007 アリア先生の異世界講座
翌朝。
窓から差し込む朝日で、朝雄は目を覚ました。
「ん……」
スマートフォンで時間を確認すると、午前六時を少し過ぎたところだった。ベッドから起き上がって部屋を出ると、リビングにはすでにルリアがいる。
「おはよう、ルリアちゃん」
「おはよー、お兄ちゃん!」
朝から元気いっぱいだ。
「朝ご飯、用意してあるよ!」
「ありがとう」
ルリアが嬉しそうにテーブルを指差した。
「アリアは?」
朝雄がそう尋ねると、なぜかルリアが少し不機嫌そうに口を尖らせる。
「……お兄ちゃん」
「ん?」
「お姉ちゃんのことは『アリア』って呼ぶのに、ルリアのことは『ルリアちゃん』って呼ぶの、寂しい」
「え?」
「お姉ちゃんと同じように『ルリア』って呼んで!」
「ああ……」
姉は呼び捨てなのに、自分だけ敬称付きなのが気に入らないらしい。
年上のアリアを呼び捨てにすることには今でも少し抵抗があるが、年下のルリアならそれほど気にならない。
「分かったよ、ルリア」
「うん!」
満足そうに頷いた。
「それで、アリアは?」
「お姉ちゃんは洗濯しに行ってるよー」
「あ、そっか」
そういえば、昨日着替えた制服を入れていた籠が部屋からなくなっていた。洗濯してくれると言っていたことを思い出す。
朝雄はテーブルへ着き、用意されていた朝食を食べ始めた。一方、ルリアは出掛ける準備をしている。
「ルリアはどこかに行くの?」
「今日は村のみんなと森に薬草を採りに行くんだー。もうすぐ『ちょーぜい』があるからね」
「ちょーぜい?」
「うんとね。王都から人がいっぱい来て、その時に『ぜーきん』っていうのを納めるんだって。よく分かんないけど」
「ああ、徴税か」
朝雄は納得した。
おそらく徴税のために役人が来るので、税として薬草などを物納するのだろう。
『税金を払うってことは、この村もどこかの国に属してるんだよね』
その辺りも、今日アリアに聞いてみよう。
「じゃあ、行ってくるね!」
ルリアは籠を背負った。
「お兄ちゃん、勉強頑張ってね!」
「うん。ルリアも気をつけて」
「はーい!」
元気よく手を振り、ルリアは家を出ていった。
◇ ◇ ◇
ルリアを見送ってから、それほど時間を置かずアリアが戻ってきた。
「アサオさん、お待たせしてすみません」
「ううん。大丈夫」
「では、早速始めましょうか」
「よろしくお願いします、アリア先生」
「せ、先生?」
アリアが少し照れたように笑う。
「だって今日は色々教えてもらうんだから、先生でしょ?」
「そういうことなら……頑張ります」
二人はテーブルへ並んで座り、アリアが一枚の地図を広げた。
「まずは、この辺りの地理から説明しますね」
「うん」
縮尺まではよく分からない大雑把な地図だったが、国や街のおおよその位置関係は分かるようになっていた。
「ここが、今私たちのいるスロウ村です」
アリアが地図の右下辺りを指差す。そのすぐ後ろには、森を表す絵が描かれていた。
『たぶん、僕が転移してきた森だな』
村からは、西へ向かって一本の街道が伸びている。
「この街道を西へまっすぐ行くと、チュカンの街があります。そこからさらに西へ進むと、王都です」
アリアの指が地図の上をゆっくり移動していく。
「チュカンまでは、どのくらい掛かるの?」
「歩いて大体七日くらいですね」
「七日……」
「そこから王都までが、さらに七日くらいです」
「王都まで二週間か……結構遠いね」
「この村はかなり辺境ですから」
アリアが苦笑する。
そこで朝雄は、もう一つ気になったことを尋ねた。
「王都っていうことは、この国は王国なの?」
「はい」
アリアは何でもないことのように答える。
「ガルドール魔王国です」
「……」
朝雄は一瞬固まった。
「魔王国?」
「はい」
「じゃあ、この国を治めてるのは……」
「魔王様ですよ」
アリアは笑顔だ。
