閑話 ターニャサイド 私の大切なもの
私の名はターニャといいます。
サザーラント王国第一王女、エミリー様の専属侍女を務めています。
詳しい年齢については省略させていただきますが、もう若いとは言えない年齢です。
通常、侍女は結婚を機に職を辞し、家庭へ入ることが多いのですが、私は今も独身ですので現役を続けています。
これでも若い頃は、それなりに人気があったのですよ。
真剣に交際を申し込まれたことも、一度や二度ではありませんでした。私自身も、そろそろ結婚を考えようと思っていた時期があります。
ですが。
その頃に、一つの大事件が起きました。
第一王女であるエミリーが。
突然、異世界へ逃亡したのです。
◇ ◇ ◇
事件が起こる少し前、エミリーの婚約話が進められていました。
王家に一人しかいない王女であるエミリーの結婚は、本人だけの問題ではありません。王位継承にも大きく関わるため、結婚相手について王家や貴族たちが慎重になるのは当然のことでした。
エミリー自身も、それは理解していたと思います。
貴族の間では政略結婚も珍しくありません。出会いのきっかけが家同士の都合だったとしても、結婚後に互いを理解し、幸せな家庭を築いた夫婦は大勢います。
ですから私も、エミリーがそうなってくれることを願っていました。
ですが。
婚約者として選ばれた侯爵家の長男は、私のささやかな願いを簡単に踏み潰してくれるようなお方でした。
最初の顔合わせを終えてから、エミリーは何かを考え込んでいることが多くなりました。
私は彼女を不憫に思いましたが、当時の私にはどうすることもできません。王家が進めている婚約を、ただの侍女である私が止められるはずもありませんでした。
もっとも。
今になって考えれば、私も少し疑問には感じていたのです。
国王陛下も王妃様も、エミリーをとても大切にしていました。
それなのに、侯爵家とはいえ評判の良くない家の、あのような豚……。
コホン。
あのようなご子息を、本気でエミリーの夫に選ぶものだろうか、と。
◇ ◇ ◇
婚約の日が近づくにつれ、エミリーは以前にも増して魔法研究へ没頭するようになりました。
私はてっきり、研究へ打ち込むことで辛い現実から目を逸らそうとしているのだと思っていたのです。
ですから。
もしエミリーが本当に婚約を嫌がっているのなら。
『一緒に逃げてもいい』
そんなことまで、真剣に考えていました。
私がエミリーの専属侍女になって、すでに十年近くが過ぎていました。主従というより、私にとっては幼い頃から一緒に育ってきた大切な友人です。
若い女性二人だけで暮らすことになれば、苦労するでしょう。
まして片方は、見た目こそ可愛らしいものの生活能力がほぼ皆無のエミリーです。
『私が働いて養えばいいでしょう』
当時の私は、本気でそんなことまで考えていたのです。
ですが。
エミリーが私へ助けを求めることはありませんでした。
◇ ◇ ◇
そして婚約を翌日に控えた日。
エミリーは、以前から研究していた魔法の最終実験をしたいと言い出しました。
『勇者召喚魔法』
それが、エミリーの研究していた魔法です。
およそ三百年前。
まだサザーラント王国とガルドール魔王国が戦争をしていた頃、異世界から強大な力を持った者を呼び寄せ、戦争を終わらせようとして研究された魔法だと聞いています。
結局、完成する前に戦争そのものが終結しました。
召喚した者を元の世界へ戻す方法が確立されていなかったことなど、様々な問題もあったため、その後は使用を禁じられ、関連する資料も禁書として封印されています。
その忘れ去られかけていた魔法書を見つけてしまったのが。
よりによって、エミリーでした。
そして。
研究熱心な魔法馬鹿に、そんなものを見せてしまったのが運の尽きだったのでしょう。
結局私は、エミリーの熱意に負け、いくつかの約束をさせた上で実験を許可しました。
その結果。
エミリーは勇者を召喚するどころか、術式を逆転させて自分自身を異世界へ送り。
そのまま逃亡しました。
「……」
あの時のことは。
今思い出しても頭が痛くなります。
◇ ◇ ◇
その後の騒ぎは、とても一言では説明できません。
ただ一つ。
皮肉なことに、婚約そのものは翌日には消滅しました。
