035 旅路
朝雄側のお話になります。
020からの続きです。
スロウ村を出た朝雄たちは、街道を西へ向かって歩いていた。
メンバーは朝雄、アリア、ルリア、サーシャ、そして馬を引くガズリーの五人。食料や着替え、野営道具などの荷物は馬が引く荷台へ積んでいるため、基本的には全員身軽だった。
ただし、サーシャは自分の武器である両手剣を背負い、ガズリーも腰に片手剣を下げている。二人とも鎧は荷台へ積んでおり、今は旅に適した軽装だった。
最初の目的地である街、チュカンまでは約七日。
途中に小さな村はいくつかあるものの、毎日宿へ泊まれるわけではない。そのため、何度か野営をすることになるらしい。
朝雄にとっては、異世界へ来て初めての長旅だった。
それでも、不思議と大きな不安はない。もしアリアとルリアを村へ残し、自分一人で旅に出ることになっていたなら、こんな気持ちではいられなかっただろう。
今は二人も一緒にいるうえ、戦闘では頼りになるサーシャと、一行の保護者のような雰囲気を持つガズリーまで同行している。
『それにしても……本当に旅してるんだなぁ』
前を歩く仲間たちと荷馬車を眺めながら、朝雄はそんなことを考える。
異世界へ来たという実感は、村にいた時よりさらに強くなっていた。
◇ ◇ ◇
道中は特に大きな問題もなく進み、日が傾き始めた頃。
「今日はあそこで野営をするぞ」
サーシャが街道脇にある、少し開けた場所を指さした。
周囲の草木はある程度刈られ、地面も平らになっている。少し離れたところには川も流れており、野営にはちょうどよさそうな場所だった。
「街道沿いには、こういう場所がいくつかあるんだ」
ガズリーによれば、旅人や商人が利用する野営地として自然と整備されていったらしい。
荷馬車を止めると、ガズリーが手慣れた様子で全員へ指示を出す。
「暗くなる前に水と薪を確保しよう。アサオと隊長は水汲み。アリアとルリアは、この辺りで薪に使えそうな枝を集めてきてくれ」
「分かりました」
「はーい!」
全員が素直に動き始める。
朝雄はそこで、ふと疑問に思った。
確か徴税部隊の隊長はサーシャで、ガズリーは副隊長だったはずだ。それなのに今は、完全にガズリーが指揮を執っている。
朝雄の視線に気づいたらしく、ガズリーが笑った。
「隊長は戦闘関係なら頼りになるんだが、それ以外はからっきしでな。一人じゃ碌に飯も作れん」
「なっ、何を言うんだ!」
サーシャがすぐさま反論する。
「食事くらい一人で作れる!」
「作ったことあるのか?」
「……」
「隊長?」
「作ったことがないだけだ!」
「……」
朝雄は黙った。
ガズリーも黙った。
少し離れた場所では、アリアまで何とも言えない笑顔になっている。ルリアだけが純粋に首を傾げていた。
『それは作れるって言わないんじゃ……』
朝雄はそう思ったが、口には出さなかった。
◇ ◇ ◇
日が沈む頃には野営の準備も終わり、全員で簡単な夕食を済ませた。
「アサオさん、疲れていませんか?」
食後、アリアが朝雄の様子を心配そうに覗き込む。
「少し脚を見ましょうか?」
「僕は大丈夫だよ。それよりアリアとルリアは平気?」
「ルリアは全然平気!」
ルリアが元気よく両手を上げる。
「私も大丈夫ですよ。普段から森を歩き回って採取をしていますから、これくらいなら平気です」
確かに二人とも、それほど疲れているようには見えない。
朝雄も幼い頃から桜と一緒に剣術の稽古や体力作りをしていたので、見た目よりは体力に自信がある。とはいえ、一日中歩き続けたのは初めてだった。
「少し筋肉が張っていますね。明日に疲れを残さない方がいいですから、脚を伸ばしてください」
「分かった」
言われた通りに脚を伸ばすと、アリアが手をかざす。淡い光が広がり、歩き続けて少し張っていた脚が、じんわりと温かくなっていった。