「今の魔王様は、とても国民に優しい名君だと評判なんです」
「優しい……魔王?」
朝雄の頭の中に、ゲームや小説に登場する魔王の姿が浮かぶ。
世界征服。
人類滅亡。
勇者の宿敵。
そんなイメージとは、あまりにも違う。
「魔王なんだよね?」
「はい。魔王様です」
「……そうなんだ」
どうやら、この世界での『魔王』は、朝雄の知っている物語とはかなり意味が違うようだった。
そこで、今朝ルリアから聞いた話を思い出す。
「そういえば、ルリアからもうすぐ徴税があるって聞いたよ」
「はい。王都から年に二回、徴税のために役人の方々がいらっしゃいます」
「この村だと、お金を納めるの?」
「いいえ。この村ではあまりお金を使いませんから、薬草や森で採れる素材、木材などを税として納めます」
「やっぱり物納なんだ」
「はい。でも、今の魔王様になってから税は以前より少なくなりました」
アリアは嬉しそうに続ける。
「村の状況によっては減額されることもありますし、無理に取り立てられることもありません。それに、徴税の時には騎士団の方々も一緒に来てくださって、周辺の危険な野生動物や魔物を駆除してくれるんですよ」
「へぇ……」
それなら村人から慕われるのも分かる。
『魔族の王だから魔王ってだけなのかな』
魔族も、この世界に住む一つの種族。そう考えれば、魔王=悪という方程式の方が間違っているのかもしれない。
「この地図だと、中央より南側がガルドール魔王国です。そして北側がサザーラント王国になります」
アリアは地図の中央へ手を置いた。
「サザーラント……」
「魔王国には魔族と獣人族が多く住んでいます。特に魔族は王都とその周辺の街、獣人族は少し離れた街や村に多いですね。北のサザーラント王国は、人族とエルフが多い国だと聞いています」
「エルフ!」
朝雄が思わず身を乗り出した。
「アリア」
「はい?」
「エルフって、耳が長くて長命な種族?」
「はい。それで合っていますよ」
『やっぱり……』
毎晩のように夢で見る銀髪の少女。あれは、やはりエルフなのだろう。
「種族ごとの外見的な特徴は、エルフが長い耳。魔族は頭に角があります。そして獣人族は、私たちのように耳と尻尾があります」
アリアの耳がぴこりと動く。
「人族には、そういった分かりやすい特徴がありません」
『大体、僕の知ってるファンタジーと同じだな』
今のところ、大きくイメージから外れてはいない。
「魔王国とサザーラント王国の間には、険しい山脈があります。この辺りですね」
アリアが地図の中央付近を指でなぞる。
「かなり長いね」
「はい。山脈を越えるのはほぼ不可能なので、この中央にある平原が南北を行き来できる主要な場所になっています」
そこには街を示す印があった。
「今はそこに、魔王国とサザーラント王国の交流のための街があります」
「両方の国の人が住んでるの?」
「はい。戦争が終わった後、交流のために作られた街です」
アリアは続ける。
「それと、山脈には絶対に近づかないでくださいね」
「どうして?」
「ワイバーンやドラゴンがいると言われていますから」
「ドラゴン!?」
朝雄の目が一気に輝いた。
「ドラゴンがいるの!?」
「ア、アサオさん……?」
あまりの食いつきぶりに、アリアが少し身体を引いた。
「ご、ごめん。でもドラゴンだよ!?」
「ええ……」
「見てみたいなぁ……」
「駄目です!」
アリアが即座に否定した。
「ここ百年ほど目撃されてはいませんが、昔から多くの記録が残っています」
「どんな記録?」
「とても知能が高く、人と言葉を交わしたドラゴンもいたそうです」
「おぉ……」
「でも、縄張りを荒らされるのをとても嫌うらしいので、絶対に近づいてはいけませんよ?」
「……はい」
一度くらい見てみたいとは思う。
だが、
『命を懸けてまで見たいかって言われたら……さすがに嫌だな』
