第百一話 本心を曝け出して
玲香が泣き止むまで、俺はただ彼女を抱きしめていた。
泣き叫ぶ声が痛い程に胸を突き、俺の服を濡らす。
ひとしきり感情を吐き出してようやく顔を上げた彼女の顔は……とても、ぐしゃぐしゃに乱れていた。
「あ……」
ハッと気付いたように目元を擦る玲香。
そんな事しなくてもバッチリと見えていたのだからしょうがないと思うのだが、ともかく泣き腫らした顔で玲香はようやく理由を話してくれた。
「……私ね。今日、人を殺してしまったの」
「! それは……俺を助けるために、か……?」
「うん……、ビャクラの部下の、一人。気絶させただけだと思っていたのに……打ち所が悪かったみたいで……それで……」
この世界では、死はあまりにも身近な存在だ。町の外に出れば魔物や盗賊の危険にさらされ、町の中ですら金目当ての強盗、あるいは飢えて横たわる人間を俺達は何度も見てきた。
そんな訳で、この世界では自分が生き残るためには他人を殺すことが半ば認められている。勿論取り締まる組織も存在するのだが、今回の俺のように仲間を助けるために攫った相手を殺すというのは珍しい話では無かった。
だが俺達は……違う。殺人が許されない世界の人間だ。
一人殺してしまう、それだけで罪となる世界に身を置いていた。その意識が……今の玲香を苦しめている。
けれど、それでも納得できなかった。
「何で……話してくれなかったんだ?」
俺が引っかかったのは、その一点。
何故ずっと一緒にいた俺に……伝えてくれなかったのだろう。
「正真君は……どう思ったの? 私が……人を殺したって聞いて」
「……まあ、びっくりしたよ。ああ、そうだったんだって」
「……そうなるから、話したく……無かったんだ。正真君だけには……知られるのが嫌だったから」
「なんでだよ? 俺は別に……」
「今もそうでしょ? 私を見る目が前と違っているよ。……やっぱり怖いんでしょ、私の事が」
「何言ってんだよ玲香。俺はただ……」
「止めてよ!! やっぱり正真君は……私の事を……」
玲香の言葉がさっぱりと分からなかった。急に話が滅茶苦茶になると思ったら、怒鳴り出して……。
「私は……もう、正真君と一緒にはいられないよ。正真君も嫌……でしょ?」
「おい、さっぱり分かんねえぞ。それに一緒に居られないだと? 俺達は二人で日本に帰るんじゃなかったのか?」
「ううん……私はもう、戻るのが怖いんだ」
「……え?」
「私の魔法で……一人の命を奪ってしまった。【黒】の家来とかセントラルとは違う、本物の……生身の人間を殺してしまった。だからね……怖いんだ、また誰かを殺してしまわないかが」
命を奪ったことで……玲香は取り乱していた。
タガが外れ、また誰かを衝動的に殺してしまわないか、という思考に支配されて……立ち止まってしまっていた。
そんな玲香を見て……俺は……。
「私はね、いない方がいいんだ。だから正真君、一人で――」
「――ふざけんなよ、玲香」
「……!? 正真君……!?」
気付けば、俺は玲香の胸元を強く掴み、強引に引き寄せていた。
玲香もこの行動は予想していなかったんだろう。目を丸くして、ジタバタと抵抗をしている。
「離してよっ……!! 正真君、苦しいから……!!」
「自分が怖いだと? ああ……そう、かもしれねえ。だがな、お前は今日俺を救ってくれたんだろ? 命がけで戦ってくれたんだろ? 俺は……それだけで十分なんだよ!!」
「ッ……!?」
「お前が人一人殺してしまったことの苦悩なんて……俺には分からねえ。けどな、これから先、理由は分からねえが俺達を狙っている奴らがいる以上、遅かれ早かれ殺しは必要になる……!! その度にお前はこうしてウジウジするつもりか?」
俺に玲香の考えを推し量る事は出来ない。今まで多くの死を見てきたが、生身の人間の命を奪ったことは無いからだ。
