036 チュカンの街
スロウ村を出てから、ひたすら街道を西へ歩き続けること七日。
ようやく朝雄たちの視界に、目的地であるチュカンの街が見えてきた。
「あれが、チュカンの街……」
朝雄は思わず足を止め、目の前に広がる光景を見つめた。
道中にも小さな村や集落はいくつかあったが、どこもスロウ村より小さいか、せいぜい同程度の規模だった。
だが、チュカンはまったく違う。
五メートルほどの高さがある防壁が街全体を囲み、大きな入口には立派な門が設けられている。その前には、槍を持った衛兵らしき者まで立っていた。
『すごい……本当に異世界の街だ』
朝雄の好きな異世界もののWEB小説に登場する街を、そのまま現実にしたような光景だった。
朝雄が目を輝かせていると、その隣でもルリアがまったく同じ顔をしている。
「お姉ちゃん、早く行こう!」
「アリア、行こう!」
「はいはい。二人とも、そんなに引っ張らないでください」
朝雄とルリアに両側から手を引かれ、アリアが苦笑しながら歩き出す。
その姿は、興奮する二人の子供に振り回される母親のようだった。
サーシャも思わず笑みを浮かべながら、三人の後を追う。
だが。
最後尾にいたガズリーだけは、少し考え込むように朝雄の背中を見ていた。
『ルリアがあの反応なのは分かるが……アサオまでか?』
村から外へ出た経験のないルリアが、大きな街を見て興奮するのは理解できる。
しかし朝雄まで、まるで街そのものを見るのが初めてのような反応をしている。
もし朝雄がサザーラント王国から普通に街道を通ってスロウ村へ来たのなら、このチュカンを通らずに辿り着くのは不自然だった。
少なくとも、一度は似た規模の街を見たことがあるはずだ。
『やっぱり、こいつの話には分からねえことが多すぎるな……』
「ガズリーさんも、早く行きましょう!」
少し先から朝雄が振り返り、笑顔で手を振っている。
「……」
ガズリーは一瞬呆れたような顔をした後、小さく笑った。
『まあ、悪意があるようには見えねえんだよな』
王都で騎士をしていれば、腹に何かを抱えている人間と接する機会も多い。だからこそ、人を見る目にはそれなりの自信があった。
朝雄には謎が多い。
だが少なくとも、こちらへ害をなそうとしているようには感じない。
「ま、そのうち分かるだろ」
ガズリーはそう呟くと、少し急ぎ足で四人の後を追った。
◇ ◇ ◇
五人が門へ到着すると、衛兵は少し怪訝そうな表情で一行を見た。
「三人はちょっとここで待っていてくれ」
ガズリーに言われ、朝雄、アリア、ルリアは少し離れた場所で待つことになった。
サーシャとガズリーが衛兵のところへ向かう。
その瞬間、朝雄はサーシャの雰囲気が変わったことに気づいた。
この七日間ですっかり見慣れた、少し子供っぽいところもある普段のサーシャではない。
スロウ村で最初に会った時と同じ、騎士団の隊長としての顔になっていた。
「何を話してるんだろ?」
「街に入るための手続きだと思いますよ」
アリアが答える。
しばらく話していると、ガズリーが懐から何かを取り出し、衛兵へ見せた。
「……え?」
次の瞬間。
衛兵が飛び上がるように姿勢を正したかと思うと、ほとんど土下座する勢いで頭を下げた。
しかも。
朝雄には、その相手がガズリーではなくサーシャのように見えた。
「……?」
サーシャは明らかに慌てている。
急いで衛兵を立たせると、何か言い含めるように話しかけた。衛兵は首が折れるのではないかと心配になるほど、何度も勢いよく頷いている。
少しして。
「これで街に入れるぞ。行こう」
戻ってきたサーシャは、何故か少し疲れた顔をしていた。
五人が門をくぐる間、先ほどの衛兵は直立不動のまま一言も発しなかった。
