第九十九話 忠告
商人の町モンテビオラへは馬車で一日で到着することは出来ない。
御者の男性にそう言われた俺達は適当な野営地を見繕い、夜を明かそうとしていた。
毒の影響はすっかりないらしく、シャドウは凄まじい速度で鍋の汁を減らしていた。
「……なあシャドウ。何かあの御者、お前と玲香を怖がっていないか?」
「まあ……少し、揉めてしまったで御座るからな」
「何があったんだよ。今もプルプルと震えてるぞ」
道中から馬車を走らせていたこの御者はやたらとシャドウと玲香の機嫌を伺っているように見えた。
二人を恐れているような目で見ており、食事の時も俺達には近付かずに一人で馬車の操縦席を死守するようにしていた。
そして、それは俺も例外ではない。
今御者の男性と目が合った俺は少し微笑んで見せたが、向こうは俺達と極力関わり合いたくないらしく、さっと目を逸らされてしまった。
その態度に少しショックを受けたが、それ以上に玲香の事が気にかかっていた。
「……玲香殿、食わぬので御座るか?」
「すいません……。ちょっと、食欲が無くて……」
シャドウが作ってくれた今夜の晩飯は俺達が知る豚汁に近いものだった。
肉はシャドウがその辺から取ってきた兎型の魔物を使い、山菜は俺と玲香が取ってきた。
さらに、シャドウが持っていた”栄養球”と呼ばれる出汁や味噌(この世界での呼び方は知らないが……)を固めたもの、俺達の世界でいう固形味噌汁のようなもの入れて煮詰める事でこの料理は完成した。
すこし野性味を感じさせるが、今日一日の疲れや恐怖を和らげてくれる料理。
しかし、玲香はそれに一切手を付けていなかった。
汁の入った器を握ったまま、ぼんやりと宙を見つめている。
「玲香。けどお前は今日頑張ったんだろ? だったらたらふく食っといたほうがいいぞ」
「……」
「ほら、冷めちまうぞ。俺が入れ替えてやるから……」
「ッ……!? やめッ……!!」
俺が玲香の手から器を取ろうと手を伸ばした時、突然玲香は拒絶するような声を上げて俺の手を払いのけた。
その反動で玲香は持っていた器を地面に落とし、中身は零れてしまう。
汁が土に染み込み、スローモーションのように広がっていくのが分かった程に、俺の視界もその一瞬を捉えて離さなかった。
俺の手を払った玲香は――見たことが無いほど、俺を怖がっていたから。
「……!! あ……ごめん……正真君……」
「いや……俺もすまない。……もう、いいのか?」
「うん……後は……二人で食べちゃって」
「……何処に行くんだ? 玲香」
「ちょっと……一人になりたいの」
玲香は落ちた器を拾うことなく、俺に背を向けて去っていった。
一人になりたい。あまり遠くへは行かないとは思うが、俺はこのまま永遠に玲香が帰ってこないのではないかと思うぐらい、去っていく玲香との距離を遠く感じていた。
そしてそんな俺達のやり取りを、シャドウは黙って聞いていた。
「シャドウ……玲香に何があったんだ?」
「拙者の口から申しあげる事では御座らぬ。玲香殿の口から直接聞くが良い」
「……て事は知ってんだな、お前……。お前ら二人、一体何を隠している?」
「それも、拙者が言うべきことではないで御座る。玲香殿の口から直接お主に伝えられるべきで御座る。お主ら二人は……以前よりの仲間で御座ろう?」
「ああ……そう、だけどよ。ただ今の玲香は……俺を……」
「一つ、忠告しておくで御座る。正真殿」
シャドウは豪快に汁を啜ると、器を地面に置いた。
相変わらず感情を読み取ることが難しい目の前の剣士だが、その時ばかりは俺を測ろうとしているのが分かった。
「例え玲香殿がお主に何を伝えようと……お主だけは玲香殿に真剣に向き合わねばならぬ。玲香殿から目を背けたり、触れる事を恐れているようでは……お主は失ってしまうで御座るぞ」
「……何をだ?」
「主語については自らで考えられよ。ともかく、拙者から言えるのはこれだけで御座る。玲香殿の心に活力を取り戻せるのはお主だけで御座るからな」
「俺は……ああ……、そう、だな……」
言われずともそうする。その言葉は外に出る前に喉に突っかかった。
俺は、玲香に本当に向き合えているのだろうか、という疑問が頭を掠めてしまったから。
あの空間……セントラルの試練の時から彼女に何度も助けられた。言葉を交わし、時には行動して互いに信頼を深め合って来た自覚はある。
けれどそれは本当にそうだったのだろうか?
玲香は……俺を信じてくれているのだろうか? 信じているのなら……何故俺に話してくれないのだろう? 信じているのなら……俺の手を払って去ってしまうのだろうか?
玲香への疑念。それは俺への疑念につながった。
俺に何か問題があるから、玲香はさっき俺を拒絶したのではないか、という疑念。
そしてそれは……俺達は互いに信じあってはいなかった、という最悪の推測へと繋がってしまう。
「く……そ……」
「ここで立ち止まっても、事態は好転しないで御座る。しかし言葉には気をつけよ。一度誤れば……玲香殿は本当にお主の前から去ってしまうで御座るからな」
「シャドウ……俺は……」
「おっと、これ以上は言わない方がいいで御座るな。後は正真殿……お主次第で御座る」
シャドウはそれだけ言うと、再び鍋を空にし始めた。
鍋からはもう湯気が立っておらず、シャドウが持つお玉と鍋の擦れ合う音だけが暗黒の空間の中を渡っていた。




