006 姉妹
アリアから、夕食の時間になったら起こすので、それまで寝ているように言われた。
食事をしてお腹が満たされたこともあり、朝雄は目を閉じるとすぐに眠りへ落ちていった。
◇ ◇ ◇
どのくらい眠っていただろうか。
アリアに起こされる前に、朝雄は自然と目を覚ました。
「……ん」
ゆっくり身体を起こす。昼間に眠っている間、あの白い空間も、銀髪のエルフの少女も現れなかった。
「寝れば毎回出てくるってわけじゃないのか……」
窓の外を見ると、部屋には夕方らしい少し赤みを帯びた日差しが差し込んでいる。
ぼんやりと外を眺めていると、
「ただいまー!」
扉の向こうから、元気な声が聞こえてきた。
「お姉ちゃん、お兄ちゃんは?」
「……お兄ちゃん?」
朝雄は首を傾げる。
『アリアには弟かお兄さんもいるのかな?』
そう思ったのだが。
「アサオさんは寝ているから、静かに――」
アリアが言い終わる前に、こちらへ向かってくる勢いのいい足音が聞こえてきた。
バタバタバタ!
「え?」
バンッ!
部屋の扉が勢いよく開く。
ちょうど扉の方を見ていた朝雄と、そこに立っていた少女の目が合った。
「あ……」
朝雄には見覚えがあった。昨日、狼に襲われていたあの子供だ。
何より、頭の上にあるケモ耳には、はっきりと見覚えがある。
少女は朝雄が起きていることを確認すると、ぱっと満面の笑顔になった。
「お・兄・ちゃーん!」
「えっ!?」
少女が猛然と走り出す。
大きな二歩でベッドのそばまで飛ぶように近づき、
「ちゃーん!」
最後の掛け声と同時に、両手両足を大きく広げた。
「ちょ――」
そのまま朝雄へ向かって飛び込んでくる。
「うげぇっ!」
反応する間もなく、少女のフライングボディープレスが直撃した。
「お兄ちゃん、無事で良かったー!」
「ぐ……」
朝雄の身体の上に乗ったまま、少女は胸元へ頭をぐりぐりと押しつけてくる。
『傷は治ってても、まだ身体弱ってるんだけど……』
ボディープレスのダメージに耐えていた朝雄だったが。
「本当に……グスッ……生きてて……」
「え?」
「グスッ……よがっだぁ……」
声が震えていた。
先ほどまで元気いっぱいだった少女が、朝雄の胸へ顔を埋めたまま泣いている。
「……」
朝雄はそっと少女の頭へ手を置いた。柔らかな髪の上でケモ耳が小さく震えているのを感じながら、ゆっくりと撫でる。
「心配してくれてありがとう」
「グスッ……」
「僕は大丈夫だから。もう泣かなくても大丈夫だよ」
少女はしばらくして、涙に濡れた顔を上げた。朝雄の顔をじっと見つめた後、
「うん!」
にこっと笑った。
まるで花が咲いたような、明るく可愛らしい笑顔だった。
「ルリア」
その時、部屋の入口からアリアの声がした。
「アサオさんが困っているでしょう? 早く降りなさい」
「はーい」
アリアはベッドまで来ると、妹の服の後ろを掴んだ。
「よいしょ」
「わっ」
そのまま朝雄の身体からルリアを引き剥がす。
「……助かった」
朝雄が小さく息を吐いた。
床へ降ろされた少女は、袖で涙を拭くとアリアの隣へ立った。
「アサオさん、紹介しますね」
アリアが少女の肩へ手を置く。
「妹のルリアです」
「ルリアだよ! 助けてくれてありがとう!」
再び満面の笑顔を向けられる。
改めてルリアを見てみると、年齢は十歳くらいだろうか。アリアと同じ茶色の髪と瞳をしており、髪は短いものの顔立ちもよく似ている。
『美人姉妹だなぁ……』
朝雄が二人を眺めていると、アリアが少し困ったように笑った。
「ルリアは今年でもう十一歳になるのに、まだまだ子供で……」
「ぶー」
姉の言葉に、ルリアが頬を膨らませる。その仕草が可愛らしくて、朝雄は思わず笑った。
「ルリアちゃんは、お姉ちゃんに似て可愛いね。きっと美人さんになるよ」
「えっ」
「え?」
何気なく口にした言葉だった。
だが。
「美人……」