朝雄は素直に諦めた。
「北のサザーラント王国については、私もあまり詳しくないんです。王都に行けば、もっと詳しいことが分かると思います」
「王都か……」
夢に出てくるエルフについても知りたい。帰る方法を探すにも、人や情報の多い王都へ行く必要が出てくるかもしれない。
『いずれ王都に行くのも考えた方がいいな』
「それと、今から三百年ほど前までは、魔王国とサザーラント王国は戦争をしていました。戦争が終わった後に平和条約を結び、それから少しずつ交流が増えたんです」
「今は?」
「とても平和ですよ」
アリアは笑顔で答える。
「国同士の行き来もできますし、違う種族同士の結婚も珍しくありません」
「へぇ」
「もちろん!」
なぜかアリアが少し声を強めた。
「獣人族と人族が結婚することにも、何の問題もありません!」
「う、うん?」
朝雄が首を傾げる。
なぜそこだけ強調されたのかは分からなかった。
アリアは一息つくと、地図を畳んだ。
「私が知っている国や種族については、このくらいです」
「すごく分かりやすかったよ。ありがとう、アリア」
「お役に立てましたか?」
「もちろん」
朝雄が笑顔で答えると、アリアも安心したように微笑んだ。
「では、お昼を食べた後は魔法について説明しますね」
「魔法!」
再び朝雄の目が輝く。
「私は以前、魔法学校に通っていましたから、魔法についてならもう少し詳しく説明できますよ」
「お願いします、アリア先生!」
「はい」
アリアも少し楽しそうに笑った。
◇ ◇ ◇
昼食を終えると、二人は再びテーブルに並んで座った。
「では、魔法について説明しますね」
「はい、先生」
「ふふっ」
アリアは少し考えてから話し始める。
「まず、この世界には『魔素』と呼ばれるものが存在しています。魔法を使う人は周囲にある魔素を体内へ取り込み、自分の魔力へ変換するんです」
「魔素を、魔力に変える……」
「はい。そして体内へ蓄えた魔力を、自分のイメージに合わせて形作り、外へ放出することで魔法が発動します」
「なるほど……」
朝雄は真剣な表情で頷いた。
「魔法を使うための基本は、大きく五つあります。魔素の吸収、魔力への変換、魔力の蓄積、魔力のイメージ、そして魔力の放出です」
「五つか」
「このうち、吸収、変換、蓄積の三つは先天的な能力の影響が大きいと言われています。逆に、イメージと放出は訓練である程度伸ばすことができます」
魔素を吸収する速度、それを魔力へ変換する速度、そして身体の中へ蓄えられる魔力量。この三つが、魔法使いとしての基本的な素質になるらしい。
「魔素の吸収と変換が速ければ、使った魔力の回復も速くなります。魔力量が多ければ、それだけ多く魔法を使えますし、大きな魔法も使いやすくなります」
「なるほど」
「そして、この三つが一定以上ある人を『魔法の適性がある』と言います」
アリアはそこで少し言葉を区切った。
「ただ、魔法使いになれるほど適性のある人は、それほど多くありません」
「そうなの?」
「はい。種族的に魔法への適性が高いとされる魔族でも、本格的に魔法を使える人は百人に一人くらいだと言われています。人族や獣人族では、さらに少なくなります」
「結構少ないんだ……。じゃあ、エルフは?」
「エルフは、魔族よりも魔法の適性が高い人が多いそうです」
「へぇ……」
朝雄は熱心に頷きながら、説明を聞いていた。
◇ ◇ ◇
そんな朝雄を見ながら、アリアは内心、少し不思議に思っていた。
ルリアが狼に襲われた日。泣きながら家へ戻ってきた妹に引っ張られ、アリアは川辺へ向かった。
そこで見つけたのが朝雄だった。
大きな狼に左腕を噛まれたまま、血まみれで倒れていたため、慌てて狼から引き離し、治癒魔法を使った。命に別状がないことを確認した時には、本当に安心した。
だが、その後で倒れている狼を見て驚いた。
腹部に、大きな穴が開いていたのだ。
