050 桜サイド 朝雄の情報
突然、桜と梅に動きを封じられたライラは困惑していた。
先ほどまで笑顔で話していた相手に、いきなり拘束されたのだから当然である。
桜の手は肩に置かれているだけに見えるが、見た目以上の力で押さえられており、上半身をほとんど動かせない。腰のベルトは梅に握られ、小柄な体格からは想像できないほどの力で下半身の自由まで奪われている。
「あの……サクラさん、ウメさん。離してくれないと出発できないんだけど……」
ライラが困ったように言うが、二人の手は離れない。
「ライラさん、今なんて言いました?」
桜が改めて問いかける。
顔は笑っている。
しかし、その目は真剣そのものだった。
「えっと……離してくれないと出発できないんだけど」
「その前です」
「魔王国の王都へ向かうって……」
「その後です」
「アサオくんに気持ちを伝えに――」
「それです!」
桜の勢いに、ライラは思わず息を呑んだ。
だが、自分の想い人へ気持ちを伝えに行くと言っただけで、なぜこんな状況になったのかはまったく分からない。
ようやく二人の反応の意味に気づいたセイラが、慌てて会話へ割って入った。
「お姉ちゃんの好きな人って、アサオっていう名前なの?」
「ああ。アサオくんは黒髪の、とても可愛い少年なんだ」
「その人、一人で魔王国にいたの?」
「いや。一緒にいたのは魔王国の騎士と、獣人族の少女が二人だ。少なくとも、肉親らしい人間はいなかったが……」
ライラの言葉を聞き、セイラの表情も一気に真剣なものへ変わった。
「お姉ちゃん。一緒に来て。会ってほしい人がいるの」
「……セイラ?」
これまで見たことがないほど真剣な妹の顔に、ライラもただ事ではないと察する。
「もしかして、アサオくんのことを何か知っているのか?」
「今は何も言えない。でも、私がここにいる理由にも関係してるの。お願い、一緒に来て」
ライラとしては、一刻も早く朝雄たちの後を追いたい。
だが、妹にここまで真剣に頼まれ、さらに桜と梅にがっちり拘束されている状況では、断るという選択肢もなかった。
何より、朝雄について何か知っているのであれば、話を聞きたい。
「分かった。そこまで言うなら一緒に行こう。それと、逃げたりしないから、そろそろ離してくれないか?」
「……分かりました」
「逃げないでくださいね」
「逃げないよ」
ようやく桜と梅が手を離す。
「ついてきて」
セイラが宿へ向かって歩き始め、その後ろを三人が続いた。
ただし。
ライラの両脇には、桜と梅がぴったりと張り付いている。
『……これ、絶対に逃がす気ないな』
周囲から見れば、まるで罪人を連行しているように見えたかもしれない。
だが桜と梅にとって、ライラはこの世界へ来てから初めて現れた、朝雄の具体的な情報を持っているかもしれない人物なのだ。
逃がすつもりなど、欠片もなかった。
◇ ◇ ◇
しばらく歩いた後、四人は街の南門近くにある宿へ到着した。
特別豪華でもなければ、貧相でもない。
旅人や冒険者も利用する、ごく普通の宿である。
セイラを先頭に階段を上がり、一つの客室の前で立ち止まる。
コンコン。
「セイラです。アサオ様らしき人物を知る者を連れて参りました」
『アサオ様?』
妹が口にした呼び方に、ライラは違和感を覚えた。
しかし、それについて考える間もなく扉が開く。
◇ ◇ ◇
部屋の造り自体は、宿の外観から想像できる通りだった。
広すぎず、狭すぎず。
ベッドが二つに、小さなテーブルが一つ。
置かれている家具も高級品ではないが、旅人向けの宿としては十分に整っている。
だが。
そこにいる人物たちは、このごく普通の客室には不釣り合いだった。
まだ少女のようにも見える美しい女性。
その傍らには、メイド服姿の女性と、屈強な体躯の男性が控えている。
右側のベッドには、黒髪の可愛らしい少女が腰掛けていた。
「……」
ライラは部屋へ入った瞬間、言葉を失った。
『まさか……』
女性と、その隣に立つ大柄な男性。
どちらにも見覚えがある。
いや、見間違えるはずがない。
自分は伯爵家の娘として育った。
王城へ出入りした経験もある。
近衛騎士団に所属しているセイラがここにいるという事実まで考えれば、もう否定する方が無理だった。
セイラが女性の前で跪き、頭を下げる。
「エミリー様。アサオ様のことを知る者を連れて参りました。この街を中心に活動している冒険者で、私の姉のライラです」
『やっぱり……!』
ライラは慌ててセイラの隣へ跪いた。
「セイラの姉、ライラでございます。現在は冒険者として活動しております」
混乱してはいたものの、貴族家に生まれた者として、王族に対する礼儀だけは身体に染みついている。