エミリーの婚約相手だった侯爵家が、当日に取り潰されたからです。
何代にもわたり汚職や横領などを繰り返していたらしく、王家は以前から証拠を集めていたとのことでした。
王女との婚約が決まったことで油断した侯爵家当主たちは、同じ派閥の貴族を集めて前祝いを行い、その場で一網打尽にされたそうです。
そこでようやく。
私は今回の婚約自体が、侯爵家を油断させるための策だったのだと知りました。
『先に教えてください!』
そう叫びたくなったのは、私だけではなかったでしょう。
ですが。
すでに手遅れでした。
エミリーは異世界へ旅立った後。
もう。
私の隣にはいなかったのですから。
◇ ◇ ◇
……随分昔のことを思い出してしまいました。
原因は分かっています。
『今日のエミリーは、あの時と同じ顔をしていますね』
現在、私たちはいつものように皆で夕食を取っています。
表面上は普段通りに振る舞っているエミリーですが、時々こちらの様子を窺っているのが丸分かりです。
サクラ様とウメ様も共犯なのでしょう。二人も時折エミリーと目を合わせては、小さく頷いています。
『本当に……』
一度ならず。
二度までも。
私に黙って何かを企んでいる。
思うところがないわけではありません。
ですが。
『今は泳がせておきましょう』
私にも、色々と準備がありますからね。
◇ ◇ ◇
夕食後。
アサオ様の状態を確認する時間までは、まだ少し余裕があります。
私は一度自室へ戻りました。
夕食の前に、スミレ様にはすでに事情を話しています。
予想通り、
『私も行きます!』
と言い出されました。
同行そのものは認めましたが、危険が大きいと判断した場合には途中で引き返すこと。その条件だけは、しっかり約束していただきました。
次は護衛です。
近衛騎士団の中から事情をある程度知っていて、実力にも問題のない人物を選ぶ必要があります。
そこでセイラに同行を頼みました。
断られる可能性も考えていましたが、意外にも返事は即答でした。
『サクラさんとウメさんのお話を聞いているうちに、そこまで二人が大切に思っているアサオ様という方に、私も少し興味が出てきまして……』
とのこと。
「……」
後々。
別の意味で面倒なことにならなければよいのですが。
まあ。
未来のことを心配しても仕方ありません。
◇ ◇ ◇
サクラ様、ウメ様、そしてセイラ。
三人がいれば、戦力としてはかなり心強いでしょう。
ですが。
『女性ばかりというのも問題ですね』
商人などに扮して旅をするにしても、女性ばかりの一行では目立ちます。
かといって、誰でも事情を教えて同行させられるわけではありません。
近衛騎士団長のボロン様なら安心なのですが、お歳を考えれば長期間の捜索へ連れ出すのは難しいでしょう。
「さて、どうしましょうか……」
そう考えていた時。
コンコン。
部屋の扉が叩かれました。
「はい?」
アサオ様の状態を確認する時間にはまだ早い。
誰だろうと思いながら扉を開けると、そこには意外な人物が立っていました。
「夜分に申し訳ありません。折り入って、ご相談したいことがありまして……」
「……オルフ様?」
◇ ◇ ◇
第一騎士団長オルフ様の相談内容は、ある意味分かりやすいものでした。
なんとか近衛騎士団へ転属し。
エミリーが主導するアサオ様の捜索任務へ加わりたい。
つまり。
エミリーについていきたい。
そういうことです。
「ですが、なぜ私へ?」
思わず尋ねました。
オルフ様が以前近衛騎士団への入団を希望したものの、軍部の重鎮でもある父親に反対され、第一騎士団へ入れられたことは聞いています。
その問題を、ただの侍女である私へ相談されても困ります。
「いや、ターニャ様は『ただの侍女』ではありませんよね?」
「……はい?」
「王宮の大臣たちは、皆ターニャ様を恐れていると聞いていますが……」
「……」
なんですか、それは。
私は普通の侍女です。
確かに王宮には長く勤めていますので、何か起きた時に備えて多少の情報は集めています。
私を見ると急に話を止めたり、こそこそと姿を消したりする方も何人かいますが。
きっと、少しばかり後ろ暗いことでもあるのでしょう。
よほど酷いものでなければ、私は見逃してあげていますよ?