「ねえ、サーシャ」
「な、なんだ?」
「あの衛兵の人と何を話してたの?」
「……!」
サーシャが分かりやすく身体を強張らせる。
「あー、それはだな」
すかさずガズリーが会話へ割り込んだ。
「こういう大きな街に入る時は、身分を証明する物が必要になることが多いんだ。アサオは何も持ってないだろ?」
「あ……はい」
「アリアとルリアはスロウ村の住人だと証明できる物を持ってるが、お前にはない。だから俺と隊長が身元を保証するって話をしてたんだよ」
「そうだったんですね」
朝雄は旅の途中で、自分にはこちらの世界で使える身分証がないことを聞いていた。
どうやら二人が保証人のような役目をしてくれたらしい。
「僕のせいで面倒をかけて、すみません」
朝雄が素直に頭を下げる。
「気にするな!」
サーシャは何故か少し居心地悪そうに答えた。
「でも、あの衛兵の人、ものすごく緊張してたみたいだけど……」
「……!」
再びサーシャが固まる。
「あー……実はな」
またもガズリーが助け船を出した。
「三人には話してなかったが、隊長は貴族の出なんだよ。それで衛兵が必要以上に緊張したんだろう」
「ああ、そうなんですね」
朝雄はあっさり納得した。
最初に会った時から、サーシャの立ち振る舞いや話し方を見て、平民ではないだろうとは何となく感じていた。
「貴族って、やっぱり偉いんだね」
「あ、ああ……そうだな」
ガズリーは何とも歯切れの悪い返事をする。
一方のサーシャは、露骨にほっとした顔をしていた。
『……また一つ謎が増えたな』
朝雄を人族の貴族か、それに近い身分ではないかと疑っているガズリーとしては、今の反応にも引っかかるものがあった。
だが、このままでは余計な話に発展しかねない。
今は話題を変える方を優先することにした。
「今日はこのまま宿を取る。明日は王都までに必要な食料や道具を買い足して、出発は明後日の予定だ」
「分かりました」
「買い出しは俺と隊長で済ませるから、アサオたちは街を見て回ってこい」
「え?」
朝雄は少し驚く。
「買い出しを二人に任せて遊んでるなんて悪いですよ。僕たちも手伝います」
「いや、買い出しなんて二人いれば十分だ」
ガズリーは首を横へ振った。
「慣れない旅を七日も続けたんだ。身体だけじゃなく、精神的にも疲れが溜まってるだろうから、ここで少し羽を伸ばしておけ」
「でも……」
「これは命令だ」
「……はい」
言葉こそ命令だったが、三人を気遣ってくれているのは明らかだった。
朝雄は素直に頭を下げる。
「ありがとうございます、ガズリーさん」
「おう。しっかり楽しんでこい」
◇ ◇ ◇
その日は、高級すぎず貧相でもない、ごく普通の宿を取ることになった。
久しぶりに椅子へ座って食堂で温かい食事を取り、柔らかいベッドで眠れたおかげか、翌朝は驚くほど目覚めが良かった。
相変わらず、眠るとあの銀髪の女性が現れる白い夢を見る。
だが特に大きな変化もなく、毎晩のように見るせいで、朝雄自身も以前ほど深く考えなくなっていた。
◇ ◇ ◇
朝食を済ませると、宿の前でサーシャとガズリーの二人と別れた。
「夕方までには宿へ戻れよ」
「はい!」
「危ない場所には近づかないこと!」
「分かってるよ、サーシャ」
「本当だろうな……」
サーシャは妙に心配そうだったが、ガズリーに連れられて買い出しへ向かっていった。
朝雄たち三人は、アリアの案内で街を見て回ることになった。
初めて見る大きな街に、朝雄とルリアは朝から少し興奮気味だ。
朝雄の腰には一本の木剣が下げられている。
これは旅の途中、ガズリーから借りた片手剣を壊してしまった後、護身用として渡してもらった物だった。