どう見ても剣や槍などの武器でできた傷ではない。魔法によるものだろう。
それも、生き物の身体にあれほど大きな穴を一撃で開ける魔法となれば、かなり高位の魔法使いでもなければ難しいはずだった。
『アサオさんが使ったと思ったんだけど……』
だから最初は、朝雄を高位の魔法使いだと思っていた。
しかし、目を覚ました朝雄と話してみれば、魔法について何も知らない。それが演技とも思えなかった。
何より今も、魔法の基礎について、まるで初めて知る子供のように目を輝かせている。
『本当に魔法を知らないみたい……』
不思議だった。
◇ ◇ ◇
「僕にも魔法が使えるかな?」
「え?」
期待に満ちた目で、朝雄がアリアを見つめていた。
「……」
あまりにも真っ直ぐな視線に、アリアは僅かに頬を赤くする。
「村長さんのところに、魔法の適性を調べる道具があります」
「本当?」
「はい。明日、調べてもらいましょう」
「うん! 楽しみだなぁ」
嬉しそうに笑う朝雄を見て、アリアは先ほどまで抱いていた疑問を、ひとまず胸の奥へしまうことにした。
『アサオさんが悪い人ではないことは、間違いないもの』
なら、今はそれでいい。
「アリアは治癒魔法が使えるんだよね?」
「はい」
「ということは、アリアも魔法使いなの?」
「そうですね。一応、魔法使いと呼ばれるくらいの適性はあります」
「おぉ」
「五歳の時に適性があることが分かって、十歳の時にチュカンの街にある魔法学校で勉強しました」
「魔法学校!」
また朝雄の目が輝く。
「特に治癒魔法が得意です。ただ、それ以外の魔法はあまり得意ではありませんけど」
「魔法にも得意不得意があるんだ」
「ありますよ」
「どんな種類があるの?」
「大きく分けると、四種類ですね。攻撃魔法、治癒魔法、支援魔法、そして生活魔法です」
「生活魔法?」
「順番に説明しますね」
アリア先生の講義は続く。
「まず攻撃魔法。これは名前の通り、魔力を使って相手を攻撃する魔法です」
「火の玉を飛ばしたり?」
「そうですね。火や水などへ魔力を変化させることが多いですが、最終的には術者のイメージ次第です」
「火が得意とか水が得意とかもあるの?」
「あります。人によって得意なものは違いますよ」
「なるほど」
「次が治癒魔法です。前にも説明しましたが、怪我や病気を治療することができます。ただし、何でも元通りにできるわけではありません」
「失った血は戻せないんだよね」
「はい。怪我を塞いだり、折れた骨の治癒を助けたりすることはできますが、流れてしまった血そのものは戻せません。それに治癒魔法にも得意不得意があって、同じ魔法を使っても人によって効果が違います」
「アリアは得意なんだよね」
「はい」
少し照れながら頷いた。
「治癒魔法を使える人は女性に多いと言われています。理由は、まだよく分かっていないそうです」
「次が支援魔法です」
「支援っていうと?」
「人の身体能力を強化したり、障壁を作って攻撃から守ったりする魔法ですね。自分自身に使うこともできて、力を強くしたり、速く動けるようにしたりします」
「……」
朝雄は少しだけ考え込んだ。
『速く動ける……』
トラックから桜と梅を助けた時。
そして、ルリアを狼から助けた時。
自分でも理解できない速度で移動した。
『あれも……魔法だったのかな?』
「アサオさん?」
「あ、ううん。なんでもない」
今はまだ分からない。
明日、適性を調べれば何か分かるかもしれない。
「最後が生活魔法です」
「これはそのまま生活に使う魔法?」
「はい。火を起こしたり、水を出したりする魔法ですね。本格的な魔法使いと呼ばれるほどの適性がなくても、生活魔法なら使える人はいますよ」
「へぇ」
「大きな火球は作れなくても、竈に火をつける程度ならできる、といった感じです」
「なるほど」