「可愛い……」
姉妹揃って顔を赤くする。
「……?」
二人とも、なぜかもじもじしている。
朝雄が首を傾げていると、先に立ち直ったのはアリアだった。
「ほ、ほらルリア。もうすぐ夕食にするから、それまでアサオさんを休ませてあげなさい」
「うん!」
ルリアも素直に頷く。
「お兄ちゃん、また後でね!」
「うん。また後で」
アリアとルリアは揃って部屋を出ていった。
バタン。
扉が閉じると、部屋は再び静かになった。
「すごく元気ないい子だなぁ……」
朝雄は思わず笑う。
「怪我がなくて、本当に良かった」
もし、あの時ルリアを助けられなかったら、大怪我をしていたかもしれない。
最悪の場合は――。
「……」
朝雄はそれ以上考えるのをやめた。ルリアが怪我をして泣く姿も、そんな妹を見てアリアが悲しむ姿も、どちらも見たくなかった。
「助けられて良かった……」
そう呟くと、朝雄はもう一度静かに目を閉じた。
◇ ◇ ◇
ガチャリ。
扉が開く音で、朝雄は目を覚ました。
「お兄ちゃん」
「ん……?」
ルリアが、とことことベッドのそばまで歩いてくる。
「夕食だけど起きられる? ここまで持ってこようか?」
「ああ、夕食か」
昼間は身体を起こすことすらできなかったが、食事を取り、十分に眠ったおかげだろう。かなり体調が戻っているように感じる。
朝雄は両腕へ力を入れ、ゆっくり身体を起こした。
「うん。大丈夫そうだから起きるよ」
ベッドの脇へ足を下ろし、力を入れて立ち上がる。
「っと……」
一瞬ふらついた。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「うん。まだちょっとふらつくけど、大丈夫」
そこで、自分が上半身裸なのを思い出した。
「あ……」
籠の中に入れてあった制服のシャツを着る。
靴を履くと、
「こっちだよ!」
ルリアが当然のように朝雄の手を握った。
「あ、うん」
そのまま手を引かれ、部屋を出る。
部屋の外はリビングになっており、同じ空間に小さなキッチンと四人掛けのテーブルが置かれていた。
「お兄ちゃん、ここ!」
ルリアが椅子を一つ引いてくれる。
「ありがとう」
そこへ座ると、向かい側にアリア、隣にはルリアが座った。
「……」
テーブルには、三人分の食事しかない。
朝雄は何気なく尋ねた。
「ご両親は?」
その瞬間、アリアの表情が僅かに曇った。
「……あ」
質問してから、朝雄はようやく気づいた。
ここへ来てから、アリアとルリア以外の家族を一度も見ていない。見知らぬ男が家の中で寝ているのだ。両親がいるのなら、一度くらい様子を見に来てもおかしくないはずだった。
「母は、ルリアを産んですぐに病気で亡くなりました」
アリアが静かに答える。
「父は三年前、狩りのため森へ入ったまま……戻ってきませんでした」
「……」
アリアが少し俯く。
隣のルリアも、先ほどまでの元気な表情を消していた。
『僕は何を聞いてるんだ……』
朝雄は自分の迂闊さを後悔した。
「ご、ごめん……」
慌てて謝ろうとすると、アリアが顔を上げた。
「大丈夫ですよ」
笑っている。
「もう気持ちの整理はできていますから、気にしないでください」
「でも……」
「それに」
アリアは隣に座る妹を見る。
「私にはルリアがいますから。寂しくなんてありません」
「うん!」
ルリアも大きく頷いた。
「私もお姉ちゃんがいるから寂しくないよ!」
そして、朝雄へ笑顔を向ける。
「……そっか」
二人に気を遣わせてしまった申し訳なさは残っている。だが、これ以上謝るのも違う気がした。
「ごめんね、変なこと聞いて」
朝雄はできるだけ明るい声で言った。
「いいんですよ」
アリアも笑顔で応える。
それで、この話は終わりになった。
「では、夕食にしましょう」
アリアの言葉に、
「いただきます」
三人で食事を始めた。
◇ ◇ ◇
