003 もしやこれは……
ここから朝雄側と桜側が別進行になります。
朝雄側を何話か進めた後、少し時間を戻して桜側の話を進めます。
気がつくと、周囲は真っ白だった。
「あれ……? トラックは? 桜姉と梅姉は?」
朝雄は慌てて周囲を見回す。
しかし、何もない。
上も下も、右も左も、ただ真っ白な空間がどこまでも続いていた。
「ここ……どこ?」
混乱しながら記憶を辿る。
学校からの帰り道、突然トラックが歩道へ突っ込んできた。桜と梅を助けなければと思い、その直後、どうやったのか自分でも分からないが、二人の前へ移動していた。
そして――。
「二人は……助かったよね」
最後に見た桜と梅の顔を思い出す。
二人とも無事だった。少なくとも、トラックの進路からは逃げることができていた。
それを思い出し、朝雄は少しだけ安心した。同時に、自分を見つめていた二人の悲痛な表情を思い出し、胸が痛くなる。
「それで……僕はどうなったんだろう?」
現在の状況は、まったく分からない。
「うーん……」
朝雄は腕を組んだ。
一番可能性が高そうなのは、あの後トラックにプチッとされて――。
「死んじゃった……とか?」
自分で言ってから、少し顔を引きつらせる。
「いやいやいや……」
しかし周囲は真っ白で、どう見ても普通の場所ではない。
「この後、神様とか出てきたら完全に転生ルートなんだけど……」
朝雄は期待半分、不安半分で周囲を見回した。
「……」
何も起こらない。
「神様、出てこないなぁ……」
どうしたものか。
そんなことを考えていると――。
「ん?」
視線の先に、ぼんやりと何かが浮かび上がった。
人影だった。
少しずつ輪郭がはっきりしてくる。
「女の子……?」
そこにいたのは、銀色の長い髪をした少女だった。両腕で何かを、とても大切そうに抱えている。
何を抱いているのかまでは分からない。
「誰だろう……」
朝雄は少女へ近づこうとした。
だが。
「……あれ?」
歩いているはずなのに、距離が縮まらない。何度試しても同じで、一定の距離より先へ近づくことができないらしい。
「なんなんだ、これ……」
仕方なく、その場から少女を観察する。
整った顔立ちに、透き通るような銀色の長い髪。
そして、その髪の間から覗いている――。
「耳……長っ!」
先の尖った長い耳。
「……エルフだ」
朝雄は確信した。
これは夢だ。
「死後なのか、死ぬ直前に見てる夢なのか知らないけど……」
もう一度、銀髪の少女を見る。
「人生最後かもしれない夢に出てくるのが美少女エルフって……確かに好きだけど!」
朝雄は頭を抱えた。
「どれだけ異世界物が好きなんだ、僕!」
自分の人生最後になるかもしれない光景が美少女エルフという事実に、別の意味で精神的なダメージを受ける。
「せめて桜姉とか梅姉とか、父さんとか……他にあるでしょ……」
そんなことを呟きながら、もう一度少女を見る。
「……?」
不思議だった。
初めて見るはずの少女なのに、見ているとなぜか安心する。懐かしいというのとも少し違う。
ただ、この少女を見ていると、不思議なくらい心が落ち着いた。
「なんだろう……この感じ」
少女は何かを大切そうに抱きながら、優しく微笑んでいる。
朝雄はしばらく黙って、その姿を見つめていた。
すると突然。
「え?」
少女の姿が消えた。
同時に周囲の白い空間も消え、辺りが真っ暗になる。
「うわっ……」
急速に意識が遠のいていく。
「ああ……」
朝雄はぼんやりと思った。
「いよいよか……」
不思議と恐怖はなかった。
桜と梅は助かった。
そう思えるからだろうか。
そのまま、朝雄の意識は完全に途切れた。
◇ ◇ ◇
眩しい。
閉じた瞼の向こうから、強い光を感じる。
「ん……」