何故、真剣ではなく木剣なのか。
理由は単純である。
身体強化の次の段階として、武器に魔力を流して強化する練習をした際、朝雄はガズリーから借りた片手剣を一本壊してしまったのだ。
その時のことを思い出し、朝雄は少し遠い目になる。
『あれは本当に悪いことしたな……』
ガズリー曰く、
『お前の腕なら、街のチンピラくらい木剣でも十分だ』
とのことだった。
「では、行きましょうか」
「はい!」
「行こう、お姉ちゃん!」
アリアを先頭に、三人は街へ繰り出した。
◇ ◇ ◇
チュカンの街は、朝雄が想像していたファンタジー世界の街そのものだった。
石を敷き詰めて均した道を何台もの馬車が行き交い、左右には石や木で造られた建物が並んでいる。
朝雄の知識にある中世ヨーロッパの街並みによく似ており、大通りには多くの人が行き交い、そこかしこから商人たちの威勢のいい声が聞こえてきた。
「すごい……」
「人がいっぱい!」
朝雄とルリアは忙しなく左右を見回す。
アリアはそんな二人を見ながら、苦笑して注意した。
「この街は比較的治安がいい方ですけど、大通りから外れて細い道へ入ると物騒な場所もあります。絶対に一人で勝手に歩いてはいけませんよ」
「「はーい」」
二人は辺りを見回したまま、ぴったり声を揃えて返事をした。
「……ちゃんと聞いていますか?」
「聞いてるよ」
「聞いてるー!」
返事だけはいい。
アリアは思わず笑ってしまった。
◇ ◇ ◇
大通り沿いに店を覗きながら歩き、街の中心部近くまで来た頃。
「ねえ、アリア。あの建物は何?」
朝雄が指さしたのは、白い壁をした三階建ての大きな建物だった。
入口には様々な装備を身につけた男女が出入りしている。
「あれは確か、冒険者ギルドですね」
「冒険者ギルド!」
「えっ?」
朝雄が突然、目を輝かせながらアリアへ詰め寄った。
「冒険者ギルドって、本当にあるんだ!」
「え、ええ……」
あまりの勢いに、アリアが僅かに身を引く。
「冒険者というのは、野生動物や魔物の討伐、素材の採集、商人の護衛など、様々な依頼を報酬と引き換えに請け負う職業です」
「やっぱりそうなんだ……」
朝雄は再び建物へ視線を戻し、感動したように呟いている。
「アサオさんは、冒険者に興味があるんですか?」
「うん。興味っていうより、憧れに近いかも」
「憧れ……ですか?」
「話には聞いてたけど、本物を見るのは初めてだから」
異世界ものの物語に頻繁に登場する冒険者と、その活動拠点となる冒険者ギルド。
朝雄にとっては、まさに憧れの存在だった。
「ちょっと中を見てみたいんだけど……駄目かな?」
朝雄がそう頼むと、アリアは僅かに表情を曇らせた。
「……」
アリアは以前、この街の学校へ通っていた。魔法の才能があると分かり、その勉強をするためだ。
卒業が近づいた頃、同じ時期に学んでいた者の何割かは冒険者になったという。だが、その多くが一年もしないうちに死亡したか、行方不明になったという噂を後から耳にした。
世間一般でも、冒険者は危険な職業だと認識されている。
それは決して間違いではない。
『もしアサオさんが冒険者になりたいなんて言ったら、絶対に止めます』
そう心に決めながらも。
見るだけなら、朝雄の希望を叶えてあげたい気持ちもあった。
「見るだけなら……」
「ありがとう!」
「うわー、私も見てみたい!」
ルリアまで楽しそうに声を上げる。
アリアは。
早くも少し嫌な予感がしていた。
◇ ◇ ◇
朝雄は少し緊張した面持ちで、冒険者ギルド入口の大きな扉へ手を掛けた。
ギィッ。
扉を押し開けると、取り付けられたベルがカランと鳴る。
「……おお」