しばらくして、食事をしながらアリアが朝雄へ尋ねた。
「アサオさんは、身体が回復したらどうされるんですか?」
「……」
朝雄の手が止まった。
答えに困る質問だった。
目的は決まっている。
元の世界へ帰る。
それだけだ。
ただ、方法がまったく分からない。
そもそも、
『僕、異世界から来ました』
などと突然言ったらどうなるのか。
『頭がおかしいと思われて、治癒魔法を掛けられたりして……』
少しだけ想像する。
『いや、頭に治癒魔法って効くのかな?』
思わず変な方向へ考えが逸れそうになり、朝雄は小さく首を振った。
この姉妹には、できるだけ嘘をつきたくない。命を助けてもらったし、何より二人とも信用できる人だと思っている。
だから、完全な嘘にならない範囲で答えることにした。
「遠い国から、一人でここまで来たんだけど……」
「はい」
「今は帰る方法が分からないんだ」
アリアが静かに話を聞いている。
「だから……少しの間でいいから、ここに居候させてもらえないかな?」
そう尋ねると、アリアとルリアは顔を見合わせた。
そして、二人とも笑顔になった。
「もちろんです」
「やったー!」
ルリアが嬉しそうに両手を上げる。
「お兄ちゃん、しばらく家にいてくれるんだよね!」
「う、うん」
「少しの間なんて言わず、ずっといてくださってもいいんですよ?」
アリアまでそんなことを言う。
「あはは……」
歓迎されていることが、素直に嬉しかった。
「ありがとう」
朝雄も自然と笑顔になった。
「それと……もう一つお願いしてもいいかな?」
「はい。なんでしょう?」
「厚かましいとは思うんだけど……僕、知らないことが多くて」
朝雄は少し考えながら続ける。
「この国のこととか、ここに住んでいる人たちのこと。それに魔法のことも」
「魔法ですか?」
「うん。もしよかったら、色々教えてもらえないかな?」
アリアはすぐに笑顔で頷いた。
「いいですよ。私が知っていることでよければ、いくらでも教えちゃいます」
「本当?」
「はい。でも」
アリアが少しだけ真面目な顔になる。
「今日はまだ身体が回復したばかりですから、ゆっくり休んでください。お勉強は明日からにしましょう」
「うん。分かった」
「私も!」
ルリアが元気よく手を上げる。
「私も知ってることなら、なんでも教えるよー!」
「ありがとう、ルリアちゃん」
朝雄は二人へ頭を下げた。
「本当にありがとう」
「いいんですよ」
アリアは優しく笑う。
「アサオさんは、ルリアの命の恩人ですから。これくらいなんでもありません」
「そうだよ!」
ルリアも大きく頷いた。
「ルリアも、お兄ちゃんにいっぱいお礼したい!」
「そっか」
三人の顔に笑みが浮かび、そのまま夕食は楽しい雰囲気の中で進んでいった。
◇ ◇ ◇
夕食が終わると、アリアが食器を片付けながら朝雄へ声を掛けた。
「お湯と着替えを用意しますね。身体を拭いて、着替えてください」
「ありがとう」
「服は明日、洗濯しますから」
少しして、アリアがお湯の入った桶とタオル、それに着替えを持ってきた。
「父の物なので、少し大きいと思いますが……他に男性用の服がなくて」
申し訳なさそうに差し出される様子を見て、逆に朝雄の方がいたたまれなくなった。
「いやいや! こっちはお世話になりっぱなしなんだから」
慌てて受け取る。
「服まで貸してもらって、こっちの方が申し訳ないよ。ありがとう」
「気にしないでください」
アリアが微笑む。
「部屋は、アサオさんが寝ていたところをそのまま使ってください。自由に使っていただいて構いません」
「いいの?」
「はい。私とルリアは隣の部屋ですから、何かあったら声を掛けてくださいね」
「分かった。ありがとう」
朝雄はもう一度礼を言い、部屋へ戻ろうとした。
すると、とことことルリアが後ろからついてくる。
「……ルリアちゃん?」
「なに?」