だが、それは今だけの事だ。俺達はこれから、正体の見えない敵と戦うことになるかもしれない。
そんな時に殺人を躊躇えば……俺達が死んでしまう。
それだけは、何としてでも避けたかった。
「俺は……覚悟を決めているんだ。帰るために、必要な事は何だってするし、泥水だって啜ってやる。そして……殺しも、だ」
「ッ……」
「俺が怖いか、玲香? だけどな……俺はお前を怖がってなんかいねえよ。勿論驚きはしたが、それ以上に感謝しているんだ。俺を助けてくれたことにな」
「何で……?」
「お?」
「何で、そんな風に言ってくれるの……? だって私は……人を……」
「あのな、玲香」
玲香を掴んでいた手を離し、代わりに彼女の両肩を掴んだ。
絶対に逃げられないように、聞き逃さないように、俺は玲香の目を見て本心をさらけ出す。
「俺はお前を信じているんだぜ? それに言っただろ……俺も分け合うって。お前の苦しみの半分を俺が背負ってやるよ」
「!? 今……なんて……」
「お前が手を汚したなら……俺もお前を救うために手を汚す事を誓おう。お前が苦しんでるのなら……俺が代わりを請け負ってやる。全ては……帰るためだ。だから頼む……玲香、こんな所で終わっちゃいけないんだ。まだ俺にはお前が必要なんだよ」
全てだ。俺の気持ちを余すことなく玲香に伝える。
玲香がこれ以上の殺人を望んでいないのなら……俺もそれに従いたい。でも、それは不可能だというのが今回の一件でハッキリと分かった。
やらなければ、こっちがやられるから。敵は俺達を狙っている。目的を、妨害している。だったら俺達は……彼らをひき潰してでも、前に前に進まねばならない。
そして玲香は俺の言葉を聞き終わって……力なく微笑んだ。
「強いんだね……いや、強くなったね……正真君」
「……ん? そうか?」
「うん……すごいよ。私は……そんな風には思えないから。誰も殺したくない。死んでほしくないって願っちゃうんだ……」
「……だったら、俺の事も……」
「ううん。分かっては……いるんだ。それが必要な事なんだって。でも……どうしても、ね……」
どちらが正しいという事ではない……と思う。
目的の為に手段を選ぶ気はない俺と、あくまで命を重要視する玲香。
俺は自分が完全に正しいとは思っていないし、向こうが間違っているとも思えない。
しかし俺は、こうすることが一番の道だと思っていた。そうすることが……死んだ皆の意思を引き継ぐって事だと信じていたから。
「うん……! でも、正真君の言う通りだよね……!」
「お……? 何だよ、急に元気出して……」
「ごめんね、話さなくて。正真君だけには……嫌われたくなかったから」
「ハハッ! 嫌いになるかよ。俺とお前は仲間じゃねえか!」
そう。その答えで何も間違ってはいなかったと思うのだが、何故か玲香は少し不満げに頬を膨らませていた。
拗ねた時に見せる……いや、これは思い通りにならなかった時の玲香の癖。
「れ、玲香……?」
「いや、ううん……まあそれでいいや……。ねえ正真君」
「お、おう……?」
「ありがとう。いつも助けてくれて」
そう言って玲香は……花開くような笑顔を見せてくれた。
星の光を受けたその笑みは……普段以上に俺の心に突き刺さった。
「さあて……うん。切り替えないとッ! とりあえずお腹がすいたから……私もう一回食べに行ってくるね!」
彼女の笑顔。ようやく玲香と言葉を交わせた喜び。
そして……玲香の苦しみ。
「走っていったな……。さて、俺はもう少し、ここにいよう」
黒い天球は徐々にその位置を変えている。俺が見ている星は、いったいどれほど遠くにあるのか。
それが分かっても、きっと俺には……玲香の気持ちの全てを理解することは出来ないだろう。
宇宙よりも難解な、大切な人の心。
夜空を見上げながら……俺はそれを考え続けた。