「それと、魔法を使えない人でも利用できる『魔道具』という物があります」
「魔道具!」
「魔力を蓄えた石などを使って動かす道具ですね。魔道具を作ったり修理したりする仕事もありますよ」
「魔法が使えなくても、魔法みたいな道具を使えるんだ」
「そういうことです」
朝雄は大きく頷いた。
魔法。
魔族。
獣人。
エルフ。
ドラゴン。
魔道具。
『本当にファンタジーの世界なんだなぁ……』
改めて実感する。
「ありがとう、アリア。すごく勉強になったよ」
「どういたしまして」
アリアも嬉しそうに笑った。
◇ ◇ ◇
夕方。
アリアが夕食の準備を始めたため、朝雄も手伝おうとした。
しかし。
「まだ完全に体調が戻ったわけではないんですから、休んでいてください」
笑顔で拒否された。
「もうかなり元気なんだけど……」
「駄目です」
「はい……」
仕方なく手持ち無沙汰になっていると、
「ただいまー!」
ルリアが帰ってきた。
「おかえり――」
朝雄は途中で言葉を止める。
なんだか、ものすごく怒っている。頬をぷくっと膨らませ、全身から『怒っています』という雰囲気を漂わせていた。
「どうしたの? 何かあった?」
「聞いてよ、お兄ちゃん!」
「う、うん」
「アムルとスーシアったらさ!」
「アムル? スーシア?」
誰だろう。
朝雄が首を傾げると、料理をしていたアリアが教えてくれた。
「近所に住んでいる二人ですよ。もうすぐ結婚するんです」
「ああ」
なるほど。
「今日、薬草採取で一緒だったんだけど!」
ルリアはまだ怒っている。
「ずーっとイチャイチャしてたんだよ!」
「へぇ……」
「人前で耳を撫でたりして!」
「……ん?」
朝雄の表情が止まる。
「しかも!」
ルリアの勢いは止まらない。
「途中でこっそり尻尾まで撫でてたんだよ!」
「……んん?」
「イヤラシイったらもう!」
「……」
耳を撫でる。
尻尾を撫でる。
イチャイチャ。
イヤラシイ。
朝雄の頭の中で、それらの言葉が一本の線でつながった。
「そういうことは、二人きりの時にしてほしいよね!」
ルリアがぷんぷんしながら言い切る。
「……」
朝雄の顔から血の気が引いた。
『待って』
耳を触った。
しかも、自分から頼んで。
『尻尾も触らせてくださいって言ったよね、僕……』
朝雄は恐る恐る、キッチンにいるアリアを見る。
「……」
アリアもこちらを見ていた。
目が合う。
アリアの頬がほんのりと赤く染まり、
にこっ。
笑った。
「……っ!」
朝雄は勢いよく顔を逸らした。
『やっぱり、まずいことだったんじゃないか!!』
「晩ご飯まだー?」
一通り怒りを吐き出して満足したのか、ルリアはすでにいつもの調子へ戻っていた。
だが、朝雄の耳にはもう何も入ってこなかった。
◇ ◇ ◇
夕食が終わる。
なぜか朝雄だけが、妙に緊張した食事だった。
「今日は疲れたー」
薬草採取で一日歩き回ったルリアは、早々にベッドへ潜り込んだ。しばらくすると寝息が聞こえてくる。
リビングには、朝雄とアリアの二人だけが残った。
「……」
朝雄は覚悟を決めた。
「アリア」
「はい?」
「少し話があるんだけど……」
「はい。なんでしょう?」
いつも通り、アリアは笑顔だった。
朝雄はその場で立ち上がった。
そして。
「ごめんなさい!」
勢いよく床へ両手をついた。
「ア、アサオさん!?」
見事な土下座だった。
「耳のこと! 本当にごめんなさい!」
「あ……」
アリアはすぐに理由を理解した。
獣人族にとって、耳や尻尾は非常に特別な場所だった。家族など、よほど親しい相手でなければ普通は触らせない。
まして異性同士で耳や尻尾を撫でることは、恋人や夫婦のような関係で行うものだった。
「アサオさん」
「はい……」
「顔を上げてください」
「でも……」
「アサオさんは、獣人族のことを知らなかったんですよね?」
「うん……」
「なら、気にしないでください」