中へ入った瞬間、朝雄は感動したように足を止めた。
奥には長いカウンターがあり、制服らしき服を着た女性職員が何人か座っている。
左奥には大きな掲示板があり、その前では数人の冒険者が、貼り出された紙を真剣な表情で眺めていた。
入口近くには丸いテーブルがいくつも並べられており、まだ昼前だというのに木製のジョッキを片手に酒を飲み、大声で笑っている冒険者らしき男たちもいる。
「ここが……夢にまで見た冒険者ギルド……」
異世界ものが大好きな朝雄は、完全に目を奪われていた。
一方。
アリアとルリアは、想像以上の喧騒と少々荒っぽい雰囲気に軽く引いている。
だからだろう。
ふらふらと吸い寄せられるように、朝雄が一人で奥へ歩いていくのをアリアは一瞬見逃してしまった。
「なんでこんなところにガキがいるんだ!」
突然。
野太い怒鳴り声が響いた。
朝雄が振り返る。
そこにいたのは、大柄な冒険者風の男だった。
頭は剃っているのか髪はなく、背中には身体に似合う大きな剣を背負っている。顔は赤く、少し酔っているようだった。
「……!」
朝雄の目が輝いた。
『来た!』
異世界へ転移した主人公が。
冒険者ギルドへ行き。
荒くれ者に絡まれる。
『お約束のイベントだ!』
朝雄は妙に感動していた。
一方。
アリアの顔からは一気に血の気が引いた。
「ア、アサオさん!」
絡まれているにもかかわらず、何故か目を輝かせている朝雄の態度が気に入らなかったのだろう。
男の顔が険しくなり、背中の大剣へ手を掛ける。
「すみません! すぐに連れ出しますから!」
アリアは慌てて走り寄り、朝雄と男の間へ割って入った。
すると。
先ほどまで怒りを露わにしていた男の表情が、分かりやすいほど緩んだ。
「へえ……随分綺麗な姉ちゃんじゃねえか」
「……」
「姉ちゃんが代わりに詫び入れてくれるってんなら、許してやってもいいぜぇ」
男は下卑た笑みを浮かべ、アリアの身体を舐め回すように眺めた。
「……っ」
アリアの顔が青ざめ、身体が僅かに震え始める。
男が嫌らしい笑みを浮かべながら、アリアへ手を伸ばした。
その手の前に。
すっと。
一本の木剣が突き出された。
「アリアに触るな」
「……」
先ほどまで目を輝かせていた朝雄の表情は消えていた。
木剣を抜き、真剣な目で男を睨んでいる。
「けっ、ガキが」
男は鼻で笑った。
「そんなオモチャで、何言ってやがる!」
背中の大剣を引き抜き、朝雄へ向ける。
朝雄はアリアの前へ出ると、木剣を両手で持ち、身体の正面に構えた。
その瞬間。
木剣が僅かに青白い光を帯びる。
「アサオさん、駄目です!」
「……っ!」
アリアの叫びで、朝雄は我に返った。
『まずい!』
無意識のうちに、木剣へ魔力を流していた。
◇ ◇ ◇
それは旅の途中、身体強化の次の訓練として、武器へ魔力を流して強化する練習をした時のことだった。
ガズリーから片手剣を借り、魔力を流した状態で細い木を試し斬りした。
スパンッ。
剣は何の抵抗もなく木を両断した。
「おお!」
朝雄が感動した直後。
ズズズズズ……。
「……ん?」
切った木の後ろにあった。
遥かに太い大木まで。
綺麗に真っ二つになっていた。
「アサオォォォ!」
「サーシャ、逃げて!」
倒れてきた大木の下敷きになりかけたサーシャに、その後ひどく怒られた。
さらに。
魔力を止めた直後。
パキン。
「……あ」
ガズリーから借りていた片手剣まで。
朝雄の魔力に耐えきれなかったのか、粉々に砕けてしまった。
「……」
「……」
「……」
「ごめんなさい」
それ以降。
武器強化の魔法も、勝手に使用することは禁止された。
『人に向けて使ったら、その大木みたいになるぞ』