「どうですか?」
「うん。かなり楽になったよ。ありがとう、アリア」
「いえ」
朝雄がお礼を言うと、アリアは嬉しそうに微笑んだ。
そんな二人を見ていたサーシャが、少し考えるような顔をする。
「アサオ」
「なに?」
「身体強化の練習をしてみないか?」
「身体強化?」
「ああ。魔力制御の基礎にもなるし、旅の途中で使えるようになれば移動も楽になる」
村での一件以来、朝雄は魔法の使用を止められている。そのため少し不安になったが、サーシャはすぐに続けた。
「もちろん勝手には使わせないぞ。私とアリアが見ている時だけだ」
「攻撃魔法などに比べれば身体強化は基礎的な魔法ですけど、アサオさんの場合は魔力量が多いので、きちんと制御を覚えてから使わないと危険です」
アリアも念を押す。
「分かった」
朝雄は素直に頷いた。
魔物と戦った時、自分が何をしたのかはいまだにはっきり分かっていない。その結果、魔力を使い果たし、死にかけた。
だからこそ。
『ちゃんと使えるようになりたい』
朝雄に断る理由はなかった。
「お願いします」
「ああ!」
「一緒に練習しましょう」
サーシャとアリアも嬉しそうに頷いた。
◇ ◇ ◇
「アサオは、自分の魔力を感じることはできるんだな?」
「うん。前にアリアから教えてもらってから、時間がある時に練習してたから、前よりは分かるようになったよ」
アリアの家で行った訓練を思い出す。
以前はぼんやりとしか感じられなかった身体の中の力も、今では意識を集中すれば、ある程度その存在を捉えられるようになっていた。
「それなら、まずは右手だけに魔力を流してみろ」
「右手……」
朝雄は目を閉じ、身体の中にある魔力へ意識を集中する。それを腕へ、さらに掌へと流していく。
「少しお手伝いしますね」
アリアが朝雄の右手を握った。
触れたところから魔力の流れを導かれているような感覚があり、先ほどまでよりもスムーズに右手へ力が集まっていく。
「ああっ!」
「……?」
どこからかサーシャの声が聞こえた気がした。
「この感覚を覚えてくださいね」
「うん」
アリアは手を握ったまま優しく微笑む。
「……」
その様子を、サーシャが何とも言えない目で見ていた。
「サーシャさんは、左手をお願いします」
「えっ?」
アリアの言葉に、サーシャの表情が一瞬で明るくなった。
「わ、分かった!」
すぐに朝雄の左手を握る。
今度は左腕へも魔力を流してみると、こちらも右手と同じように感覚を掴むことができた。
「大分、魔力を動かすのが上手になりましたね」
アリアが満足そうに手を離す。
「そ、そうだな」
サーシャも少し名残惜しそうに手を離した。
朝雄は両手を開いたり閉じたりして、感覚を確かめる。
「これで身体強化になってるのかな?」
「試してみりゃ分かるさ」
それまで黙って見ていたガズリーが、一本の木の枝を拾って朝雄へ投げた。
「ほら」
「ありがとうございます」
受け取ってみると、かなり太い。普通なら両手を使っても簡単には折れそうにない枝だった。
「強化した状態で折ってみな」
「分かりました」
朝雄は両手へ魔力を流したまま、枝を握る。
『これくらいかな?』
少し力を込めた。
メキャッ!
「……え?」
枝は折れなかった。
握った部分そのものが、粉々に潰れた。
残った枝が、ぽとりと地面へ落ちる。
「できた!」
身体強化に成功した。
そう思って嬉しくなり、顔を上げたのだが。
「……」
全員が固まっていた。
「どうしたの?」
朝雄が首を傾げる。
ガズリーはしばらく朝雄を見た後、呆れたように息を吐き、足元から拳ほどの大きさの石を拾った。
「アサオ。次はこれだ」
「石ですか?」
「ああ。握ってみろ」
投げられた石を受け取る。
『今の感じでいいんだよね?』
再び両手へ魔力を集め、軽く握り込んだ。
パンッ!
