044 桜サイド 支えるもの
桜たちが宿泊している宿では、エミリーとスミレ、セイラに加え、商業地区へ情報収集に出ていたターニャとオルフも戻っていた。
五人はエミリーの部屋へ集まっている。
「桜ちゃんと梅ちゃん、帰ってこないね……」
エミリーが窓の外を眺めながら、少し心配そうに呟いた。
宿を出る前、二人には暗くなる前に戻るよう伝えていた。しかし日はすでに沈み、街はすっかり暗くなっている。
大通りには街灯が設置されているものの数はそれほど多くなく、日が落ちれば路地などはかなり暗い。この世界では、女性二人だけで夜の街を歩く姿もあまり見かけない。
「サクラ様とウメ様が、理由もなく約束を破るとは思えません。何かあったと考えた方がよいかもしれませんね」
まだ知り合ってから日は浅いが、普段の二人を見てきたターニャも不安を覚えていた。
「俺が二人の向かった市場方面を見てきましょうか?」
オルフが立ち上がりかける。
だが、エミリーは少し考えてから首を横へ振った。
「もう少しだけ待ちましょう。それでも戻らなかったらお願いするわ」
「そうですね。日が落ちてから、まだそれほど時間は経っていませんし、大通りなら人通りも残っています。それに、あの二人なら強盗に襲われた程度では返り討ちにするでしょう」
「お姉さまたちは、とても強いですからね」
ターニャとスミレが続けると、セイラも小さく頷いた。
それから三十分ほど経った頃。
部屋の扉がノックされた。
すぐにオルフとセイラが扉の前へ移動する。
「エミリーさん、桜です。遅くなってすみません」
「桜ちゃん!」
セイラが扉を開けると、そこには桜と梅が立っていた。
二人の姿を確認した瞬間、部屋にいた全員が安堵の息を漏らした。
◇ ◇ ◇
「なるほど。それで遅くなったんだね」
桜と梅は、今日あったことを順番に説明した。
市場では朝雄の情報が得られなかったこと。
偶然見つけた冒険者ギルドで、朝雄の捜索依頼を出したこと。
その後、朝雄のことを知っていると嘘をついた冒険者たちについて行き、襲われそうになったため返り討ちにしたこと。
そしてギルド長の勧めで、二人とも冒険者として登録したこと。
ただし、桜が不安を抑えきれず泣いてしまったことだけは話さなかった。
朝雄に再会するまで、二人で支え合って進もう。
そう決めたばかりだったからだ。
「心配をかけて、ごめんなさい」
「ごめんなさい」
二人が揃って頭を下げると、エミリーは優しく笑った。
「ううん。二人が無事なら、それでいいよ」
「でも――」
スミレが頬を膨らませ、桜へ向き直った。
「桜お姉さま、知らない人について行っちゃ駄目ですからね!」
「……はい」
十一歳の少女に真顔で注意され、桜は顔を赤くして項垂れた。
その姿を見て、梅が思わず笑いそうになって口元を押さえる。
「梅ちゃん?」
「な、なんでもないよ」
「梅お姉さまも一緒です!」
「はい……」
今度は梅までスミレに叱られた。
◇ ◇ ◇
「商業地区の方はどうだったんですか?」
一通り話が終わると、梅がターニャとオルフへ尋ねた。
二人は揃って首を横へ振る。
「残念ながら、こちらもアサオ様についての情報は何も得られませんでした。ただ、ガルドール魔王国に関する話はいくつか聞けました」
「魔王国の?」
桜と梅が揃って反応する。
「ああ。魔王国の東端にある小さな村で、大型の魔物が出たらしい。魔王国から来た商人たちは、その話でもちきりだった」
オルフの説明を聞き、二人の表情が真剣になる。
桜も梅も、魔物については王都でターニャたちから教えられていた。
普通の野生動物ですら危険なのに、それが魔物化すれば脅威は比較にならない。
「その村の人たちは大丈夫だったんですか?」
梅が心配そうに尋ねる。
「ああ。たまたま徴税任務で村に滞在していた魔王国の騎士団が討伐したそうだ。村人には大きな被害も出なかったらしい」
「そうだったんですか……良かった」
梅が胸を撫で下ろし、桜も安心したように息を吐いた。
二人は知る由もない。
その魔物が現れた村こそ、朝雄が滞在していたスロウ村であり、実際に魔物を倒したのも騎士団ではなく朝雄だったことを。
「ただし」
オルフの表情が少し厳しくなる。
「魔物の討伐は、騎士団や一部の高ランク冒険者でも命懸けになる。お前たちが対人戦で強いことは分かっているが、魔物は人間とはまったく違う動きをすることもある。遭遇しても、自分たちだけで戦おうとは考えるな」
「はい」
「まず逃げることを考えろ。いいな?」
「分かりました」
桜も梅も素直に頷いた。
人間相手ならともかく、見たこともない魔物へ自分たちから挑むつもりはなかった。
◇ ◇ ◇
夕食を終えた後、エミリーはいつものように『朝雄れえだぁ』を使った。
反応は今日も変わらない。
朝雄は生きている。
そして位置を示す反応は、依然として南だった。