ガズリーには真顔でそう言われている。
◇ ◇ ◇
『危なかった……』
朝雄は慌てて魔力を止める。
だが今度は別の問題がある。
自分が持っているのはただの木剣。
相手は鉄製らしき大剣だ。
『普通に打ち合ったら、絶対に折れるよね……』
かといって。
アリアを見捨てるという選択肢はない。
朝雄がどうすべきか迷った、その時だった。
「いい加減にしろ。見苦しいぞ」
「……!?」
男が身体を硬直させる。
「女子供へ剣を向けるなど、冒険者の恥さらしめ」
いつの間に現れたのか。
男の背後には、一人の人物が立っていた。
抜かれた剣の切っ先が。
男の首筋へぴたりと当てられている。
「へ、へへ……じょ、冗談だって。本気にすんなよ……」
男は青ざめ、額から大量の汗を流していた。
だが。
剣は下ろされない。
「私は、お前のような下品な男が嫌いだ」
冷たい声と共に、僅かに剣へ力が入る。
男の首筋から、一筋の血が流れた。
「お、俺が悪かった! 助けてくれ!」
男が悲鳴を上げると、ようやく剣が下ろされた。
「失せろ」
「ひっ!」
男は大剣を収める余裕すらない様子で、その場から逃げ出した。
ギルドの扉が勢いよく開き。
そのまま外へ消えていく。
「……」
朝雄が呆然としていると。
助けてくれた人物が、こちらへ歩いてきた。
「大丈夫かい? 怖い思いをさせてしまったね」
「……」
相手は女性だった。
軽くウェーブのかかったブロンドの髪を肩の辺りで切り揃え、瞳は鮮やかな緑色。
背が高く、身体に沿うような曲線の多い鎧を身につけ、腰には先ほど使っていた剣を下げている。
『この人も冒険者なのかな?』
朝雄がそんなことを考えながら黙って見ていると。
女性の表情が曇った。
「もしかして……怖くて声が出なくなったのかな?」
「え?」
「かわいそうに……」
女性は朝雄の前で少しかがむと、優しく頬へ手を添えた。
そして。
「もう怖くないからね……」
「むぐっ!?」
そのまま朝雄の頭を抱き寄せ。
自分の胸へ押しつけた。
「……」
頭まで撫でられて。
朝雄もようやく我に返った。
「た、助けてくれてありがとうございます! もう大丈夫ですから!」
「そうかい?」
女性は少し残念そうに朝雄を解放する。
「遠慮しなくてもいいんだよ?」
「だ、大丈夫です!」
朝雄は一歩下がると、改めて深く頭を下げた。
「本当にありがとうございました」
「あ、ありがとうございました」
アリアも隣で一緒に頭を下げる。
だが。
何故か。
『……なんかアリア、怒ってない?』
頭を下げているアリアから、妙な圧力を感じる。
朝雄は理由が分からず、僅かに冷や汗を流した。
「私は冒険者のライラだ」
女性――ライラが名乗る。
「冒険者も、あんな無頼者ばかりじゃないんだ。これで幻滅しないでほしい」
「はい」
どうやらライラの目にも、朝雄は冒険者へ憧れる子供に見えたらしい。
「ライラさんみたいな立派な冒険者もいるって分かりましたから」
朝雄が笑顔で答える。
「……!」
今度はライラが一瞬固まった。
頬が僅かに赤くなる。
「そ、そうか。それなら良かった」
どこか満足そうに頷いた。
その横では。
アリアがじっとりとした目で朝雄を見ていた。
「僕はアサオといいます。こっちはアリアとルリアです」
朝雄が自己紹介すると、アリアとルリアも軽く頭を下げる。
「アサオくん……か」
ライラは何故か名前を確かめるように繰り返す。
「いい名前だ……」
「……」
アリアは小さく溜息をついた。
「アサオさん。そろそろ戻りませんか?」
「あ、そうだね」
朝雄はライラへ向き直る。
「ライラさん、僕たちはそろそろ行きます。助けてもらって、本当にありがとうございました」