「……」
石が砕けた。
掌を開くと、細かくなった石が砂のようにさらさらと零れ落ちる。
「……」
朝雄は今度こそ何かがおかしいと気づいた。
顔を上げると、アリアとサーシャは口を半開きにしたまま固まり、ガズリーは額へ手を当てている。
「もしかして……失敗?」
不安になって尋ねると、サーシャが我に返った。
「アサオ」
「はい」
「そこに座れ」
「……はい」
言われるがまま、その場へ正座する。
何となく怒られる気がした。
「一体どれだけ魔力を込めたら、そうなるんだ!」
「え?」
「木ならともかく、石を素手で粉々にする奴があるか!」
「……」
「お前の魔力量、一体どうなってるんだぁ!」
夜の野営地に、サーシャの叫び声が響き渡った。
「アサオさん……」
アリアは困ったように笑う。
「やりすぎです」
「そんなにたくさん流したつもりはなかったんだけど……」
「それが一番問題なんだ!」
またサーシャに怒られた。
◇ ◇ ◇
「じゃあ、もう一回やってみる。今度は本当に少しだけ……」
朝雄は先ほどより慎重に魔力を動かした。
一気に右手へ集めるのではなく、ほんの少しだけ。水道の蛇口を僅かに開くようなイメージで流してみる。
『これなら……』
足元に落ちていた太めの枝を拾い、右手だけで握る。
ボキッ。
少し力を入れると、今度は普通に枝が折れた。
「……」
朝雄は恐る恐るアリアとサーシャを見る。
二人が笑顔で頷いた。
「そのくらいです」
「そうだ! 最初からそれくらいにしろ!」
「良かった……」
ようやく成功したらしい。
◇ ◇ ◇
その後も、朝雄は寝るまで身体強化の練習を続けた。
手だけ。
腕だけ。
脚だけ。
身体の一部分へ少量の魔力を流し、その状態で動く練習を繰り返していく。
問題は、やはり魔力量の調整だった。
「アサオ! 止まれ、止まれー!」
「止まれない!」
脚へ流す魔力を少し増やして走ってみたところ、予想以上の速度が出てしまい、そのまま止まり切れず。
バシャーン!
「冷たっ!」
川へ突っ込んだ。
「何やってるんだ、お前は!」
「ご、ごめんなさい……」
服を乾かした後、今度は右腕から肩まで強化し、近くの木を軽く殴ってみた。
ドンッ!
「……あ」
幹が大きくへこみ、ミシミシと嫌な音を立てる。
「アサオ?」
「サーシャ、逃げて!」
「え?」
木が傾いた。
「うわあああっ!」
危うく下敷きになりかけたサーシャが、大慌てで飛び退く。
「アサオー!」
「ごめんなさい!」
結局、また正座させられた。
「お前は、もっと訓練するまで日常で身体強化を使うな」
サーシャが疲れ切った顔で告げる。
「……はい」
朝雄はがっくりと項垂れた。
「でも、少しずつですけど魔力を抑えられるようにはなっていますよ」
アリアが苦笑しながら続ける。
「本当?」
「はい。最初よりずっと上手です」
「……良かった」
少しだけ救われた気がした。
◇ ◇ ◇
辺りがすっかり暗くなると、全員で寝る準備を始めた。
持ってきたテントは二つ。当然、男女に分かれて眠ることになる。
朝雄とガズリー。
サーシャ、アリア、ルリア。
そして全員が寝てしまうわけにはいかないため、サーシャとガズリーが交代で見張りを担当することになっていた。
「僕も見張りをします」
朝雄も申し出たが。
「却下だ」
即座にサーシャから断られた。
「でも」
「武器を持ってないだろ」
「それは……」
「それに魔法だって、一人で勝手に使うのは禁止だ」
「……はい」
「見張りは騎士団の仕事だ。いいから寝ろ!」
「分かりました……」
そこまで強く言われれば、もう反論できない。
朝雄は素直にテントへ入った。
◇ ◇ ◇
最初の見張りはサーシャが担当するらしく、テントの中にはすでにガズリーが横になっていた。
朝雄も少し離れた場所へ寝転がる。
「なあ、アサオ」
「はい?」
まだガズリーは起きていたらしい。
「お前、サザーラント王国の人間なんだろ?」
「……はい」
「なんで一人で魔王国の辺境まで来たんだ?」
「……」
朝雄は答えに詰まった。
どう説明すればいいのだろう。
自分は別の世界から、気づいたら森へ転移していた。そんなことを突然話して信じてもらえるのかも分からないし、そもそも自分自身でさえ、何故ここへ来たのか理解していない。
朝雄が難しい顔で黙り込んでいると、ガズリーはすぐに苦笑した。
「ああ、悪い。無理に聞きたいわけじゃない」
「……」
「言いづらい事情があるなら、今は言わなくていいさ」
「すみません」
「謝ることじゃねえよ」
ガズリーはそれ以上追及しなかった。
朝雄は少し安心したものの。
『いつまでも隠しておけることじゃないよな……』
そうも思っていた。
「明日も朝は早いぞ。さっさと寝ろ」
