037 野営地の夜
「そうか、アサオくんは魔王国の王都に向かっているのか」
護衛についての打ち合わせを早々に終えると、ライラは朝雄をお茶に誘った。
二人は焚き火の傍に並んで座り、温かいお茶を飲みながら話をしている。もっとも、会話のほとんどはライラが質問し、それに朝雄が答えるという形だった。
チュカンの冒険者ギルドで助けてもらったこともあり、朝雄はライラに好意的だった。無理に話へ付き合っているわけではなく、時折笑顔を見せながら楽しそうに会話している。
「この先、野盗なんかが現れても、アサオくんは絶対に私が守るからね!」
話題が、この先の街道に出るという野盗へ移ると、ライラは自信満々に胸を叩いた。
その姿を見た瞬間、朝雄は思わず息を呑む。
『朝雄、お姉ちゃんが必ずあなたを守るわ!』
幼い頃。
自分にそう言ってくれた人がいた。
今は傍にいないけれど、きっとまた会える。
桜の姿を思い浮かべながら、朝雄は改めてそう強く思った。
「アサオくん?」
急に俯いて黙り込んだ朝雄を見て、ライラが心配そうに顔を覗き込む。
「どうしたんだ? 私、何か変なことを言ったかな?」
慌て始めたライラに、朝雄は顔を上げた。
「ありがとうございます、ライラさん!」
「……!」
朝雄が満面の笑顔を向ける。
それは桜や梅にも向けていた、相手を信頼しきった曇りのない笑顔だった。
「……あ、ああ」
ライラは一瞬固まった後、頬を赤くしながらどうにか頷いた。
◇ ◇ ◇
「ああ、アサオさん……あんなに楽しそうに……」
「むぅ、お兄ちゃんの浮気者~」
「あの女冒険者、ちょっとアサオに近づきすぎじゃないか?」
少し離れた木の陰から、焚き火の傍で談笑する二人へ三対の視線が突き刺さっていた。
アリア、ルリア、そしてサーシャである。
「よし!」
サーシャが拳を握って立ち上がる。
「ここは我々も乱入して、話に加わるのだ!」
「お前たちは、一体何をしているんだ……」
背後から呆れ切った声が聞こえた。
「む、ガズリーか」
振り返ったサーシャは、何故か堂々と胸を張る。
「今からアサオを救出するためにだな――」
「しょうもないこと言ってないで、さっさと寝てください」
「なっ!」
「今夜の見張りは、こちらと商隊から一人ずつ交代で出すことになってるんです。隊長は後半なんですから、今寝ておかないと朝まで持ちませんよ」
「むぅ……」
正論を言われ、サーシャは反論できずに唸った。
「アリアとルリアも、明日は早いんだから寝ておけ」
「……はい」
「はーい……」
まだ少し未練があるらしく、三人は何度も朝雄たちの方を振り返りながらテントへ戻っていった。
その後ろ姿を見送り、ガズリーは深い溜息をつく。
「まったく……」
それから焚き火へ向かうと、そこには頬を赤くしたライラと、何も気づかず楽しそうに笑っている朝雄がいた。
「アサオ、明日も早いからそろそろ寝ておけ」
「あ、もうそんな時間ですか」
朝雄は立ち上がると、ライラへ軽く頭を下げた。
「ライラさん、今日はありがとうございました。また明日」
「ああ。また明日、アサオくん」
ライラは小さく手を振りながら、朝雄がテントへ入るまでずっとその後ろ姿を見送っていた。
「……」
その様子を横から見ていたガズリーは、気づかれないよう小さく息を吐く。
『これは面倒なことにならなきゃいいが……』
◇ ◇ ◇
しばらくすると商人や他の冒険者たちも眠りにつき、辺りは焚き火が弾ける音だけが聞こえるほど静かになった。
最初の見張りを担当するのは、朝雄たちの一行からガズリー、商隊側からライラの二人だ。
「そちらの見張りはライラが最初だったな。よろしく頼む」
「ああ。こちらこそよろしく、ガズリー殿」
朝雄がいなくなったことで、ライラの表情はすでに冒険者のものへ戻っている。
二人はしばらく無言で周囲を警戒していた。
やがて。
ガズリーが静かに口を開く。
「少し聞いてもいいか?」
「何だ?」
「失礼を承知で聞くが、ライラは平民の出じゃないだろう。サザーラント王国の貴族の出身じゃないのか?」
「……」
ライラの表情が変わった。
先ほどまで穏やかだった瞳に、はっきりと警戒の色が浮かぶ。
冒険者は、成人していて犯罪者でなければ基本的に誰でも登録できる職業だ。