「どうしたの?」
「お兄ちゃんの身体、拭いてあげる!」
「……え?」
「私もお礼するの!」
満面の笑顔。
純粋な善意。
だからこそ。
「えーっと……」
朝雄は非常に困った。
『十歳の女の子に身体を拭いてもらうって……いや、駄目でしょ』
どう断ろうか悩んでいると、
「ルリア」
救いの声が聞こえた。
「アサオさんを困らせてはいけませんよ」
アリアだった。
「えー。でも身体拭くくらい――」
「駄目です」
「……」
笑顔。
しかし、有無を言わせぬ迫力があった。
「……はーい」
ルリアは素直に引き下がった。
『さすがお姉ちゃん……』
姉妹だけあって、ルリアも引き際は心得ているらしい。
◇ ◇ ◇
部屋へ戻り、身体を拭いた後、アリアから借りた服へ着替える。
ズボンと、頭から被るタイプの長袖のシャツ。シャツは丈が長く、腰の辺りに付いている紐を締められるようになっていた。
「やっぱり大きいな」
父親の服というだけあり、ズボンの丈もシャツの袖も長かった。仕方なく何度か折り返す。
着替え終わった自分の姿を見る。
「……おお」
朝雄は少し感動した。
「村人っぽい」
異世界物でよく見る、いわゆる『村人ファッション』になっていた。
「これで靴も革靴とかだったら完璧なんだけどなぁ……」
足元を見る。
履いているのは、登校時に履いていたスポーツシューズ。
「ここだけ現代日本だ……」
妙に浮いていた。
朝雄は部屋を出ると、使い終わったタオルと桶をアリアへ返した。
着替えた朝雄を見るなり、
「あら」
アリアが目を細める。
「よく似合っていますね」
「そう?」
「はい。これなら村にいても全然おかしくありませんよ」
「やっぱり制服は目立ってた?」
「……かなり」
「あはは……」
どうやら、あの制服姿は相当浮いていたらしい。
窓の外は、すでに真っ暗だった。
「今日はもう寝ましょう」
アリアが朝雄へ声を掛ける。
「おやすみなさい、アサオさん」
「うん。おやすみ、アリア」
「お兄ちゃん、おやすみー!」
「おやすみ、ルリアちゃん」
アリアとルリアは、自分たちの部屋へ入っていった。
朝雄も借りている部屋へ戻り、ベッドへ寝転ぶ。
「とりあえず……」
天井を見ながら、今日決めたことを確認する。
自分が今いる場所。
国。
種族。
魔法。
そして、元の世界へ帰る方法。
「明日、アリアに色々教えてもらおう」
少しでも情報が集まれば、これから何をすればいいのか見えてくるかもしれない。
「絶対に帰るからね……桜姉、梅姉」
そう小さく呟くと、朝雄は目を閉じた。
◇ ◇ ◇
「……またここか」
気がつけば、すっかりお馴染みになりつつある真っ白な空間に立っていた。
「昼寝した時には出てこなかったんだよね……」
朝雄は腕を組む。
「もしかして、夜限定?」
今までこの現象が起きたのは、夜に眠っている時だけだった。
「仮説としてはあり……なのかな?」
そんなことを考えているうちに、白い空間の中へゆっくりと人影が浮かび上がる。
「あ……」
銀色の長い髪。
尖った耳。
見慣れてきたエルフの少女だった。
「……やっぱり出てきた」
朝雄は少女を眺める。
どこか懐かしい。
でも、会った記憶はない。
「もしかすると……」
この世界には獣人がいる。
魔法もある。
ならば、本当にエルフもいるのかもしれない。目の前の少女も、自分の想像が作り出した存在ではなく、この世界のどこかに本当に存在する人物なのかもしれない。
そう考えることはできる。
「でも……もしそうだとしても、なんで僕の夢に出てくるんだろう?」
答えは出ない。
少女へ問い掛けても、やはり返事はない。
「君はいったい……誰なんだろうね」
しばらくすると、エルフの少女の姿がゆっくり薄れていく。
やがて完全に消え、白かった空間も暗闇へと変わった。
結局、何一つ分からないまま、朝雄の意識は再び深い眠りへ落ちていった。




