第九十四話 シャドウvsビャクラ(矢島玲香)
(炎王)
「炎王様。本当にビャクラ様にお任せしてよろしかったのですか?」
「あ? 急にどうしたんだよ」
やりたくもねえ書類仕事を一緒に片づけていた部下が唐突に話しかけてきた。
口より手を動かせと言いたかった所だったが、もう何時間もぶっ続けで作業していたから部下も参ってしまったんだろう。
気分転換。ちょいと休憩時間をとることにした。
「まあ、確かにあいつは性格に問題があるが大丈夫だろ」
「しかし、万が一冒険者の二人……えーと、なんて言いましたっけ」
「タカサキ・ショーマとヤジマ・レイカだ」
「ああ、そうでしたそうでした。その、ビャクラ様はその二人を殺しかねないと言いますか……」
部下の心配は最もだった。
ビャクラは腕こそたつが、倫理的に問題のある行動を躊躇なく行う悪癖があった。
それが原因で窮地に陥った事もあるし、奴のせいで俺が師匠から大目玉を食らった事もある。
「まあ、その点は俺も不安に思ってはいるが、今回は大丈夫だろう」
「と、言いますと?」
「ビャクラには二人を殺さないようにときつく命令した。あいつはよく問題を起こすが俺の命令に逆らった事は一度も無いからな」
ビャクラの不可解な部分なのだが、奴はとにかく俺に従順だ。
何でかは分からねえが、俺が命令すればビャクラは素直にそれに従う。
しっかりと命令をしておけば、俺は大丈夫だと信じていた。
「え? それならビャクラ様に問題行動を起こすなと命令すればよろしいのでは?」
「ああ、既に何度もやった。しばらくはおとなしくなるが、どうもあいつは有効期限があると勝手に思い込んでいやがる。三日たてば問題児に戻っちまうんだ」
「は、はあ……」
「俺に同じことを何度も言えってか? もう疲れたんだよ。俺、あいつ嫌い」
駄目だ。このまま続けていたら愚痴がどんどん出てきそうだ。
部下の手前、俺はこれ以上や弱さを見せる訳にはいかねえと考えて休憩を終えることにした。
「心配しなくてもビャクラは強い。信じようぜ、ビャクラの仕事を」
(矢島玲香)
剣とナイフを構えた二人の睨み合い。
シャドウさんは剣を中段に構え、呼吸を整えている。
対するビャクラは両方の手で順手にナイフを握り、半身を逸らした体勢で向き合っている。
そしてビャクラのナイフには薬が塗られていて、掠っただけでもシャドウさんは終わる。
それだけじゃない。まだ時間はあるとはいえそろそろエクスヒールのタイムリミットが近付いている。それを過ぎてしまえば、シャドウさんは本当に動けなくなってしまうだろう。
この勝負、シャドウさんが圧倒的に不利だった。
「で? まだ来ないの? シャドウちゃん」
そのため、ビャクラには余裕があった。
ニヤニヤとしてシャドウさんが動くのを待っている。
何とかそのムカつく顔に攻撃したかったけれど、痺れ薬の影響でまだ体が上手く動かなかった。呼吸もままならないから、魔法を唱えることも出来ず、私はただ見ていることしか出来なかった。
(お願いします! シャドウさん!!)
なんと不甲斐無い事か。
あれだけ無理を言って付いて来たにも関わらず、私はずっとシャドウさんの足を引っ張ってしまっている。
結局、私は何の役にも立てず、最後は祈るだけなんて自分でも滑稽だ。
「黒式剣術、〈五月雨〉!!」
そして、戦いは始まった。
シャドウさんがまるで雨のような無数の斬撃をビャクラに飛ばす。
躱せる隙間など存在しない筈の攻撃だったけれど、ビャクラは私の想像以上の強さを秘めていた。
(嘘……! あのナイフで受けきっている!?)