朝雄はゆっくり目を開けた。
最初に見えたのは青い空と、その空を覆うように伸びる木々の枝だった。木漏れ日が顔に差し込んでいる。
「ここ……」
手を動かすと、指先に草の感触があった。腕と足も順番に動かしてみるが、問題はない。
朝雄はゆっくりと上半身を起こした。
「生きてる……」
思わず声が漏れた。
自分の腕や胸、頭にも触れてみる。
「怪我も……ない?」
トラックに轢かれたような傷はどこにもなく、それどころか制服にも目立った破れはない。
「どういうこと……?」
そこで胸元に妙な違和感を覚えた。
何かが足りない。
朝雄は制服の襟元へ手を入れた。
「……ない」
今朝も首に掛けたはずの物。
「お守りがない……」
首から下げていた紐ごと消えていた。
服の中を探し、周囲の草むらも見てみる。
「落としたのかな……」
しかし見つからない。
あのお守りは、朝雄が物心つく前から持っている物だった。母親が朝雄のために作った物らしい。
父親から、
『これは絶対に身につけておけ』
と言われていたため、小さい頃からずっと首に下げていた。今では、身につけていることすら意識しないほど馴染んでいた物だ。
「事故の時に落としたのかなぁ……」
なくなってしまったことに多少の寂しさはある。
ただ。
「まあ……ずいぶん古かったし」
朝雄は少し考えた後、苦笑した。
「それに、子供につけさせるお守りなのに『安産祈願』って書いてある謎のお守りだったしなぁ……」
昔から、それだけは意味が分からなかった。
「父さん、意味分かって持たせてたのかな?」
考えてみれば、あの父親ならあり得そうな気もする。
「……まあ、なくした物は仕方ないか」
朝雄はあっさりと諦めた。
「それより……」
周囲を見回す。
「森の中……かな?」
改めて見れば、明らかに異常な状況だった。
周囲には木々が生い茂っているが、朝雄が倒れていた場所だけ草が低くなっており、僅かに開けている。
立ち上がり、もう一度身体を動かしてみた。
「痛いところもない……」
頬をつねる。
「痛っ」
ちゃんと痛い。
肌に感じる風、草の匂い、木々の葉が擦れる音。それらはどれも妙に現実的だった。
「今度は……夢じゃなさそうだな」
自分の格好を見る。
制服のまま。
トラックのことも覚えている。その後、真っ白な空間で銀髪のエルフらしき少女を見たことも。
「……」
朝雄はしばらく考えた。
「いや、分からん」
考えても答えは出なかった。
ポケットを確認する。
「あ、スマホ」
スマートフォンは無事だった。画面を表示すると、当然のように圏外になっている。
「圏外……まあ、森の中なら普通か」
次に時間を確認した。
「十四時くらい……?」
そこで朝雄は眉をひそめる。
「待って。学校を出たの十五時くらいだったよね?」
事故に遭った時間より前になっている。
「時間がおかしくなった?」
さらに日付を見る。
「……え?」
朝雄の動きが止まった。
表示されている日付は――。
「あの日から……一日経ってる?」
事故の日から丸一日。時間にすれば、ほぼ二十三時間ほどが経過していることになる。
「一日寝てたのか……?」
寝ていたのか、気絶していたのか。それすら分からない。
朝雄は、今分かっていることを整理する。
「学校の帰りに交通事故に遭った」
一つ。
「その後、変な白い場所でエルフの女の子を見た」
二つ。
「気がついたら一日経ってて……」
周囲を見る。
「知らない森の中にいる」
三つ。
「……」
朝雄の表情が変わった。
「もしやこれは……」
異世界転移。
その言葉が頭をよぎる。
朝雄は異世界を題材にしたWEB小説が大好きだ。この状況なら、そう考えるのはむしろ当然だった。
「いやいや」
すぐに首を振る。
