033 桜サイド 救出
「魔力の……暴走……?」
桜は、エミリーの言葉を呆然と繰り返した。
こちらの世界へ来た日に、ターニャから魔法について教わった時のことを思い出す。訓練中にも、セイラから何度も注意されていた。
魔力の暴走は危険。
最悪の場合、命を落とす。
「そんな……」
梅が力を失ったように、その場へ座り込んだ。
大きな瞳には涙が浮かび、今にも零れ落ちそうになっている。
だが、桜にも梅を気遣う余裕はなかった。
朝雄が危険な状態にある。
それなのに、自分には何もできない。
幼い頃、朝雄と出会ったあの日から、何があっても自分が守ると決めていたのに。
「……」
身体が小刻みに震える。
桜も俯きかけた、その時だった。
「まだよ!」
エミリーの強い声が部屋へ響いた。
「まだ朝雄は生きてる! 絶対に死なせない!」
「……!」
梅も桜も、弾かれたように顔を上げた。
「まだ助ける方法はある」
エミリーは二人を真っ直ぐ見つめる。
「でも、それには二人の協力が必要なの」
朝雄を助ける方法がある。
その一言だけで、二人の目に再び力が戻った。
梅は袖で涙を拭い、その場から立ち上がる。桜も震えを押さえ込み、エミリーへ向き直った。
「朝雄を助けられるなら、何でもします」
迷いはなかった。
「私たちは何をすればいいんですか?」
「うん」
エミリーは力強く頷いた。
◇ ◇ ◇
全員が部屋のテーブルへ集まった。
席についているのは、エミリー、桜、梅、ターニャ、スミレの五人。護衛のセイラは、少し離れた入口付近に立っている。
「まず、今分かっていることから説明するね」
エミリーが真剣な表情で口を開いた。
「朝雄の魔力はかなり減ってる。それと、残っている魔力の制御が上手くできていないみたい」
「どうしてそんな状態に……」
「詳しいことまでは分からない。でも恐らく、大きな魔法を使って一気に魔力を消費したんだと思う」
桜と梅の表情が険しくなる。
「魔力の暴走っていうのは、自分の魔力を制御できなくなった時に起きるの。特に、大きな魔法を使っている最中に制御を失うと危険で、体内の魔力が暴れて身体が耐えられなくなることがある」
エミリーは一度言葉を切った。
「でも今回は、そのまま暴走し続けたわけじゃない。朝雄は先に魔力をほとんど使い切って、今は意識を失っているみたい」
「じゃあ……今は大丈夫なんですか?」
梅が縋るように尋ねる。
「今だけなら」
「……」
「問題は、魔力が回復してきた時なの」
エミリーの表情が曇る。
「本人が意識を失ったままなら、回復した魔力を自分で制御できない。そうなれば、また暴走が始まる可能性がある」
「そんな……」
梅の声が震えた。
桜は唇を噛みながら、それでも目を逸らさない。
「それを止める方法があるんですよね?」
「あるかもしれない」
エミリーは頷いた。
「『朝雄れえだぁ』を応用する」
「……あの魔法を?」
「うん」
エミリーはテーブルへ手を置いた。
「元々あの魔法は、私が知っている朝雄の魔力を手掛かりに、遠く離れた場所から状態を探るために作ったものなの」
幼い頃の朝雄しか知らないため、エミリーが記憶している魔力そのものは微弱だった。
それでも親子だからなのか、魔力の性質が非常によく似ており、他人よりは遥かに探知しやすいのだという。そこへ改良を重ね、現在は生死や大まかな体調、方角まで調べられるようになっている。
「それとね。探知されている側が眠っている時なんかに、術者の存在を夢みたいな形で感じることがあるの」
「夢……?」
「記録上だけどね。探知している相手の姿を見たり、声を感じたりした例が残ってる」
エミリーは桜と梅を見る。
「朝雄が今、ただ気を失っているだけなら、自分から魔力を制御するのは難しい。でも意識だけでも起こすことができれば、暴走しかけた魔力を自分で制御できる可能性がある」
「つまり……」
桜が確認するように口を開く。
「私たちが朝雄を起こすんですか?」
「そういうこと」
「どうやって?」
「私が先に朝雄へ接続する。その繋がりへ二人の魔力を重ねて、二人のイメージを朝雄に届ける」