その代わり。
エミリーの書類仕事を少し肩代わりしていただいたり。
魔法研究で使用する魔石を、余裕のある部署から融通していただいたり。
それくらいです。
『お願い』をしているだけですよ。
オルフ様のお父上は、後ろ暗いところなど一つもない立派な方なので、この方法は使えませんけれど。
◇ ◇ ◇
「申し訳ありませんが、私では――」
力になれそうもありません。
そう続けようとして。
ふと。
私は気づきました。
『待ってください』
目の前のオルフ様を見る。
第一騎士団長。
実戦経験豊富。
戦闘能力も申し分なし。
そして何より。
昔からエミリーへ異常なほどの忠誠心を持っています。
『……適任では?』
もうエミリー教の信者と言っても過言ではない方です。
護衛としての信頼性だけなら、これ以上ない人材でした。
ただし。
こちらから第一騎士団長へ同行を頼めば、後から面倒な話になる可能性があります。
ですから。
一応、本人の覚悟を確認しておきましょう。
「実は……オルフ様だけにお話ししますが」
「はい」
「エミリー様主導の捜索隊は、急遽今夜出発することになっています」
「なっ……!」
オルフ様は目を見開き。
次の瞬間には、悔しそうに表情を歪めました。
間に合わなかった。
そう思っているのでしょう。
「ただし、正式な任務ではありません」
「……?」
「エミリー様がどうしてもアサオ様を捜しに行きたいと望まれ、その願いに応えた者だけで、今夜城を抜け出します」
私は順番に名前を挙げる。
「同行するのは、エミリー様、私、スミレ様、サクラ様、ウメ様。そして護衛のセイラです」
「女性ばかりではありませんか!」
案の定。
オルフ様が即座に反応しました。
「危険すぎます! お考え直しください!」
私は静かに首を横へ振ります。
「正式な任務ではないと申し上げたでしょう?」
「……」
「勝手に城を出るのですから、帰還後に何らかの処分を受ける可能性もあります。ここに集まった者は皆、それを覚悟した上でエミリー様の願いを叶えたいと思っている者たちです」
「でしたら!」
オルフ様が一歩前へ出る。
「私も連れて行ってください!」
「……」
「どのような処分を受けても構いません。必要なら第一騎士団長の地位を失っても、家から勘当されてもいい!」
拳を強く握る。
「エミリー様の願いを叶えるためなら、何でもします!」
「……」
予想通りではありますが。
『相変わらず重いですね』
そして。
暑苦しいです。
実際には、今回の主犯はエミリーです。
おそらく大きな処分などないでしょう。
あったとしても。
『エミリー、一か月書類仕事の刑』
その程度だと思います。
「覚悟は分かりました」
私は小さく頷く。
「では今夜、城の裏手に馬車を用意します。そこへ来てください」
「ありがとうございます!」
「ただし、他の方には絶対に見つからないようにしてくださいね」
「分かりました!」
オルフ様は深々と頭を下げると、満面の笑顔で部屋を出ていきました。
「……」
懸念していた護衛役。
偶然にも。
あっさり解決してしまいました。
◇ ◇ ◇
「さて……」
後は細かい準備です。
まず。
エミリーが手配していた馬車は却下。
『お忍びで捜索へ出るのに、王家の紋章が付いた馬車を用意してどうするのですか』
本当に。
何を考えているのでしょう。
普通の商人が使うような幌馬車へ変更しておきます。
飲み水と食料。
野営道具。
着替え。
簡単な薬。
旅に必要な細々とした物も追加していく。
そして。
王妃様には事情を説明する書き置きを残しておきます。
何も知らないまま第一王女と王女の娘まで姿を消せば、王都中を巻き込んだ大騒ぎになりかねません。
少なくとも、無駄な追手を差し向けられないようにしておく必要があります。
『本当に穴だらけですね、この計画……』
一つずつエミリーの準備へ駄目出しをしながら。
私は必要な手配を整えていきました。
◇ ◇ ◇
準備に追われているうちに、アサオ様の状態を確認する時間になりました。
『なんとか間に合いましたね』
あのまま三人だけで出発していれば。
王都から出る前に捜索終了になっていた可能性すらあります。
研究室へ向かうと、エミリーはまだ私が気づいていないと思っているらしく、時々サクラ様やウメ様と目配せをしています。
『エミリー』
顔が緩んでいますよ。
『それで本当に隠せているつもりなのですか……?』
昔から変わりませんね。
◇ ◇ ◇
途中。
アサオ様がエミリーを蹴るという予想外の出来事もありましたが。
無事であることは確認できました。
いつも通りサクラ様たちの部屋まで送り届ける。
別れ際。
三人が分かりやすく目配せしていましたが、私は最後まで気づかないふりを続けました。
「それではエミリー様、お休みなさいませ」
「おやすみ、ターニャ」
一礼し。
自分の部屋へ戻ります。
スミレ様には、できるだけエミリーと余計な会話をしないようお願いしてあります。
スミレ様は年齢の割にはしっかりしていますが、それでもまだ十一歳の子供です。
ここで計画を悟られるわけにはいきません。
◇ ◇ ◇
自室へ戻ると、自分の荷物をまとめ始めました。
それほど量は多くありません。
ですが。
『エミリーは、自分の荷物すらろくに準備できないでしょうね』