「ここから先の大きな街は、もう国境都市フレンダくらいなのよね……」
エミリーは魔法陣を見つめながら、難しい表情を浮かべる。
「ここまで南へ来ても方角がほとんど変わらないとなると、朝雄がガルドール魔王国にいる可能性はかなり高くなったかも……」
「そうですね」
ターニャも頷いた。
「念のため、魔王国へ正式に入国できるよう準備を始めてもらいましょう」
エミリーは少し考えてから顔を上げる。
「お母様に手紙を出しておくわ。ターニャ、お願いできる?」
「分かりました。すぐに手配します」
冒険者になった桜と梅なら、ギルドカードを使って比較的簡単に国境を越えられる可能性がある。
しかしエミリーはサザーラント王国の第一王女であり、スミレも王族だ。
身分を偽ったまま他国へ入るわけにはいかない。
朝雄が本当に魔王国内にいると分かった場合に備え、正規の手続きを進めておく必要があった。
「明日は朝早く出発するから、今日はもう休みましょう」
エミリーがそう告げると、それぞれが自分の部屋へ戻っていく。
最後に残ったのは、エミリーとターニャの二人だけだった。
◇ ◇ ◇
扉が閉まり、部屋が静かになる。
エミリーはしばらく何も言わずに立っていた。
「桜ちゃんと梅ちゃんに……無理させてたのかな」
やがて、独り言のように呟く。
二人が王都を出てから、日に日に焦りを強めていることにはエミリーも気づいていた。
捜索へ出れば何か手掛かりが見つかる。
朝雄へ少しずつ近づいていける。
二人とも、そんな期待を抱いていたはずだ。
ところが実際には、ここまで来ても朝雄の居場所は分からない。
今日、桜が普段なら相手にもしないような話について行ってしまったのも、その焦りが原因なのだろう。
「私の責任だわ。もっとあの子たちのことを気にしていれば……」
エミリーが俯く。
その肩へ、そっと手が置かれた。
「エミリー」
「……ターニャ?」
振り返ると、ターニャが優しく微笑んでいた。
普段の少し厳しい表情ではなく、幼い頃から何度も自分を支えてくれた親友の顔だった。
「それは、あなたも同じでしょう?」
「え?」
「あなたも無理をしているでしょう」
「……」
その一言で、エミリーの表情が崩れた。
桜と梅を励まさなければならない。
スミレを不安にさせてはいけない。
自分が朝雄を捜し出さなければならない。
そう思い続け、ずっと明るく振る舞ってきた。
だが当然、エミリー自身も不安だった。
遠い異世界にいて十二年間会えなかった息子が、同じ世界にいる。
すぐにでも会いたいのに、どこにいるのか分からない。
生きていることは確認できても、無事に過ごしているのか、怪我をしていないのか、辛い思いをしていないのかまでは分からない。
「朝雄……」
声が震える。
「どこにいるの……? 早く……会いたいよ……」
堪えていた涙が溢れ出し、エミリーはターニャの胸へ顔を埋めた。
ターニャは何も言わず、しばらく親友を優しく抱きしめる。
「あの二人は、もう大丈夫よ」
「……」
「今日帰ってきた二人の顔を見たでしょう? きっと桜様と梅様は、これからもお互いに支え合っていける」
そう言いながら、ターニャはエミリーの髪を優しく撫でた。
「そして、あなたには私がいるわ。だから、一人で全部抱え込もうとしないで」
「ターニャ……」
優しい言葉と、昔から変わらない手の感触に、エミリーの心が少しずつ落ち着いていく。
きっと桜と梅も、今日こうして互いを支えたからこそ、あの表情で帰ってくることができたのだろう。
ならば、自分もここで折れているわけにはいかない。
エミリーは涙を拭うと、ターニャの胸元から顔を上げた。
「ありがとう、ターニャ。もう大丈夫」
「本当に?」
「うん!」
まだ目元は少し赤い。
それでも、表情にはいつもの力が戻っていた。
「何があっても朝雄を見つけ出す。そして桜ちゃんと梅ちゃんを、絶対に朝雄と再会させてあげるんだから!」
「ええ」
ターニャは、いつものエミリーが戻ってきたことに安心し、優しく微笑んだ。
◇ ◇ ◇
翌朝。
エミリーたちは早い時間に宿を引き払い、再び馬車へ乗り込んだ。
ここから国境都市フレンダまでは、およそ三日の道のりになる。
その間に朝雄のいる方角が変わらなければ、いよいよガルドール魔王国内へ入って捜索する必要があるだろう。
それでも、昨日までと比べて皆の表情は明るかった。
桜には梅がいる。
梅には桜がいる。
エミリーにはターニャがいる。
そして全員が、同じ目的へ向かって進んでいる。
「朝雄がどこにいようと、必ず見つけてみせる!」
エミリーが前方へ向かって声を上げる。
「出発だよ!」
オルフが手綱を動かし、馬車がゆっくり走り始めた。
目指すのは南。
ガルドール魔王国との国境都市――フレンダ。
朝雄との距離は、確実に縮まりつつあった。
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