しかし依頼には命の危険を伴うものも多く、中には何らかの事情で故郷や家を捨て、冒険者になった者もいる。そのため、相手から話さない限り過去を詮索しないことが、冒険者たちの間では暗黙の了解になっていた。
当然、ガズリーもその程度のことは知っている。
それでもライラの出自を尋ねたのは、確認しておきたいことがあったからだ。
ライラの言葉遣いや立ち振る舞いは、明らかに一般の平民とは違っていた。
もしサザーラント王国の貴族として育ったのであれば、ガズリーが知りたいことについて何か手掛かりを持っているかもしれない。
「ガズリーは、何が知りたいんだ?」
ライラは警戒を解かないまま尋ねた。
「俺はライラの素性を詳しく知りたいわけじゃない。あることを確認したいだけだし、答えたくなけりゃ答えなくてもいい」
「……」
「それと、いちいち『殿』を付けるのも面倒だ。俺のことはガズリーでいい。俺もライラって呼ばせてもらう」
「それは別に構わないが……」
急に軽い口調へ戻ったガズリーに、ライラは少し拍子抜けしたようだった。
「それで?」
「俺が知りたいのは、アサオのことだ」
「アサオくん?」
予想していなかった名前が出てきて、ライラが目を瞬かせた。
先ほど本人から聞いた話では、朝雄たちはチュカンよりさらに東にある村を出て、魔王国王都を目指しているという。
しかも村を出てからは、今の五人でずっと旅をしてきたと言っていた。
そんなガズリーが何故、一緒に旅をしている朝雄について自分へ尋ねるのか、ライラには理由が分からなかった。
「実は俺たちも、アサオとはチュカンの東にある獣人族の村で知り合ったんだ。それ以前のことはほとんど知らない」
「待ってくれ」
ライラが眉を寄せる。
「アリアとルリアは獣人族だが、アサオくんはどう見ても人族だろう? どうして獣人族の村で三人暮らしていたんだ?」
「アリアの話じゃ、アサオはルリアの命の恩人らしい。行くところがないと言っていたアサオを、アリアが家へ置いてやってたそうだ」
「なるほど……」
事情そのものは理解できた。
だが、それだけでは新たな疑問が増えただけでもある。
「それで、アサオくんと私の出自がどう繋がる?」
そこを聞かないまま、自分のことを話すわけにはいかない。
まして朝雄に関係しているとなれば、ライラとしても慎重にならざるを得なかった。
「アサオと一緒にいると分かるが、あいつはどうも普通の平民の出には見えなくてな」
ガズリーは腕を組む。
「礼儀もしっかりしてるし、言葉遣いも丁寧だ。知識もある。どう見ても、それなりの教育を受けて育っている」
「……それは私も感じた」
冒険者ギルドでの短い会話だけなら気にしなかったかもしれないが、今夜話してみてライラも同じ印象を持っていた。
「なるほど」
ライラが納得したように頷く。
「つまりガズリーは、アサオくんがサザーラント王国の貴族か、それに近い家の出ではないかと考えている。そして、もし私もサザーラントの貴族出身なら、何か知っているかもしれないと思ったわけか」
「そういうことだ」
「それなら、本人に聞かなかったのか?」
「もちろん聞いたさ」
ガズリーは肩を竦める。
「だが、どうも話しにくい事情があるみたいでな。それ以上は聞かなかった」
「……」
「ライラは、話したくなさそうにしてるアサオから無理やり聞き出せるか?」
「……」
ライラは、先ほど向けられた朝雄の笑顔を思い出す。
次に。
困ったように俯く姿を想像した。
「無理だな」
「だろ?」
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
◇ ◇ ◇
「これでも人を見る目には自信がある。アサオは信用できる奴だと思ってるし、それに俺たち騎士団の命まで救ってもらったからな」
「騎士団の命を?」
ライラが意外そうに聞き返す。
「アサオくんがか?」
「ああ」
ガズリーは朝雄が村で大型の魔物と戦った時のことを簡単に説明した。
「あいつは、ああ見えて剣の腕だけなら俺より上だ。それだけじゃなく、とんでもない量の魔力も持っている」
「……」
「村に大型の魔物が出た時には、騎士団でもどうにもならなかった相手を、最後はアサオが放った魔法で吹き飛ばした」
「本当なのか?」
ライラの声から、先ほどまでの軽さが消える。
ガズリーは真剣な表情で頷いた。
