032 桜サイド 捜索に向けて
桜は梅を背負ったまま部屋へ戻ると、そのままベッドまで運び、ゆっくりと身体を下ろした。
「梅ちゃん、少し休んだ方がいいわ。夕食の時間になったら起こすから」
「うん……ありがとう、桜ちゃん。そうさせてもらうね」
梅は反論することなく布団へ潜り込み、しばらくすると規則正しい寝息を立て始めた。
桜はその様子を見つめ、そっと頭を撫でる。
「サクラ様もお疲れではありませんか?」
一緒に部屋へ戻ってきたターニャが、心配そうに声を掛けた。
「少しお休みになってはいかがでしょう。夕食の時間になりましたら、私がお知らせしますので」
「そうですわ。桜お姉様もお疲れのはずです。少しお休みください」
スミレも隣で何度も頷いている。
「ありがとう。でも、あの筋肉……オルフが本当に捜索の件を諦めたのか確認しないと」
言いかけたところで、部屋の扉が開いた。
「その心配はしなくて大丈夫よ」
戻ってきたエミリーが、安心させるように笑う。
「あの子は、一度約束したことを後から反故にするような子じゃないから」
「あの子……」
桜は一瞬だけ違和感を覚えたが、すぐに納得した。
見た目だけならオルフの方が年上に見えるものの、エミリーは実際には自分の母親と同年代だ。
そう考えれば、彼女から見てオルフが「あの子」でも不思議ではない。
見た目のせいで、ものすごく違和感はあるが。
「そうですか……」
桜はようやく表情を緩める。
「では、これで朝雄の捜索に行けるんですね?」
「ええ。もう余計な邪魔が入らないようにしておいたから安心して」
エミリーは自信満々に胸を張る。
「今回は、なんでオルフちゃんが急にあんなことを言い出したのか分からなくて後手に回っちゃったけど、もう大丈夫よ」
「……良かった」
桜は大きく息を吐き、身体から力を抜いた。
自分では平静なつもりだった。
だが、朝雄の捜索に行けなくなるかもしれないという不安は、思っていた以上に身体へ負担を掛けていたらしい。
梅だけではなく、自分もずっと緊張していたのだと、ようやく気づいた。
「じゃあ……私も少し休ませてもらいますね」
「そうしなさい」
桜は梅の隣へ潜り込む。
すると、ほとんど時間を置かずに寝息を立て始めた。
「……やっぱり、二人とも疲れてたんだね」
エミリーが眠る二人を見つめる。
「平気そうに見えても、朝雄を追って何も知らない世界へ来て、それから強い相手とまで戦って……疲れてないわけがなかったよね」
その表情には、普段の軽い雰囲気はない。
純粋に二人を心配する母親の顔だった。
ターニャとスミレも何も言わず、小さく頷く。
「よし!」
少しして、エミリーが勢いよく立ち上がった。
「じゃあ、私は魔法の改良を頑張るとしますか!」
いつもの調子に戻り、明るく笑う。
「少しでも早く二人を朝雄に会わせてあげる。それが今、この二人が一番望んでることだからね!」
「無理だけはしないでくださいね」
「分かってるって」
「本当に?」
「……ほどほどに頑張ります」
ターニャに睨まれ、少しだけ声を小さくする。
スミレはそんな二人を見て、くすりと笑った。
◇ ◇ ◇
夕食は桜たちの部屋へ運んでもらい、桜、梅、エミリー、ターニャ、スミレの五人で食べることになった。
護衛のセイラは、部屋の扉の前で待機している。
食事中の話題は、やはり昼間の試合だった。
「桜お姉様が雪風を振った瞬間、本当にすごかったんです!」
スミレは興奮気味に話し続ける。
「白いものが一気に飛んでいって、それでオルフ様の脚がバーンって!」
「スミレちゃん、バーンではないわね」
「でも、そんな感じでした!」
「ふふっ」
梅が楽しそうに笑う。
その表情は、昼間よりかなり落ち着いていた。
食事を終え、お茶を飲んでいた時。
「そうそう」
エミリーが嬉しそうに口を開いた。
「『朝雄れえだぁ』の改良が、ある程度までできたよ」
「本当ですか!?」
桜と梅が同時に身を乗り出す。
「うん。今日試してみるけど、上手くいけば朝雄がいる方角くらいは分かるようになると思う」
「方角が……」
「分かるんですか?」
「たぶんね」
エミリーは得意そうに笑う。
「方角が分かれば、次は距離。そこまでできれば、いよいよ本格的に捜索できるようになるよ」
「……!」
桜と梅の顔に、一気に笑顔が広がった。
