フリルドレスをなびかせた戦闘少女・ヒナタだった。
原付バイク以上の速度で突っ込んできた彼女を、尋問で目の前のツムギにしか目を配ってない赤宮が避ける術などあるはずもない。
ドガァァァァン!!!
「ぶふぉっ!?」
昨日以上の凄まじい衝撃音が通学路に響き渡った。
ヒナタと正面衝突した赤宮は、衝撃で手からピピを離し、跳ね飛ばされ、軌道を描いて、遥か彼方の空へと吹き飛んでいった。キラーン、と星になるかのように。
「あ、やっば……。あれ、絶対に大丈夫じゃないよね……?」
着地に成功したヒナタが、冷や汗を流しながら見つめる。
「ひ、ヒナタ――!?」
「ツ、ツムギ――!?」
「「ええーーーーーっっっ!!!???」」
二人の驚愕の悲鳴が、朝の通学路に稲妻が落ちたかのように大音量で轟いた。
「な、なんでここに!? っていうか、学校は!?」
「っていうか私、今また人を吹っ飛ばしちゃったんだけど! あの人、宙を舞って遠くへ消えていったよ! 絶対死んじゃったよ!」
頭を抱えてパニックになるヒナタに、ツムギは遠い目をしながら親指を立てた。
「あの人なら昨日ヒナタが廃ビルで吹き飛ばした人だから、なんかめちゃくちゃ頑丈そうだったしきっと多分大丈夫だよー!」
「そ、それなら良かったよー!」
ギャーギャーと騒ぎ立てる二人。
そんな彼女たちの姿を、近くの民家の屋根の上から静かに見下ろす存在があった。
「ふーん……。あれが、噂の『戦闘少女、マッスルウィッチなんだ」
風に長い髪をなびかせながら呟いたのは謎の少女。その瞳は、退屈そうにツムギとヒナタを観察していた。
一方その頃。
ツムギたちの場所から数百メートルほど離れた、あの眼鏡の男の家。
男はちょうど、優雅に朝食のトーストを口に運ぼうとしているところだった。
その瞬間――。
バリバリバリドゴォォォン!!!
「がはっっっ!?」
凄まじい爆音と共にリビングの天井が崩落。屋根を突き破って降ってきた赤宮が、眼鏡の男が今まさに食べようとしていたテーブルの上のトーストに見事なヒップドロップを決めた。
朝のトーストは木っ端微塵に潰れ、皿が派手に割れる。
部屋中に立ち込める土煙。瓦礫の山の中で赤宮は痙攣していた。
眼鏡の男は、トーストを見つめた後、ゆっくりと視線を落とした。
「おや赤宮くん。今度は新幹線にでも跳ねられましたか?」
「……特級に……跳ねられました…」
赤宮はそれだけ呟くとバタンと意識を失った。
男は静かに眼鏡を指で押し上げ、冷徹な声で言った。
「屋根とトースト代、きっちり弁償してくださいよ、赤宮くん」