エミリーは少しだけ笑った。
「朝雄を起こすなら、私より二人の方がずっと効果があると思う」
「……」
桜と梅は顔を見合わせた。
「やります」
答えたのは桜だった。
「絶対にやります」
「私も」
梅もすぐに頷く。
「朝雄ちゃんを助けられるなら、何でもします」
二人の返事に、エミリーも力強く頷いた。
◇ ◇ ◇
それからエミリーは、すぐに魔法陣の改造へ取り掛かった。
今回行うのは、普段の探知とはまったく違う。
まずエミリーが、魔力の少なくなっている朝雄へこちらから魔力を送り、強引に繋がりを作る。その後、桜と梅がその魔力へ同調し、二人の意識を朝雄へ届けるというものだった。
「二人は難しいことを考えなくていいから」
床の魔法陣を書き換えながら、エミリーが言う。
「とにかく朝雄のことだけ考えてて」
「分かりました」
「はい」
それだけなら。
二人にとって難しいことではなかった。
今この瞬間も。
考えているのは朝雄のことだけなのだから。
◇ ◇ ◇
それから約二時間。
床へ膝をつき、魔法陣と格闘していたエミリーがようやく立ち上がった。
「よし……これでいけるはず」
額の汗を拭う。
「実験してる余裕はないから、ぶっつけ本番だけどね」
笑ってはいるが、その声には緊張が滲んでいた。
こうしている間にも、朝雄の魔力は少しずつ回復している。いつ再び暴走が始まってもおかしくない。
しかも今回は、こちらから魔力を送り込む。
失敗すれば、その瞬間に暴走を再開させてしまう可能性すらあった。
それでも。
他に手段はない。
「二人とも、魔法陣の中央へ」
「はい」
「分かりました」
桜と梅は並んで中央へ立った。
そして。
どちらからともなく手を繋ぐ。
この世界へ転移した時と同じだった。
「朝雄のことだけ考えて」
エミリーが二人を見る。
「絶対に連れ戻してきて」
「はい!」
「任せてください!」
「それじゃあ――始めるよ!」
エミリーが魔法陣へ魔力を流し込んだ。
床に描かれた線が青白く輝き始め、やがて部屋全体が淡い光に染まっていく。
さらに光は魔法陣中央へ集まり、桜と梅を包み込んだ。
二人は目を閉じる。
朝雄の顔を思い浮かべる。
笑った顔。
困った顔。
少し照れた顔。
そして。
『絶対に助ける』
繋いだ手に力を込める。
二人の思いは。
その一点だけで、完全に重なっていた。
◇ ◇ ◇
「……」
桜はゆっくりと目を開けた。
さっきまで薄暗い研究室にいたはずなのに、周囲にはどこまでも真っ白な世界が広がっている。
「ここ……」
地面があるのかさえ分からない。
立っているのか。
浮いているのか。
身体の感覚すら曖昧だった。
「桜ちゃん」
すぐ隣から梅の声がする。
「梅ちゃん」
手はまだ繋がっていた。
二人は周囲を見渡す。
だが、どこまで見ても白い世界しかない。
「魔法……成功したのかな」
梅が不安そうに呟いた。
「朝雄ちゃんと、本当に繋がれたのかな……」
「……大丈夫」
桜は目を閉じる。
不思議だった。
何も見えないのに。
何の根拠もないのに。
「朝雄がいるわ」
「……」
「近くにいる気がする」
梅も目を閉じた。
「……うん」
少しして、小さく頷く。
「私も感じる。朝雄ちゃんが近くにいる気がする」
その時だった。
「……!」
二人の視界の先に。
何かが現れた。
遠く。
真っ白な世界の中に、人の影のようなものが横たわっている。
顔も。
服も。
はっきりとは見えない。
それでも。
二人には分かった。
「朝雄!」
「朝雄ちゃん!」
ほとんど同時に叫ぶ。
すると。
横たわっていた影が、僅かに動いた。
「……!」
ゆっくり。
本当にゆっくりと。
その身体が起き上がっていく。
「朝雄!」
「こっちだよ!」
二人は駆け寄ろうとする。
だが。
「……動けない」
桜は初めて、自分の身体がまったく動かないことに気づいた。
「私も!」
梅も必死に足を動かそうとするが、どうしてもその場から離れられない。
二人にできるのは。
呼び続けることだけだった。
「朝雄! こっちよ!」
「朝雄ちゃん! 頑張って!」
影が動く。
一歩。
また一歩。