「まだ早い」
自分に言い聞かせる。
「近くの山の中かもしれないし、日本のどこかの森かもしれない」
もちろん、交通事故に遭った直後、何故か遠く離れた森へ移動している時点で十分すぎるほど不思議なのだが。
「突然森の中にいたから異世界って……卓也に知られたら絶対笑われる」
朝雄は一度、結論を保留することにした。
「何か地球にはない物でもあれば、すぐ分かるんだけどなぁ……」
周囲の植物を見る。
木や草、花。
「……植物なんて詳しくないから、見ても分かんないよ」
日本にある植物なのか、海外の植物なのか、それとも異世界の植物なのか。朝雄には判断できなかった。
「いっそ太陽が二つとかなら、分かりやすかったのに」
木々の隙間から空を見上げる。
太陽は一つ。
「普通だ……」
少し残念そうに呟いた。
とにかく、ここにいても何も分からない。
朝雄は森の中を歩いてみることにした。
◇ ◇ ◇
一時間ほど経った。
「何もない……」
朝雄は息を吐いた。
草を掻き分け、木の根を避け、枝をくぐりながら進んでいるため、それほど遠くまで移動できてはいないだろう。
「ゲームなら、この辺でスライムとか出てくるんだけどなぁ……」
もちろん、本当に出てきたら困る。
そんなことを考えながら歩いていると、朝雄は喉の渇きを感じた。
「喉、渇いたな……」
そこで足が止まる。
「……あれ?」
ようやく、非常に重要なことに気づいた。
「僕……水も食べ物も持ってない」
顔から血の気が引いていく。
「ここが日本でも異世界でも……」
周囲を見る。
「自分がどこにいるのか分からない森の中で、水も食料もないって……」
しばらく沈黙する。
「これ、普通に遭難してない?」
非常に当たり前の事実へ、今さら気づいた。
ここが異世界かどうかなど、今はどうでもいい。水がなければ、人間は生きていけない。
「まずい……」
朝雄は一度その場に立ち止まった。
「食べ物はまだ我慢できる。でも水は探さないと」
闇雲に歩き回れば、体力を消耗するだけだ。
「川……水……」
何か探す方法はないか。
朝雄は耳を澄ました。
鳥の鳴き声や虫の羽音、風で葉が擦れる音は聞こえる。
「水の音は……しないか」
目を閉じ、さらに意識を集中する。
『水を探さなきゃ』
強くそう思った。
その瞬間。
「っ……?」
身体の奥で――何かが動いた。
事故の時、トラックを止めようとした時にも感じた感覚。
「今の……」
それと同時に、かすかに左の方から水の流れる音が聞こえた――ような気がした。
「……水?」
目を開け、もう一度耳を澄ませる。
「聞こえない……」
今度は普通に聞こうとしても、水音はしない。
「でも……」
確かに、左。
そちらに水がある。
なぜか、そんな気がした。
「行ってみよう」
身体の中で動いた『何か』についても気になる。
だが今は、それより水だ。
朝雄は左方向へ歩き始めた。
◇ ◇ ◇
それから、およそ二時間。
「川だ!」
木々の向こうに水面が見えた瞬間、朝雄は思わず声を上げた。
「本当にあった!」
駆け寄り、川辺にしゃがみ込んで両手で水をすくう。
「冷たい……」
見たところ、濁りもなく非常に綺麗な水だ。
朝雄は少し迷った。
「……まあ、背に腹は代えられないよね」
そのまま口へ運ぶ。
「んっ……」
冷たい水が喉を通る。
「美味しい……!」
喉が渇いていた朝雄は、何度も水をすくって飲んだ。
「はぁ……生き返った」
ようやく一息つき、改めて周囲を確認する。
川幅は十メートルほど。手前は浅いが、中央付近は川底が見えないくらいの深さがありそうだ。
川辺には大小さまざまな石が転がり、森の中と違って視界も開けている。
「こんなところに川があったんだ……」
そこで空を見る。