「もうすぐ……」
桜が小さく呟く。
「もうすぐ朝雄を探しに行けるのね」
「うん」
梅も嬉しそうに頷いた。
「朝雄ちゃんに会える日が、近づいてるんだね」
エミリーは、そんな二人を見て嬉しそうに目を細めた。
◇ ◇ ◇
やがて、いつも朝雄の状態を確認している時間になった。
桜と梅は先ほどから落ち着かない様子で何度も時計を気にしていたが、エミリーが立ち上がった瞬間、ほぼ同時に席を立った。
「じゃあ、行こうか」
「はい!」
「お願いします!」
一行は魔法陣のある研究室へ移動した。
◇ ◇ ◇
「それじゃあ、始めるね」
エミリーが魔法陣の中央へ立ち、静かに詠唱を始める。
桜と梅は少し離れた位置から、その様子をじっと見つめていた。
その視線に気づいたエミリーは、わずかに苦笑する。
『本当に、朝雄のことが大切なんだね』
二人は朝雄の無事を心から願っている。
そして、捜索の大きな手掛かりになるかもしれないこの魔法が成功することを、祈るように見守っていた。
母親としては嬉しかった。
自分が日本からいなくなった後、朝雄の傍にこの二人がいてくれたことにも感謝している。
ただ。
昼間の試合を見て、改めて思ってしまった。
『朝雄は……どっちを選ぶんだろう?』
喜一郎から届いていた手紙には、桜と梅が本当の姉のように朝雄の面倒を見てくれていると何度も書かれていた。
だが、さすがに今では分かる。
二人は弟のような幼馴染を心配して、ここまで来たわけではない。
『でも、朝雄本人は気づいてなさそうなんだよねぇ……』
喜一郎の顔を思い浮かべる。
エミリー自身、あの男の女心への鈍さには随分苦労させられた。
『きっと朝雄はキーくんに似たんだね!』
そう結論づけ、エミリーは魔法を発動させた。
なお。
自分自身も異性から向けられる好意には相当鈍かったという事実には、まったく気づいていなかった。
◇ ◇ ◇
しばらくして魔法陣の光が消え、エミリーが軽く息を吐いた。
桜と梅が、期待と不安の入り混じった顔で見つめる。
エミリーは二人を安心させるように笑った。
「成功したよ」
「……!」
「朝雄は――南の方角にいる」
一瞬。
二人は固まった。
そして。
「梅ちゃん!」
「桜ちゃん!」
そのまま抱き合った。
「もうすぐ朝雄ちゃんを探しに行けるね!」
「ええ!」
桜も梅を強く抱き返す。
「もうすぐよ。絶対にまた会えるわ!」
嬉しそうに笑う二人を、エミリー、ターニャ、スミレは静かに見守っていた。
◇ ◇ ◇
「次は距離が分かるように術式を改良するけど、さすがにすぐには完成しないと思う」
魔法を終えた後、エミリーが説明する。
「だから、それまでは二人とも近衛騎士団と一緒に訓練を続けて、捜索へ出る準備をしておいてね」
「はい」
「分かりました」
「私は魔法の改良を進めるから」
続いてターニャが口を開く。
「では私は、捜索に同行する人員の選定と必要な物資の準備を進めます。お二人は明日の朝、セイラと一緒に訓練へ向かってください」
「お願いします」
二人は素直に頷いた。
◇ ◇ ◇
翌朝。
桜と梅はセイラに連れられ、再び近衛騎士団の訓練場所へ来ていた。
スミレは他に勉強や予定があるということで同行しておらず、今日は三人だけだ。
昨日の試合を見ていた近衛騎士たちは、二人の姿を見ると妙に丁寧な態度で挨拶してくる。
「お、おはようございます! サクラ殿!」
「ウメ殿! 本日もよろしくお願いいたします!」
「……」
「……」
二人は少し困惑した。
「昨日までと随分違わない?」
梅が小声で尋ねる。
「昨日の試合の影響だと思います……」
セイラも微妙な顔をしていた。
その後は、セイラの指導で身体強化を中心とした基礎訓練を続ける。
「お二人とも、もう私より強いので……正直、私に教えられることがあるのか不安なんですが」
「そんなことないです」
梅がすぐに否定する。
「昨日の後半、私ほとんど覚えてないですし」
「私も、オルフとの試合は雪風に助けられたようなものだから」
桜も続ける。
「魔法については完全に初心者よ。教えてもらえることはたくさんあるわ」
「そ、そうですか?」
「はい」
セイラは少し安心したように笑い、そのまま訓練を再開した。
ちなみに。
オルフとの試合で外れてしまった雪風の鈴は、昨日のうちに付け直してある。