何か重いものに引かれているような、頼りない歩き方だった。
今にも止まってしまいそうなのに。
それでも確実に。
二人の方へ向かってくる。
「そうよ……」
桜の声が震える。
「もう少しだから」
「朝雄ちゃん、もう少しだよ!」
梅も必死に呼び続ける。
「こっちに来て!」
少しずつ。
影が近づいてくる。
やがて。
もう少しで手が届きそうな距離まで来た。
「朝雄!」
影から。
ゆっくりと手が伸びる。
「朝雄ちゃん!」
桜と梅も同時に手を伸ばした。
届かない。
あと少し。
「もう少し!」
「頑張って!」
そして。
指先が。
触れた。
「……!」
確かに。
朝雄の手だった。
その瞬間。
真っ白だった世界が、一気に暗転した。
◇ ◇ ◇
「……」
桜は目を開けた。
伸ばした右手が、何もない空間に突き出されている。
隣を見ると、梅もまったく同じ姿勢で固まっていた。
「……戻ったの?」
桜が呟く。
実際には二人とも、魔法陣の中央から一歩も動いていなかった。
「大丈夫ですか? お二人とも……」
スミレが心配そうにこちらを見ている。
「スミレちゃん……」
そのさらに向こうでは、ターニャが倒れたエミリーを抱きかかえ、ソファへ運んでいるところだった。
「エミリーさん!」
二人が同時に声を上げる。
「大丈夫です」
ターニャがすぐに答えた。
「魔力を使い切って、気を失っただけです」
「……」
「お二人もこちらへ。かなり魔力を使っていますので、少しお休みください」
桜と梅は魔法陣から出ると、勧められるまま椅子へ座った。
「私たちが魔法の中にいる間、どうなっていたんですか?」
桜が尋ねる。
「魔法が発動してから、お二人はずっと目を閉じたまま魔法陣の中央に立っていました」
ターニャはエミリーの様子を確認しながら説明する。
「五分ほどでしょうか。ずっと身動き一つしなかったお二人が突然手を前へ伸ばし、その直後、魔法陣へ魔力を送り続けていたエミリーが倒れて光が消えました」
「五分……」
感覚としては、もっと長かったようにも。
逆に一瞬だったようにも思える。
「でも」
梅が桜を見る。
「繋がってたよね」
「ええ」
桜も迷わず頷いた。
「あれは間違いなく朝雄だった」
姿ははっきり見えなかった。
それでも分かる。
朝雄も自分たちの声に反応していた。
そして最後には。
確かに手が触れた。
「きっと大丈夫よ」
桜はそう口にする。
自分自身へ言い聞かせるように。
◇ ◇ ◇
「エミリーは、しばらくすれば目を覚ますと思います」
ターニャが眠っているエミリーへ優しい視線を向けた。
「これまでも魔法の改良に夢中になり、何度か魔力を使い切って倒れていますから。大体三十分ほどで目を覚ましていました」
「何度も……?」
桜が驚く。
「アサオ様がこちらの世界へ来たと分かった日から、毎晩遅くまで魔法を改良していました」
ターニャは小さく溜息をつく。
「昼間には公務がありますので、本来なら夜くらい休んでいただきたいのですが……何度言っても聞いてくださらなくて」
「……」
桜と梅。
そしてスミレも、眠っているエミリーを見る。
普段はいつも明るく。
どこか頼りなく見える時さえある。
だが。
誰にも見せないところでは、毎日のように魔力が尽きるまで朝雄を探し続けていた。
「私は結婚していませんから、本当のところは分かりません」
ターニャは穏やかに笑う。
「ですが、きっとこれが子供を心配する母親なのでしょうね」
そう言い残し、お茶を用意すると言って部屋を出ていった。
◇ ◇ ◇
「エミリーさんって、やっぱり朝雄ちゃんのお母さんなんだね」
梅が眠るエミリーを見ながら呟く。
「大切な人のためになると、無茶するところまでそっくり」
「ええ」
桜も小さく笑った。
「朝雄も、自分のことになると慎重なくせに、誰かのためだと急に無茶するものね」
二人の笑顔を見ながら。
スミレだけが、少し俯いていた。
「私……」
「スミレちゃん?」
「お母様が、そんなに無理していたなんて知りませんでした」
声が沈んでいる。
桜は少し考え、優しく声を掛けた。
「きっと、スミレちゃんには心配を掛けたくなかったのよ」