それでも頭の中では、次々と疑問が浮かんでいた。
『どうしてエミリー王女殿下がこんなところに? 隣にいるのは第一騎士団長のオルフ様で間違いない。それに、あの黒髪の少女は……たぶんスミレ王女殿下』
そして何より。
『アサオくんに……似ている?』
黒髪の少女の顔立ちは、朝雄によく似ていた。
「顔を上げてください」
頭上から声が掛かる。
「はい」
ライラが顔を上げる。
間近でエミリーの顔を見た瞬間、さらに胸の奥がざわついた。
『エミリー様まで……アサオくんに似てる?』
いや。
逆なのかもしれない。
朝雄が、エミリーによく似ている。
「あなたが会ったという、アサオという少年について話してもらえますか?」
エミリーが真剣な表情で尋ねる。
普通であれば、王族から問われればすぐに答えるべきだ。
だがライラには、どうしても先に確認しておきたいことがあった。
「無礼を承知でお聞きします」
「お姉ちゃん……」
セイラが焦ったように姉を見る。
「なぜ、エミリー様はアサオくんのことをお知りになりたいのですか?」
ターニャとオルフが僅かに反応する。
王族からの問いに答えるより先に、こちらから質問を返す。
本来であれば、褒められた行動ではない。
しかしエミリーは片手を上げ、二人を制した。
「あなたが疑問に思うのも無理はありません。こちらが一方的に聞くだけでは不公平ですね」
真っすぐライラを見る。
「あなたの知っているアサオという少年は、私の息子かもしれないのです」
「……え?」
ライラの目が大きく見開かれる。
「私は、息子を探すためにここまで来ました」
エミリー王女には娘が一人いる。
父親が誰なのかは公表されていない。
ライラが知っているのは、それだけだった。
そこへ突然、
『息子がいる』
と言われたのである。
「……」
「あなたの質問には答えました」
エミリーが続ける。
「あなたも、知っていることを話してくれますね?」
「は、はい!」
まだ驚きから立ち直れてはいなかったが、ライラは何度も頷いた。
◇ ◇ ◇
このままでは落ち着いて話もできない。
ターニャの提案で、ライラはテーブルへ案内された。
エミリーとターニャが並んで座り、その向かいにライラ。
オルフはエミリーの横に立ったまま控え、部屋の入口にはセイラ。
桜と梅は、スミレと一緒にベッドへ腰掛けている。
「では、最初からお願いします」
「はい」
ライラは、自分の知っている朝雄について話し始めた。
黒髪で、幼く見える可愛らしい人族の少年。
魔王国の街道で出会ったこと。
アリア、ルリア、サーシャ、ガズリーと旅をしていたこと。
そして。
ガズリーたちから聞いた話も含め、知っている限りの出来事を順番に話していった。
ルリアを助けるために怪我をしたこと。
村を襲った大型の魔物と戦ったこと。
その際に酷い怪我を負ったこと。
さらに、旅の途中で盗賊団に襲われた時も、同行していた少女を庇って負傷したこと。
「……」
話が進むにつれて、エミリーの顔色が悪くなっていく。
桜と梅も同じだった。
「私の知っているアサオくんについては、これで全てです。一緒に旅をしていた魔王国の騎士から聞いた話も含まれていますが、内容に嘘はないと思います」
話し終えたライラは、一息ついた。
誰もすぐには口を開かなかった。
ライラの話をそのまま受け取るなら、朝雄はこの世界へ来てから、すでに何度も命の危険にさらされている。
エミリーたちが『朝雄れえだぁ』で明確に危険を把握できたのは、大型魔物との戦いで朝雄の状態が急激に悪化した時だけだった。
「……朝雄」
エミリーが小さく呟く。
桜も膝の上で手を強く握っていた。
梅も唇を噛んでいる。
だが。
ライラの話には、三人にとって決定的な共通点があった。
自分のためではなく。
誰かを守るために、自分を危険にさらす。
それは嫌というほど知っている、朝雄の行動そのものだった。
エミリーは一度深く息を吐き、桜と梅を見る。
「今の話を聞いて、ライラさんが会ったアサオという子は朝雄だと思う?」
「はい。間違いありません」
桜は即答した。
「私もそう思います」
梅も迷わない。
「朝雄なら……きっと同じことをするから」
二人の答えを聞いたエミリーは、力強く頷いた。
「分かった」
そして立ち上がる。
「すぐにガルドール王都へ向かいます。みんな、出発の準備をして!」
◇ ◇ ◇
エミリーの一言で、部屋の空気が一変した。
「承知しました」
オルフは馬車の準備をするため、すぐに部屋を出ていく。
ターニャは荷物をまとめ始め、桜と梅も自分たちの部屋へ戻ろうと立ち上がる。
スミレも二人の後についていった。
つい先ほどまで静かだった部屋が、急に慌ただしくなる。