アリアは優しく微笑み、朝雄へ手を差し出した。
「さあ」
「……本当に怒ってない?」
「怒っていませんよ」
朝雄は恐る恐るその手を取り、立ち上がる。
「良かった……」
心の底から安心した。
すると。
「ただ」
「え?」
「念のため、一つだけ聞いてもいいですか?」
「何?」
「アサオさんは、おいくつですか?」
「十五歳ですよ」
「……え?」
アリアが目を丸くした。
「十五?」
「うん」
「……成人しているんですか?」
「この国だと十五歳で成人なの?」
「はい」
「だったら成人してるね」
「……」
アリアは朝雄をじっと見る。
「何?」
「てっきり……十三歳くらいだと思っていました」
「……」
朝雄の表情が固まった。
「またか……」
小柄。
華奢。
童顔。
日本でも年下に見られることは多かった。
「僕、そんなに幼く見える?」
「はい」
「即答!?」
「あっ……すみません」
「いや……慣れてるけど」
少し落ち込む朝雄をよそに、アリアは顎へ手を当て、小さな声で何かを呟き始めた。
「十三歳くらいだと思っていたのに……成人していたなんて……」
「?」
「それなら……むしろ……」
「アリア?」
「何も問題がなくなったのでは……」
「やっぱり何か問題あるの?」
朝雄が怪訝そうに尋ねると、アリアはぱっと笑顔へ戻った。
「いいえ」
「本当?」
「はい。たった今、何も問題なくなりました」
「……?」
意味が分からない。
「ちなみに」
アリアは少し胸を張った。
「私は十七歳です」
「そうなんだ」
「もちろん、私も成人しています」
「う、うん」
「成人していますから」
「なんで二回言ったの?」
「大事なことなので」
「……そっか」
やはり、意味は分からなかった。
◇ ◇ ◇
アリアと話を終え、おやすみの挨拶をして部屋へ戻る。
朝雄はベッドへ潜り込んだ。
「常識の違いって怖いな……」
天井を見上げる。
「知らないままだと、そのうち本当に大変なことになりそう」
この世界のことを学ぶ。
それは単純に興味があるだけではなく、自分の身を守るためにも必要らしい。
「明日は魔法の適性か……」
楽しみではある。
だが、少しだけ不安でもあった。
『僕が使った、あの力も何か分かるかな』
そんなことを考えているうちに、朝雄は眠りへ落ちていった。
◇ ◇ ◇
「……」
気がつくと、いつもの白い空間にいた。
「もう慣れたなぁ……」
少し待つ。
やがて、いつものように銀髪のエルフの姿が浮かび上がった。
「あれ……?」
朝雄はすぐに違和感へ気づいた。
いつもと違う。
少女は、ひどく疲れているように見えた。肩を落とし、顔色も悪い。
「……大丈夫?」
思わず声を掛ける。
もちろん、返事はない。
会ったこともない少女。それなのに、朝雄は胸の奥が締めつけられるような感覚を覚えた。
「なんだろう……」
この感覚。
以前にも似たものを感じたことがある。
仕事から疲れて帰ってきた父親が、酷く疲れた顔をしていた時。
『父さん、大丈夫かな』
そう心配した時の感覚と、どこか似ていた。
「……」
今日、アリアから聞いた。
この世界には、本当にエルフがいる。
なら、目の前の少女も、この世界のどこかに本当に存在している人物なのかもしれない。
「でも……」
朝雄には、この世界のエルフに知り合いなどいない。
「君と僕に……何の関係があるんだろう」
考えても、答えは出なかった。
今までとは違う少女の様子。その変化にも何か意味があるような気がする。
だが、やはり何も分からない。
しばらくすると、少女の姿はゆっくりと薄れていった。
「……」
最後まで、朝雄は心配そうにその姿を見つめていた。
やがて少女の姿が完全に消え、朝雄の意識も途切れた。
次話から作中の時間が遡り桜側のお話になります。
宜しければ評価をいただけると励みになります。
次話は19時に投稿します。