「ああ。またな、アサオくん」
朝雄は礼儀正しく一礼し、アリア、ルリアと一緒にギルドを出ていった。
ライラは小さく手を振りながら三人を見送る。
やがて入口の扉が閉じ。
朝雄の姿が完全に見えなくなる。
「……可愛い」
小さく零れた言葉は。
先ほどの騒ぎから元の喧騒を取り戻したギルドの中で、誰にも聞かれることはなかった。
◇ ◇ ◇
宿へ戻る途中。
アリアは何度目か分からない大きな溜息をついた。
「アリア……」
「はい?」
「ごめんね。僕のせいで、変な騒ぎに巻き込んじゃって」
「え?」
朝雄は、先ほどの出来事でアリアが怖い思いをしたせいだと思ったらしい。
心配そうにこちらを見ている。
「い、いえ! アサオさんが謝ることではありませんよ!」
「でも、なんだか元気がないみたいだから……」
「……」
アリアは一瞬黙り。
すぐに、いつもの笑顔を作った。
「心配を掛けてすみません。ちょっと考え事をしていただけですから」
「そうなんだ」
朝雄は安心したように笑う。
「良かった」
「……っ」
その笑顔を真正面から受けたアリアの頬が、少し赤くなる。
そして。
朝雄に聞こえないほどの小声で呟いた。
「アサオさんの笑顔……もはや凶器ですね。このままだとライバルが増え続けそうです……」
「ん? 何か言った?」
「何でもありません」
アリアはにっこり笑った。
その隣では。
何故かルリアが。
うんうん、と何度も頷いていた。
◇ ◇ ◇
宿へ戻ると、サーシャとガズリーはすでに買い物を終えて帰ってきていた。
夕食の時間になり、全員で食堂の席に着く。
朝雄は食事をしながら、今日街で見たものを楽しそうに話し始めた。
露店。
大きな店。
馬車。
知らない食べ物。
そして冒険者ギルド。
サーシャは微笑ましそうに聞いていたのだが。
「それで、酔っぱらった冒険者の人が僕に剣を向けて――」
「待て」
サーシャの笑顔が消えた。
「今、なんと言った?」
「え?」
「お前に剣を向けた?」
「……はい」
朝雄がそこから先の出来事まで説明する。
話を最後まで聞き終えたサーシャは。
無言で立ち上がった。
「ちょっと冒険者ギルドに行ってくる」
そのまま自分の剣へ手を伸ばす。
「待ってください、隊長」
ガズリーが即座に止めた。
「冒険者ギルドじゃ、酔った奴同士の揉め事なんて珍しくもないでしょう。全員怪我もなく帰ってきたんですから、今回はいいじゃないですか」
「しかし!」
サーシャは納得できない様子で顔をしかめる。
「アサオに剣を向けるなど、許せん奴だ……」
ぶつぶつ文句を言い続けている。
朝雄は。
少しだけ嬉しかった。
心配してくれていることが分かったからだ。
「ところで、アサオ」
「はい?」
ガズリーが真面目な表情で口を開く。
「お前たちを助けた冒険者は、ライラと名乗る女性剣士だったんだな?」
「はい。そうです」
「やっぱりそうか……」
ガズリーは少し考える。
「最近、サザーラント王国からガルドール魔王国へ活動拠点を移した、人族の高ランク冒険者がいるって話を聞いてたんだ」
「高ランク?」
「ああ。しかも美人の女剣士だと聞いてたから、恐らくそのライラって冒険者だろう」
「へえ……」
朝雄は感心した。
確かに。
あの酔っぱらった男を、ほとんど何もさせずに制圧していた。
相当強い人なのだろう。
「それと、アサオ」
「はい」
ガズリーの表情が一段真剣になる。
「冒険者ってのは、誰でもなれる代わりに命懸けの仕事だ。気の荒い連中も珍しくない」
「……」
「今日みたいなこともある。今後は、興味本位で一人で冒険者ギルドへ近づいたりするなよ」
「はい……」
朝雄は素直に頷く。
自分が迂闊だったことは理解していた。