紐の一部が焦げていたため、以前より少し短くなってしまったが、鈴そのものは無事だった。
再び鈴を付けてもらった雪風は、桜にも分かるほど上機嫌だった。
しばらくの間。
風もないのに。
チリン。
チリン。
何度も嬉しそうに鈴を鳴らしていた。
◇ ◇ ◇
近衛騎士団の訓練場所から少し離れたところでは、第一騎士団も訓練を行っていた。
桜は、オルフが昨日の試合について何か言ってくるのではないかと少し警戒していたが、結局こちらへ姿を見せることはなかった。
そのまま何事もなく訓練を終え、三人は城へ戻った。
◇ ◇ ◇
その日の夕食も、昨日と同じように部屋へ集まって食べることになった。
少し遅れて現れたエミリーは、見るからに疲れていた。
「正確な距離を探知するのは、思ってたより難しいんだよねぇ……」
食後。
エミリーはテーブルへ上半身を投げ出すようにして、ぐったりしている。
「今の感じだと、十キロ単位くらいで大まかな距離が分かるようにするのが限界かなぁ」
「それだけ分かれば十分です」
桜が即答した。
「十キロ程度の範囲なら、十分に足で探せます」
「うん」
梅も迷いなく頷く。
「十キロくらいなら、桜ちゃんは朝雄ちゃんを絶対に見つけるよ」
「……どうして私だけなの?」
「桜ちゃん、朝雄ちゃん探知能力高そうだし」
「何よ、それ」
そう言いながらも、桜は否定しなかった。
「二人とも自信あるねぇ……」
エミリーは苦笑しながらも、嬉しそうだった。
その後、ターニャから捜索人員や物資準備の進捗について報告を受けているうちに、いつもの時間になる。
「じゃあ、今日も朝雄の様子を確認しようか」
エミリーが立ち上がった。
◇ ◇ ◇
一行は昨日と同じ研究室へ移動した。
距離を測定する術式はまだ完成していないため、今日使用するのも昨日と同じ、方角と大まかな状態を確認する魔法だ。
桜と梅は、魔法陣の外からその様子を見守る。
昨日ほど張り詰めた様子ではなかった。
朝雄のいる方角が分かった。
捜索の準備も進んでいる。
少しずつではあるが、朝雄へ近づいているという実感が生まれていた。
だからこそ。
二人は忘れかけていた。
ここが、日本ではないということを。
朝雄がいるのは、魔物も存在する異世界なのだということを。
◇ ◇ ◇
エミリーが魔法を発動する。
魔法陣が淡く光った。
だが。
「……?」
いつもならしばらく続くはずの光が、すぐに消えた。
桜と梅が顔を見合わせる。
「エミリーさん?」
「……もう一回やる」
エミリーはすぐに魔法を発動し直した。
再び魔法陣が光る。
しかし。
またすぐに消えた。
「……」
エミリーの表情が変わる。
「もう一度」
三度目。
今度は詠唱する声に、明らかな焦りが混じっていた。
「……」
桜の背筋に冷たいものが走る。
梅も同じことを感じたのだろう。
隣で息を呑んだ。
朝雄に何かあった。
二人とも、そうとしか思えなかった。
三度目の光も。
すぐに消えた。
「……っ」
エミリーが、その場へ膝をつく。
「エミリーさん!」
桜と梅が同時に駆け寄った。
ターニャとスミレも、すぐに後を追う。
「朝雄に何かあったんですか!?」
桜が問いかける。
「朝雄の反応はある」
エミリーは青ざめた顔で答える。
「でも……」
「反応があるってことは、生きてるんですよね?」
梅が堪えきれず、エミリーへ詰め寄る。
「朝雄ちゃんは無事なんですよね?」
「梅ちゃん」
桜がそっと肩へ手を置いた。
「……」
梅は唇を噛み、一歩下がる。
桜自身も、胸の中では今すぐ叫び出したいほど不安だった。
それでも。
必死に感情を押し殺し、エミリーを見る。
「エミリーさん。教えてください」
少し震える声で続ける。
「今、朝雄がどういう状態なのか」
「……」
エミリーは一度目を閉じ、大きく息を吐いた。
自分自身を落ち着かせるように呼吸を整え、もう一度二人へ向き直る。
「朝雄が生きているのは間違いない」
「……」
「でも、無事と言える状態ではないみたい」
そこで一度言葉を止めた。
「たぶん、これは……」
エミリーの表情が険しくなる。
「魔力が暴走する前兆だと思う」
桜と梅は。
言葉を失った。
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