「ただし、本人は碌に魔法の使い方を知らない。そのせいで限界以上に魔力を使って倒れた」
「……」
そこまで聞き、ライラもようやくガズリーが朝雄の素性を調べようとしている理由を理解した。
異常なほどの魔力量。
高い剣術。
きちんとした教育を受けた形跡がある一方で、魔法については基礎的なことすら知らない。
確かに不自然だった。
「そこまでの魔力を持つ人間か……」
ライラは考え込む。
彼女自身、幼い頃に魔法の適性は高くないと判断されていたが、それでも貴族として魔法についての基本的な知識は持っている。
人族の中で最も優れた魔法使いの一人として知られるエミリー第一王女であれば、同じようなことができるかもしれない。
だが彼女はハーフエルフであり、人族より魔力面で優れるエルフの血を引いている。
人族にしか見えない朝雄と単純に比較することはできなかった。
「分かった。ガズリーがアサオくんのことを知りたい理由は理解した」
ライラは姿勢を正し、真っ直ぐガズリーを見る。
「だから質問には答える。確かに私は、サザーラント王国の貴族の家で育った」
「やっぱりそうだったか」
「だが、アサオくんのことは知らない。少なくとも、私が貴族として生活していた頃に、あんな特徴の子供や家の噂を聞いたことはない」
「そうか……」
ガズリーは少し残念そうだったが、すぐに頭を下げた。
「教えてくれてありがとう」
「いや、大したことじゃないさ」
ライラはそう答えた後、楽しそうに笑う。
「それにしても、ますますアサオくんに興味が湧いてしまったよ」
「……」
ガズリーの顔が僅かに引きつった。
◇ ◇ ◇
「ところでガズリーは、これからアサオくんをどうするつもりなんだ?」
「どうするって?」
「王都まで連れて行った後だ」
「ああ」
ガズリーは焚き火へ薪を一本足す。
「まずは、ちゃんと魔法を教えられる人間に見てもらうつもりだ。碌に使い方も知らないまま無茶ばかりするから、危なっかしくて仕方ねえ」
「それがいいだろうな」
ライラも素直に頷いた。
会話が一段落し、しばらく静かな時間が流れる。
するとライラは、ふと何かを考えるように夜空を見上げた。
「それにしても……」
「ん?」
「アサオくんは今の可愛らしい雰囲気が、本当によく似合っているな」
「……急になんの話だ?」
「いや、何年かしたら背も伸びて、体格も変わって、今より男らしくなってしまうのかなと思ってな」
ライラは心底残念そうに溜息をついた。
「……」
ガズリーは、チュカンで出会ってから抱いていた疑問を思い出す。
「ライラは、男らしい奴より可愛い感じの男が好みなのか?」
「ああ」
答えは即答だった。
「童顔で可愛らしい男性が好みだ。筋肉でごつごつした男より、アサオくんみたいなタイプの方がずっと魅力的だと思う」
「……なるほど」
ガズリーは何となく納得した。
「もしアサオが、大人になっても今とあまり変わらない見た目だったら?」
「もちろん、本気で求婚を考えるだろう」
「即答かよ……」
あまりにも迷いがなかった。
「だが、見た目がかなり若く見える相手と結婚したら、周りから変な目で見られないか?」
「周りの目なんて気にしないさ」
ライラは胸を張る。
「本人が成人していて、法に触れないなら何も問題はない!」
「……」
妙なところだけは非常に真面目だった。
この世界では、男女とも十五歳で成人となる。
しかしライラは、朝雄の童顔な外見から、まだ成人前だと思っているらしい。
『……これは絶対、今は言わねえ方がいいな』
朝雄は十五歳。
つまり。
すでに成人している。
それを知った瞬間、この女がどういう行動に出るのか分からない。
しかも。
今のところ朝雄の傍にはアリアとサーシャがいる。
ライラまで本格参戦した場合、何が起きるのか想像もつかなかった。
「ライラ」
「なんだ?」
「法は守ろうな……」
「もちろんだ!」
満面の笑顔で返事をするライラを見ながら。
ガズリーは心の中で固く誓った。
『こいつが一緒にいる間は、絶対にアサオの年齢を黙っておこう……』
静かな野営地に。
焚き火の弾ける音だけが響いていた。
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次話は明日7:00に投稿します。