「……」
「大切な人には、自分が辛いところを見せたくない時ってあるでしょう?」
スミレは少し考えた後、小さく頷いた。
「でも」
梅が苦笑する。
「子供の立場からすると、家族なんだから辛い時くらいちゃんと言ってよ、って思っちゃうけどね」
「確かにそうね」
桜も笑う。
スミレも少しだけ表情を緩めた。
「目を覚ましたら、ちゃんと怒ります」
「うん。それがいいと思う」
「私も一緒に怒りましょうか?」
「桜ちゃんが怒ると怖いからやめておいた方が……」
「梅ちゃん?」
「何でもない」
久しぶりに。
三人の間に小さな笑い声が生まれた。
◇ ◇ ◇
ターニャが戻ってきてお茶を用意し、それを飲みながら休んでいると。
ほぼ三十分が経った頃。
「う……」
ソファで眠っていたエミリーが目を開けた。
「気がついた?」
ターニャがすぐに声を掛ける。
「いつも倒れるまで無茶をして……少しは心配する方の身にもなってほしいのだけれど」
ジトッとした視線を向けられ、エミリーが少し怯む。
「ご、ごめんなさい……」
だが。
お茶を飲んでいる桜と梅を見つけた瞬間。
慌てて起き上がった。
「二人とも! どうだった!?」
そのまま二人の前まで駆け寄る。
「朝雄には会えた?」
「はい」
桜が頷いた。
「間違いなく朝雄でした」
「本当!?」
「姿ははっきり見えませんでしたけど、私たちの声にも反応していました。最後には、手も触れました」
「……!」
エミリーが大きく息を吐く。
全身から力が抜けたように、その場で肩を落とした。
「良かったぁ……」
目に涙が浮かんでいる。
「そこまで意識が覚醒できたなら、たぶん大丈夫だと思う」
そう言った直後。
「でも、念のため確認しなきゃ!」
勢いよく立ち上がった。
「エミリー」
ターニャの声が低くなる。
「……」
エミリーがぴたりと止まった。
「あなたは、ついさっきまで魔力を使い切って気を失っていたのよ?」
「でも確認しないと、心配で休めないよ!」
「……」
「少しだけ! 本当にちょこっと確認するだけだから!」
エミリーが両手を合わせる。
ターニャはしばらく睨んでいたが、やがて諦めたように溜息をついた。
「そう言うと思っていました」
「え?」
懐から小さな瓶を取り出す。
「魔力回復薬です」
「……!」
「全部使うような真似はしないこと。確認だけですよ?」
「ターニャ!」
エミリーの顔が一気に明るくなる。
「ありがとう!」
瓶を受け取ると、すぐに蓋を開け。
一気に飲み干した。
「……」
「……」
桜と梅は、その姿を眺める。
どう見ても。
栄養剤を飲んで残業へ戻る会社員のようだった。
もちろん。
口には出さなかった。
◇ ◇ ◇
少し魔力を回復させたエミリーは、先ほど改造した魔法陣を元の状態へ戻した。
「じゃあ、本当に確認だけするから」
「お願いします」
桜と梅が見守る中、いつもの『朝雄れえだぁ』を発動する。
魔法陣が淡く輝いた。
今回は長くない。
少しすると光が消えた。
「……」
桜と梅が息を呑む。
「エミリーさん……」
「朝雄ちゃんは……?」
エミリーは少しの間、目を閉じていた。
そして。
ゆっくり顔を上げる。
笑っていた。
「大丈夫」
「……!」
「朝雄の魔力は安定してる。さっきみたいな乱れもないよ」
エミリーの声も少し震えていた。
「もう大丈夫」
その瞬間。
「……良かった」
桜の瞳から涙が零れた。
「朝雄ちゃん……!」
梅も桜へ抱きつく。
二人はそのまま。
互いを強く抱きしめた。
エミリーもようやく安心できたのか、頬を伝う涙を隠そうとしなかった。
「お兄様……良かった……」
スミレも泣き出している。
ターニャはそんなエミリーとスミレを見つめながら、静かに目元を拭った。
そして。
部屋の入口で、ずっと一部始終を見守っていたセイラも。
「……本当に良かったです」
誰にも見られないように。
目尻へ浮かんだ涙を、そっと指で拭った。
宜しければ評価をいただけると励みになります。
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