「もう夕方?」
太陽がかなり低くなっていた。
スマートフォンを取り出す。
「十八時……」
間もなく暗くなる。
「これはまずいな」
森の中で夜を迎える。考えただけでも怖い。
「安全に寝られる場所を探した方がいいな」
できれば、森の奥より周囲を見渡せる川辺の方がいい。
朝雄は川に沿って周囲を探し、しばらくして切り立った岩場の一部に、人一人が横になれそうなくぼみを見つけた。
「ここなら後ろから何か来ることもないかな」
森へ戻り、大きめの葉や柔らかそうな草を集める。それを地面へ敷き、その上に制服の上着を広げた。
横になってみる。
「……うん」
硬い。
ものすごく寝心地が悪い。
「まあ、地面に直接寝るよりはいいよね」
贅沢は言えない。
「これなら、なんとか寝られそうだ」
寝床は確保した。
暗くなるまでの間、周囲を歩いて食べられそうな物も探してみた。
しかし。
「分からない……」
木の実らしき物やキノコらしき物は見つけた。
だが、食べられる物なのか判断できない。
「食べられるかどうか分からない物を食べる方が危ないよね」
朝雄は手を出さなかった。
空腹ではあるが、まだ我慢できないほどではない。
日が沈み、森が暗くなり始めた頃、朝雄は作った寝床へ横になった。
「……」
今日一日の出来事を思い返す。
白い空間。
銀髪のエルフ。
知らない森。
なくなったお守り。
そして。
「さっきの、なんだったんだろう……」
水を探そうとした時、身体の中で『何か』が動いた。事故の時にも、同じ感覚があった。
「それに……川の音」
確かに聞こえた気がした。
だが、実際に川へ着くまで二時間近く歩いている。しかも、川の流れはそれほど激しくない。
「こんなに離れてる場所から聞こえるわけないよね……」
どうして水の場所が分かったのか。
身体の中で動いたものは何なのか。
そして。
「ここ、本当にどこなんだろう……」
分からないことばかりだった。
「桜姉……梅姉……」
二人はどうしているだろう。
きっと心配している。
「父さんも……帰ってくるのにな」
本当なら、もうすぐ父親が帰国して、週末にはみんなで入学祝いをするはずだった。
「……帰らないと」
朝雄は小さく呟いた。
「なんとかして……帰らないと」
そのためにも、まずは明日、ここがどこなのか調べなければならない。
そう考えていたが、一日中歩き回った疲労には勝てなかった。
まもなく、深い眠りへ落ちていった。
◇ ◇ ◇
気がつくと。
「……またここ?」
朝雄は、真っ白な空間に立っていた。
少し待つ。
すると。
「あ……」
昨日と同じ場所に、あの銀髪の少女が浮かび上がった。
やはり何かを大切そうに両腕で抱きながら、優しく微笑んでいる。
「またエルフ……」
今度は昨日より冷静だった。
朝雄は改めて少女を観察する。
長い銀髪。
尖った耳。
整った顔立ち。
「確かに美少女エルフなんだけど……」
首を傾げる。
「なんでだろう?」
何かがおかしい。
ゲームやアニメで美少女エルフが登場すれば、それだけで喜んでいたはずだ。なのに、目の前の少女を見ても、そういう意味で気持ちが高ぶることがまったくない。
「こんなに綺麗なのに……」
むしろ、昨日と同じだった。
見ていると安心する。
胸の奥が温かくなるような、不思議な感覚。
「……変なの」
朝雄には、その理由が分からなかった。
少女は変わらず、優しく微笑んでいる。
しばらくすると、その姿はゆっくりと薄れていった。
「あ……」
呼び止めようとした時には、もう遅かった。
少女の姿が完全に消える。
そして、朝雄の意識も再び途切れていった。
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