「はい。おやすみなさい、ガズリーさん」
「ああ。おやすみ」
朝雄は目を閉じる。
一日歩き続け、さらに魔法の練習までしたせいだろう。ほどなくして、規則正しい寝息を立て始めた。
◇ ◇ ◇
ガズリーは横目で、眠っている朝雄を見る。
事情があってスロウ村へ来た。
そこまでは間違いないのだろう。そしてアリアやルリアと知り合い、一緒に暮らしていた。
ただ。
『やっぱり普通の平民には見えねえんだよな』
言葉遣い。
食事の作法。
会話の端々から感じる知識。
どれを見ても、かなりきちんとした教育を受けているように見える。
人族の国。
恐らくサザーラント王国の、貴族かそれに近い立場の家の出ではないか。以前からそう考えていた。
しかし。
『だったら、なんで魔法を知らない?』
今日の身体強化を見れば、朝雄が尋常ではない魔力を持っていることは間違いない。
これだけの素質を持っていながら、魔法の使い方どころか基本的な知識すらほとんど知らない。
サザーラント王国でも魔法の素質が高い者は教育を受けるはずだ。まして貴族の子供なら、成人する十五歳まで何も教えられないとは考えにくい。
それなのに朝雄は、まるで最近になって初めて魔法の存在を知ったようにすら見える。
『考えれば考えるほど分からねえな』
本来なら、素性の分からない者は警戒するべきなのだろう。
だが。
ガズリーはもう一度、隣で眠る朝雄を見る。
何かいい夢でも見ているのか、ほんの少し口元が緩んでいた。
「……こいつが裏で何か企んでるようには、どうしても見えねえんだよな」
小さく苦笑する。
「まあ、そのうち何か分かるだろ。それに、下手なことしたら隊長に殺されそうだしな……」
誰に聞かせるでもなく呟き、ガズリーも見張りの交代時間まで眠ることにした。
◇ ◇ ◇
朝雄は、いつもの白い空間にいた。
「……またここか」
さすがに毎晩のように来ていれば、もう驚きもしない。
周囲を見渡すと、少し離れたところにいつもの銀髪の女性が立っていた。
「あれ?」
朝雄は首を傾げる。
何かが違う。
いつもなら、もっとはっきり姿が見えるのに、今日は輪郭がぼんやりとしていた。顔もよく見えない。
「なんでだろ……」
ただ。
何となくだが。
『嬉しそう?』
そんな気がした。
相手が何者なのかは、未だに分からない。
それでも、嬉しそうにしていると感じれば、何故か朝雄まで少し嬉しくなる。
しばらく相手を見つめていると、いつもより早く白い世界が暗くなり始めた。
「あ……」
朝雄が何かを言うより先に、意識が途切れた。
◇ ◇ ◇
翌朝。
テントの入口から差し込む朝日で、朝雄は目を覚ました。
「ん……」
大きく伸びをしてから隣を見ると、ガズリーの姿はなかった。夜中にサーシャと見張りを交代したのだろう。
朝雄は身体を起こし、そのままテントの外へ出る。
「おはようございます、ガズリーさん」
「おう、おはよう、アサオ」
ガズリーはすでに朝食の準備を始めていた。
女性陣のテントはまだ静かだ。
「何か手伝います」
「それなら、まず川で顔を洗ってこい」
「はい」
「ついでに水も頼む」
「分かりました」
朝雄はタオルと水を入れるための革袋を持って、川へ向かった。
◇ ◇ ◇
「冷たっ!」
川の水は思った以上に冷たく、顔を洗った瞬間に一気に眠気が吹き飛んだ。
「目が覚めた……」
タオルで顔を拭き、革袋へ水を汲む。
野営地へ戻ると、ちょうど女性陣も起きてきたところだった。
「おはようございます、アサオさん」
「おはよう、お兄ちゃん!」
「おはよう……アサオ……」
「おはよう、三人とも」
アリアとルリアは朝から元気だったが、サーシャだけは完全に寝ぼけている。髪も少し乱れ、半分目を閉じたままふらふらしていた。
「三人も顔を洗ってこい。戻ったら朝飯にするぞ」
ガズリーに言われ、アリアとルリアが川へ向かう。
「サーシャさん、行きますよ」
「……ん」
まだ眠そうなサーシャは、ルリアに手を引かれてついていった。
少しして。
「冷たぁぁぁっ!」
川の方から、サーシャの絶叫が響いた。
「……」
朝雄はガズリーを見る。
ガズリーも朝雄を見る。
そして二人とも、思わず吹き出した。
◇ ◇ ◇
全員で朝食を済ませると、野営道具を片付けて荷馬車へ積み込んだ。
準備を終えた一行は、再び街道へ出る。
「よし、行くぞ!」
サーシャは、さっきまで寝ぼけていたのが嘘のように元気だった。
「はい!」
朝雄も笑って答える。
目指すのは魔王国の王都。
その途中にある最初の街、チュカン。
こうして朝雄たちの旅の二日目が始まった。
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