「……」
ライラだけが、その場で少し呆然としていた。
「ライラさん」
エミリーが声を掛ける。
「ありがとうございました。あなたのおかげで、ようやく朝雄の居場所につながる手掛かりを得ることができました」
「い、いえ……」
「本来なら、相応の恩賞をお渡しするべきなのですが、今すぐ用意することはできません。後日、正式にお礼をさせてください」
そう言って、エミリーが頭を下げる。
「エ、エミリー様! お顔を上げてください!」
王女に頭を下げられ、ライラは慌てて立ち上がった。
「恩賞など必要ありません!」
「そういうわけにはいきません。あなたの情報は、私たちにとってそれほど大きなものだったのです」
「……」
ライラは少し考え込む。
そして。
『アサオくんが……王族?』
改めて現実を認識する。
エミリー王女の息子。
それが事実なら、朝雄はサザーラント王家の血を引く人物ということになる。
伯爵家の五女である自分とは、身分が大きく違う。
『普通なら……諦めるところなのかもしれない』
だが。
『無理だ』
ライラの答えはすぐに出た。
『こんなに誰かを好きになったのは初めてなんだ。王族だからって、それだけで諦められるわけがない』
ライラはエミリーの前へ跪いた。
「エミリー様」
「はい?」
「恩賞を頂けるのであれば、一つお願いがあります」
エミリーが少し驚いた顔をする。
「何でしょう?」
「私を、アサオ様の捜索に加えてください」
「……」
「私はアサオ様と面識があります。冒険者としても、それなりに腕には自信があります。王都までの道も知っていますし、必ずお役に立てると思います」
エミリーは数秒間ライラを見つめた。
やがて、小さく笑う。
「分かりました」
「本当ですか?」
「はい。では、王都までの案内もお願いしますね。よろしくお願いします、ライラさん」
「お任せください、エミリー様!」
ライラは満面の笑顔で頷いた。
◇ ◇ ◇
準備は驚くほど早く終わった。
元々、翌朝には王都へ向けて出発する予定だったため、必要な荷物の大半はすでにまとめられていたのだ。
予定を一日繰り上げ、そのまま宿を引き払う。
全員が馬車へ乗り込んだ。
ライラも当然のように同行している。
「お姉ちゃん、本当に一緒に行くの?」
セイラがまだ信じられないように尋ねる。
「ああ。今は受けている依頼もないから問題ない」
ライラは笑顔で答えた。
「それに、一刻も早くアサオ様を見つけなければならないからな!」
「……」
あまりにもいい笑顔だった。
だからこそ。
セイラは逆に不安になった。
「ライラさん」
そこへ桜が声を掛ける。
「はい?」
「朝雄……様について、もう少し詳しく聞かせてもらえませんか?」
「私からもお願いします」
梅も続く。
「ああ、もちろん!」
ライラは快く頷いた。
エミリーからは、桜と梅について詳しく説明していない。
ひとまず朝雄捜索に同行している近衛騎士団関係者という扱いにすることになっていた。
二人は実際に騎士団の訓練にも参加し、捜索にも同行しているため、全くの嘘というわけでもない。
ライラは短い間ながら朝雄と一緒に旅をした時の出来事を話し始める。
「アサオ様は、本当に優しい子でね。ルリアちゃんが少しでも疲れていると、すぐ気づいて――」
「それから?」
「食事はちゃんと食べていましたか?」
「怪我はもう治ってるんですよね?」
「夜は眠れていました?」
「え、えっと……」
桜と梅の質問が次々に飛んでくる。
ライラは少し圧倒されながらも、一つずつ答えていった。
一見すると。
朝雄について楽しそうに話すライラと、その話を夢中で聞く桜と梅。
微笑ましい光景にも見える。
だが。
『……まずい』
セイラだけは、嫌な汗を流していた。
姉は朝雄が王族だと知っても、まったく諦めていない。
むしろ捜索に加わり、堂々と追いかけるつもりでいる。
一方の桜と梅は、朝雄に会うために異世界からやってきた。
しかも二人とも、第一騎士団長たちを倒すほど強い。
『お姉ちゃんがアサオ様に告白して……桜様と梅様がそれを知って……』
一瞬。
朝雄を挟み、桜と梅とライラが対峙する光景が頭に浮かんだ。
「……」
セイラの顔から血の気が引く。
『駄目。絶対に駄目』
最悪の事態だけは避けなければならない。
『いざとなったら、私がお姉ちゃんを止めないと……!』
こうしてセイラは、一人悲壮な決意を固めるのだった。
馬車は南門を抜け、ガルドール魔王国の王都へ向かって走り出した。
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次話は明日20時に投稿します。