もしライラが現れなかったら。
そして。
もしアリアに止められず、武器強化を使っていたら。
どうなっていたのか分からない。
「分かりました。気をつけます」
「よし」
ガズリーも表情を緩める。
「明日は夜明けと同時に出発するからな。今日は早めに寝ろよ」
「はい!」
◇ ◇ ◇
翌朝。
夜が明けると同時に宿を引き払い、朝雄たちはチュカンの街を後にした。
ここから王都までは、およそ一週間の予定だ。
再び西へ向かって街道を進む。
ただ。
スロウ村からチュカンまでの道とは、大きく違うところがあった。
「結構、人の行き来があるんだね」
朝雄はすれ違う馬車を見送りながら呟く。
今歩いている街道は、人の往来がかなり多い。同じ方向へ歩く旅人を追い越すこともあれば、逆に馬車に追い抜かれることもある。
チュカンへ向かう商人や旅人とも、およそ一時間に一度くらいの間隔ですれ違っていた。
「チュカンは大きな街ですから」
アリアが説明する。
「王都やサザーラント王国との国境付近を行き来する商人も多いんです。それに、この先はスロウ村より大きな村もいくつかありますから」
「そうだな」
ガズリーも補足する。
「歩いてきたから分かると思うが、スロウ村からチュカンまでの間には、大きな街はほとんどなかっただろ?」
「はい」
「行商人もチュカンを拠点にして、王都や他の街と往復して商売する奴が多い。だからこっちの街道は人が多いのさ」
「なるほど……」
朝雄が感心している横で。
サーシャだけは難しい顔をしていた。
「ただし、人の往来が増えれば、それを狙った犯罪も増える」
「……」
「昨日街で情報を集めたところ、最近この先の街道で野盗が出ているらしい」
朝雄、アリア、ルリアの表情が少し引き締まった。
「魔王国も街道の見回りはしていますが、領土すべてを常時監視することはできませんからね」
アリアが静かに呟く。
「そういうことだ」
ガズリーが頷いた。
「食うに困って盗賊になる奴もいれば、犯罪を犯して街にいられなくなった奴が集まることもある。どれだけ取り締まっても、完全にいなくするのは難しい」
「……」
「とはいえ、街に近い場所にはまず出てこない。今日はまだ心配しなくていいさ」
少し重くなった空気を和らげるように、ガズリーが笑った。
「本格的に警戒するのは明日からだ」
「分かりました」
朝雄、アリア、ルリアは揃って頷いた。
◇ ◇ ◇
その日は何事もなく、予定していた野営地へ到着した。
そして翌朝。
「……すごい」
朝雄は、サーシャとガズリーを見て思わず呟いた。
昨日まで旅用の軽装だった二人が。
今日は鎧を着込み、完全武装になっている。
「そんな格好で一日歩けるの?」
朝雄が心配して尋ねる。
「身体強化を使うから問題ない」
サーシャは平然と答えた。
「騎士ならこの程度で音を上げてられねえよ」
ガズリーも笑う。
『騎士って大変なんだな……』
朝雄は素直に感心した。
◇ ◇ ◇
そのまま一日街道を進み。
夕方。
日が落ちる少し前になって、予定していた野営地が見えてきた。
「あれ?」
すでに何人か人がいる。
どうやら別の一行が、先にそこで野営の準備をしているようだった。
テントがいくつも立ち、二台の荷馬車も止められている。
「商隊みたいだな」
ガズリーが呟く。
野営地そのものは広いため、二つの集団が利用しても問題はない。
朝雄たちは先客から少し離れた場所へ荷馬車を止め、いつも通り野営の準備を始めた。
◇ ◇ ◇
夕食を取っていると。
向こうの商隊から、一人の男が歩いてきた。
「お食事中に失礼いたします」
中年の男性は、愛想のいい笑顔で軽く頭を下げる。
