〈十六夜 朝・辰の刻 洋子宅〉
〈十六夜 朝・辰の刻 洋子宅〉
「洋子さん、ちょっと」
朝食の盆を持って部屋に入ると、待っていたかのように幸代が話しかけてきた。珍しく顔に剣がなく柔和とまではいかないが、少なくともいつものような渋面ではない。相変わらず窓もカーテンも閉め切ったままで、部屋は薄暗かったが、ただそこに昨夜のろうそくの残り香が居残り、据えた空気をすがすがしく変えていたのがいつもと違っていた。
「お義母さん、おはようございます。昨夜はよくお休みになれましたか」
「それなのよ。やっぱり火が気になってなかなか寝付けなかったわ」
洋子はろうそくを下げろと言われるのかと、ひやりとした。
「でもお義母さん、わたしちゃんと見に来ましたけど」
「そうね。でも忘れられたらと思うと心配になってね」
「お義母さん、アロマの効き目はなかったですか。わたしが消しに来ましたときにはぐっすり眠られていたようでしたが」
今、下げられたら困るという思いで、洋子は必死になだめた。
「まあ、そう言われればねえ」
そのとき、幸代の枕元の電話が鳴った。幸代専用の固定電話で、洋子が出ることは禁じられていた。
(母さん、会社には電話してくるなと言っただろう)
受話器を取るなり、怒鳴りつけるような武史の声が漏れ聞こえてきた。
「だって、あなた、携帯にかけたって、ちっとも出ないじゃないの」
しわがれた魔女のような陰気な声で幸代が答えている。
(俺が忙しいことぐらい、わかってるだろうが)
「武史、今度はいつ帰ってきてくれるの」
どうせまた仕事が忙しいから当分帰れないと言っているのだろう。いつも同じ言い訳だ。馬鹿の一つ覚えみたいに。
(急用じゃないんなら、もう会社にかけてくるなよ)
捨て台詞とともに電話が切られた。一方的に切られて不機嫌になった幸代は洋子がいたことに気づくと、いつもの鬼面にもどってにらみつけた。
「洋子さん、武史、まだ帰らないんだそうよ。あなたがいる限り帰って来ないつもりなんじゃないの。前は優しいいい子だったのに親不孝になって顔も見せやしない。武史がこうなったのは、あなたのせいよ。あなたが、図々しくこの家に居座るから、武史は帰って来られないのよ」
自分の言葉に激高したのか、幸代はいきなり枕もとの銀の燭台をつかむとドアに向かって叩きつけた。カーンと音がして、ろうそくは真っ二つに折れ、燭台が床に転がった。
「あっ、お義母さん、なんてことを」
「こんなろうそくが何よ。こんなもんで、わたしの機嫌を取ろうと言うの。あなたの買ってきたものなんて見たくもないわ。もう出て行って。早く出て行ってちょうだい」
そうヒステリックに叫ぶと頭まで布団をかぶり、背を向けて引きこもってしまった。あまりの剣幕に洋子はどうしていいかわからず、無意識にろうそくを拾い上げるとそのまま家を飛び出した。