最初から二人分を想定して荷造りします。
準備を終えた頃。
ふと。
机の上に置かれている小瓶が目に入りました。
「……」
私はそれを手に取る。
中には。
綺麗な薄い桃色の液体が、ほんの少しだけ入っていました。
それを見ると。
今でも、あの日のことを思い出します。
◇ ◇ ◇
あれは、エミリーがこの世界へ戻り、スミレ様が生まれてから少し経った頃のことです。
「ターニャ」
「何ですか?」
「私のせいで、婚期を逃しちゃったんだよね?」
「……」
「それなのに私だけ結婚しちゃって、ごめんね?」
「……」
拳を握り締めそうになりました。
ですが。
耐えました。
あの時の自分の自制心は、もっと評価されてもよいと思います。
「そんなターニャに、プレゼント!」
エミリーは満面の笑顔で、小さな瓶を差し出しました。
「これがあれば、シワが出始めたターニャのお肌も元通り! またモテモテになれるよ!」
「……」
悪気はない。
この子に悪気はない。
ただ。
ちょっとお馬鹿なだけです。
そう自分へ言い聞かせながら、瓶を受け取りました。
「これは何ですか?」
中には薄い桃色の液体が入っているだけで、化粧品という感じではありません。
「お母様にお願いして、エルフの里から取り寄せてもらった若返りの秘薬だよ!」
「……はい?」
私は固まりました。
エルフの里に伝わる若返りの秘薬。
エルフの間ですら滅多に作られず、外へ出回ることなどほぼないと言われている品です。
もし市場へ出れば。
一体いくらの値がつくのか、想像することすらできません。
「こんな物、受け取れません」
そう言おうとしました。
ですが。
「これがあればターニャも結婚できるよ」
「……」
「ターニャとまたお別れすることになるのは寂しいけど……」
エミリーは。
少しだけ悲しそうに笑いました。
「私、ターニャには幸せになってほしいから」
「……」
その言葉に。
私は何も言えなくなりました。
そうです。
侍女は結婚すれば、基本的には仕事を辞めます。
私は貴族でもありません。一度王宮を離れれば、エミリーと今までのように毎日顔を合わせることはなくなるでしょう。
エミリーが異世界へ消えた後。
もう一度会うために。
私は何年も待ち続けました。
ようやく。
帰ってきてくれたのです。
『また離れるなんて……』
嫌でした。
「ありがとう、エミリー」
私は小瓶を握る。
「私が本当に結婚したくなった時に、使わせてもらうわね」
「……うん」
「でも、まだしばらくはエミリーのお世話をしてあげます」
「え?」
「旦那様とアサオ様をこちらへ呼ぶつもりなのでしょう? それに今はスミレ様もいます」
私は笑う。
「これから、もっと忙しくなりますよ」
エミリーは一瞬驚いた後。
満面の笑顔を浮かべました。
「ありがとう、ターニャ!」
そして。
「大好き!」
「……はいはい」
まったく。
本当に。
昔から変わらない子です。
◇ ◇ ◇
あれから。
随分と時間が経ちました。
私は今も。
エミリーの傍にいます。
そして。
これからも――。
カチャリ。
「……」
隣の部屋の扉が開く音。
『動き出しましたね』
私は小瓶を鞄の中へ入れ、そっと廊下の様子を窺います。
小さな足音が遠ざかっていく。
少しして。
もう一度。
隣の部屋の扉が開きました。
今度はスミレ様です。
「ターニャ」
小声で呼ばれる。
「お母様が出られました」
「分かりました」
私は部屋を出ると。
スミレ様の手を取りました。
「行きましょう」
「うん!」
先回りして。
馬車のある場所へ向かわなければなりません。
◇ ◇ ◇
まだ暗い廊下を。
スミレ様の手を引いて歩いていく。
「……」
ふと。
思いました。
もし。
あの頃、私が結婚していたなら。
今頃は。
こうして自分の娘の手を引いて歩いている未来もあったのかもしれません。
夫がいて。
子供がいて。
普通の家庭を築いて。
そんな人生も。
きっと幸せだったのでしょう。
ですが。
『後悔はしていません』
私は。
今もエミリーの傍にいられる。
「ターニャ?」
「……はい?」
「どうしたの? 難しい顔してたよ?」
スミレ様が心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
「なんでもありませんよ」
思わず笑ってしまいました。
「さあ、行きましょう」
「うん!」
笑った顔も。
心配そうにするところも。
エミリーによく似ています。
サクラ様とウメ様によれば。
アサオ様も、とてもエミリーに似ているそうですね。
『お会いするのが楽しみです』
◇ ◇ ◇
エミリー。
今度は。
絶対についていきますよ。
あの時。
あなたがいなくなって初めて。
私は。
自分にとって何が一番大切なのかを知りました。
『エミリー……どうして一緒に逃げてと言ってくれなかったの?』
『どうして私を連れていってくれなかったの?』
『帰ってきてよ……エミリー……』
もう。
あんな思いはしたくありません。
これは義務でも。
主従だからでもありません。
私自身が望んで。
あなたの隣にいるのです。
私は。
私の大切なもののために。
今度こそ。
あなたと一緒に行きます。
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