「同じ場所で野営するのも何かの縁ですので、ご挨拶をと思いまして。私はフレンダの街で商いをしております、ノリスと申します」
ガズリーが立ち上がり、挨拶を返した。
「私はガルドール魔王国の騎士団に所属しているガズリー。こちらは同じくサーシャだ」
「おお! やはり騎士団の方でしたか!」
ノリスの顔が一気に明るくなる。
「鎧を拝見して、もしやとは思っておりました。いや、私は運がいい!」
「……?」
朝雄が首を傾げる。
ノリスは少し困ったように笑った。
「実は私どもは、チュカンからフレンダの街へ向かっている途中なのですが、最近この辺りで野盗が出没しておりましてね」
「……」
「すでに、いくつかの商隊が被害に遭ったとも聞いています。そのため冒険者ギルドへ護衛を依頼したのですが……」
ノリスはそこで大きく溜息をついた。
「六人募集したところ、集まったのは四人だけでして」
朝雄が向こうを見る。
荷馬車は二台。
それを四人だけで守るとなると、確かに少し心細いように見えた。
「荷物の納期がありますので、これ以上待つこともできず、四人の護衛で出発したのですが……正直、この人数で守り切れるか不安だったのです」
「なるほど」
ガズリーが腕を組む。
ここまで聞けば。
次に何を言われるのかは、朝雄にも何となく予想できた。
「そこでご相談なのですが」
やはりノリスが続ける。
「よろしければ、この先の街まで我々と同行していただけませんでしょうか?」
「……」
「そちらにもお子さん方がおられるようですし、万が一野盗に襲われた場合、人数が多い方がお互いに安全かと思いまして」
ガズリーはすぐには答えず、少し考え込んだ。
朝雄は小声でサーシャへ尋ねる。
「この先の街って、どこ?」
「ここから二日ほど先にある街だ」
サーシャも小声で答える。
「そこから北へ進めば、サザーラント王国との国境都市フレンダ。私たちが向かう王都は、その街からさらに西だ」
「じゃあ、途中までは同じ道なんだ」
「ああ。それに野盗が出ていると噂されているのも、ちょうど次の街までの区間だ」
それなら、ノリスたちが同行を望む理由も理解できる。
一方。
朝雄たちにとっても悪い話ではない。
実際に野盗と戦闘になった場合。
確実な戦力として数えられるのは、サーシャとガズリーの二人だ。
朝雄も剣術の腕だけなら、二人とある程度打ち合える。
だが。
『相手は人間なんだよな……』
狼や魔物とは違う。
野盗とはいえ。
同じ人間を相手に。
命を奪う覚悟で戦えるのか。
「……」
朝雄には、まだ分からなかった。
「分かった」
しばらく考えていたガズリーが口を開いた。
「こっちにとっても悪い話じゃない。次の街まで一緒に行こう」
「おお! ありがとうございます!」
ノリスは満面の笑みを浮かべ、ガズリーと握手を交わした。
◇ ◇ ◇
食事を終えた後。
顔合わせと、明日以降の打ち合わせをするため、五人で商隊側の野営場所へ向かった。
向こうはノリス。
二台の荷馬車に、それぞれ一人ずつ御者。
そして護衛の冒険者が四人。
合計七人だった。
ガズリーが護衛の冒険者たちへ向かう。
すると。
向こうからも、リーダーらしき人物が歩いてきた。
「……あれ?」
朝雄は首を傾げた。
見覚えがある。
「あれ? ライラさん?」
名前を呼ばれ。
相手もこちらを見る。
「……!」
そして。
見る見るうちに表情が明るくなった。
「アサオくんじゃないか!」
そこにいたのは。
チュカンの冒険者ギルドで、朝雄たちを助けてくれた女性剣士。
ライラだった。
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次話は19:00に投稿します。