流石に全ての斬撃は避けられず、ビャクラの腕や足には浅く傷がついていた。
しかし、致命的な斬撃に関しては、ビャクラはナイフを巧みに用いて防御に成功していた。
「ヒャヒャッ!! それで終わりかい、シャドウちゃん!?」
「舐めるな! もう一度五月雨で……」
「ヒヒヒ! でもねシャドウちゃん。雨なら俺も降らせるのよ」
「む!? 貴様ッ……!!」
突然、シャドウさんの頭上から何十本モノナイフが降り注いだ。
傍から見ていた私でも、ビャクラの動きに気付かなかった。ただシャドウさんの攻撃を防いでいただけじゃない。いつの間にか、あいつはナイフを頭上に投げていた。
「むう! これしき……!!」
「ヒヒョッ!! 隙だらけだよーん、シャドウちゃん」
ビャクラは何本ものナイフを懐から取り出し、シャドウさんに投擲し始めた。
上と横。二方向から絶対に食らってはいけない攻撃がシャドウさんに繰り出された。
(危ない!)
「黒式剣術、〈山茶花〉!!」
「ほーう。ま、これくらいは防げるよね。シャドウちゃんは」
「ぐふッ……まだで御座る! 黒式剣術、〈双撃〉!」
山茶花。まさにその花びらの如く舞い散った斬撃がシャドウさんを囲んでいたナイフを悉く弾き飛ばした。
そこまでは良かったのだけれど、シャドウさんの顔色が優れていない。
明らかに毒の影響が戻り始めていた。
「ヒャヒャヒャ! おーし!! もうキツイっしょ、シャドウちゃん」
「ま、待て! 何処へ……行く!?」
そして、そんなシャドウさんを見てビャクラは背を向けて走り出した。
「いやいや、そんだけきつそうならわざわざ戦う必要なんてないっしょ」
「な!?」
「そこの女の子は動けないし、あんたはもうすぐ死ぬ。リスクはとらずに作戦成功って寸法よ」
「ふざけ……るな! ビャクラ! 拙者と……戦うで御座る!」
「やーだーね。あんたの剣術が脅威なのは既に分かったんだ。このままおとなしく待たせてもらうぜ」
このままでは本当に不味い。
シャドウさんはもう限界だ。剣を地面に突き立てて、片膝をついてしまっている。
時間がたてば、私達の、負け。
「ヒヒッ!! ま、今の内に連絡とるか。流石に二人も運べねえしな」
(早く……早く呼吸を戻さないと!!)
ビャクラは馬車から鳩を取り出し、何やら手紙を書いている。
最大のチャンスだった。。ビャクラが油断している今、私が動かないといけなかった。
でも、焦れば焦る程に呼吸は乱れてしまい、正常な呼吸なんか戻らない。このままじゃ――
――無理をなさるな。お主の気持ちは分かるが、今は忍耐が肝要で御座る
(!!)
あの時、焦って飛び出そうとした時にシャドウさんにかけられた言葉が蘇った。
私は……何をしているの?
正真君を取り返そう取り返そうとばかり考えて何も出来ずに、こうやって何も出来ないまま。
私は誓った筈だ。何も出来ないのは嫌だと。
(私は……生き残っただけなんて絶対に嫌!!)
歯を食いしばり、はやる気持ちを殺す。
敵を捉えながら、意志だけは燃やし続ける。
決して気持ちを強めてはいけない。焦った段階で私達全員が終わってしまうから。
(うん、気持ちって、強すぎてもいけないんだな)
大事なのはタイミングだ。
ビャクラは今油断しているけれど、この距離では私の魔法は届かない。
かといってこのままじっとしているワケにもいかなかった。
「さて、そろそろお楽しみといきますか」
ビャクラは勝ち誇った笑みで私の方へと歩いてきた。
ええ……。分かるわよ、あなたのやりたい事。
けれど、残念ながら一歩、遅かったみたいね。
「どこから切ろっかな~? やっぱ、胸とか……」
「セークリッドフォース!!」
「!? ぐおおッッ!!?」
ビャクラを吹き飛ばすために放った魔法は、惜しくもビャクラが飛び退いてしまった事で命中しなかった。
ようやく立ち上がれた。まだ体はピリピリして本調子じゃない。
けれど、とっくに呼吸は乱れはいなかった。声も出せる。喋れる。戦える。
「ビャクラ。お楽しみは、ここからよ」
ここからは、私の戦いだ。